2015年10月23日金曜日

紋別市総合戦略にパブコメを提出しました

 今、多くの市町村で国の地方創生にからむ「人口ビジョン」と「総合戦略」づくりが進んでいます。

 「地方消滅」などと盛んに言われ、「地方創生」がもてはやされたものの、それもトーンダウンの雰囲気です。

 それどころか、今度は「1億総活躍社会」などと言い出しました。自治体も、国に付き合うのは大変です。

 とはいえ、「人口ビジョン」「総合戦略」はつくらなければ、先に進みません。つくる以上は、実のあるものにしなければなりません。

 紋別市も、検討委員会などで作業を進め、原案が公表されました。そして、パブリックコメントの募集がありました。

 議会でもいくつか指摘した以上、無視はできません。「総合戦略」を読み、私なりに感じた点をまとめ、提出しました。

 それが的を射たものかどうかはわかりませんが、一市民からの声として受け止めてもらえればと思います。

 以下、私が提出したパブコメの内容を紹介します。

 なお、「総合戦略」の本文は紋別市のホームページでご覧になれます。



1、「若者の子どもを生み育てたいという希望の実現」に関して
  
  ①重点施策とされている「妊娠・出産・子育てに係る支援」では、「妊娠から子育てまでのさまざまな負担について、支援の質・量の充実を図り、妊娠・出産・子育ての希望の実現に取り組む」としていますが、そのための具体的な施策、展開が示されていません。何をどう取り組むのか、その具体的施策を示してこそ、「KPI=出生数5%増加」への実現が見えてくるのではないでしょうか。また、「支援の質・量の充実」としていますが、それは何を意味し、何をさしているのかもわかりません。その内容を含め、切れ目のない支援を実施し、出生数5%増加へ向けた具体的施策の展開を明確にすべきだと考えます。
   
  ②第5次総合計画のアンケートでも、子育て支援計画のアンケートでも一番強い市民の要望は、子育てにかかわる経済的負担の軽減です。これを無視するわけにはいきませんし、その要望に応えてこそ希望の実現になると思います。しかし、これらを扱った項目も、事業の内容もまったく見られません。例えば、子どもの医療費への助成、保育料の軽減、学校給食費の軽減、出産経費への助成、不妊治療への補助、ひとり親世帯への経済的支援など、これらの拡充と創設は重要な課題と考えます。「負担軽減の推進」の項をおこし、施策を展開すべきと考えます。

  ③子育てにとって重要なのは、子育てしやすい環境、特に職場での理解と環境の整備だと思います。それがあってこそ、仕事と家庭と子育てが両立し、子どもを生み育てる希望が実現すると考えます。そのためにも育児休業取得の推進と目標を強く明記する必要があると考えます。

  ④もう一つ重要な課題に医療の問題があります。安心して妊娠・出産・育児ができるためには安定した医療環境の整備が不可欠です。その点で、安心した出産ができない現状は、重大な事態です。その解決に向けた取り組みこそ、「重点施策」ではないのでしょうか。「周産期医療と小児医療体制の整備」も項をおこして施策を展開すべきではないのでしょうか。

  ⑤「妊娠・出産・子育ての切れ目のない支援」P17のKPIは、出生数とともに「子育ての満足度」(第5次総合計画策定時3.7%)を、いかに引き上げるかも重要だと考えます。紋別市で子育てしたいと感じてもらうこと、それこそが「総合戦略」の要だと思います。その目標値として「子育ての満足度」のアップを明確に位置づけることが必要だと考えます。

2、「本市の魅力向上と発信強化による新たな人の流れの創出」に関して
   
    移住の促進として、Uターン者への支援などを重要施策としています。特に若い世代のUターンの促進は重要な施策だと考えます。それを動機付けし、さらに人材の確保にもつながる、医者や看護師・医療従事者、さらに介護従事者や障害福祉の専門職員を育成する市独自の奨学金制度の充実と創設は極めて有効な施策だと考えます。具体化を求めます。

3、「個性と魅力あふれる地域づくりと安心な暮らしの確保」にし て
   
   「安心な暮らしの確保」と言うのであれば、「防災対策」に関しても触れるべきだと考えます。

4、全体をとおして
  
  ①「施策の展開」の項目について、もっと具体的な施策が展開され、提案されるべきではないのでしょうか。どうも抽象的で具体性のない印象を受けます。「施策の展開」と言いながら、具体的施策が示されていないのは残念です。KPIの達成に向けて具体的に何をどうするのか、もっと具体的な展開と方向性を指し示すことが必要だと思います。


  ②この「総合戦略」の審議にあたって市民による検討会議がつくられ、高校生をはじめいくつかの団体からヒヤリングもされたといいます。しかし、それらの審議の内容もヒヤリングの結果も明らかになっていません。少なくとも、ホームページなどにそれらの内容や資料などを掲載すべきです。その審議の経過やヒヤリングの内容なども参考に、今回のパブリックコメントを考えられればと思っていたのですが。

 

2015年10月18日日曜日

行政視察―大館市、一関市、名取市へ

 9月29日から10月3日までの日程で、紋別市議会福祉民生常任委員会の行政視察に参加してきました。

 最初は、秋田県大館市。紋別空港から羽田へ。そこで能代大館空港に乗り継ぎ、夕刻大館市に到着。秋田県の一番北。生活圏は青森県弘前市に近いとか。

 そこでの視察テーマは、「学力向上に関する取り組みについて」です。

 秋田県は、学力テストで全国一を続けています。その秘訣を学ぼうというのです。

 私は正直、それほど強い関心はありませんでした。言うまでもなく「全国学力テスト」は、その子の持っている能力のごく一部を推し量るものでしかなく、逆に序列化を強化するだけのものです。

 とはいえ、話を聞いて感心したのは、地域を担う人材を育てようと「大館盆地を教室に、市民一人一人を先生に」をコンセプトに、学校が地域と積極的にかかわっていることでした。

 また、学力の向上には秋田県のイニシアチブが大きかったようです。それは、平成13年からの県による少人数学習・ティームティーチングの実施に向けた教員の増員が決定的だったと言います。

 現在の学力は、それらの長年の積み重ねによるものだと言います。 

 大事なのは、一人ひとりの到達に応じたきめ細かい支援こそが学力向上の要なのだということを実感しました。

 さてその日の朝、散歩していたら「秋田犬(いぬ)会館」という建物を見つけました。

         Akita-Inu-Kaikan 110827.jpg
 
 なんでも大館市は、あの「忠犬ハチ公」のふるさとなのだそうです。マタギの猟犬として主人に仕え、この地方に育った秋田犬。
 早朝で、まだ開館しておらず中を見れなかったは残念でした。

 2か所目は、一路、東北道を南下して、岩手県一関市へ。そこでのテーマは「子育て世代への支援について」です。

 何よりここで興味を引いたのは、子育て支援を切れ目なく行うために、市の組織を大きく変更したことでした。

 紋別市もそうですが、母子保健(乳幼児健診や予防接種、妊婦健診)は従来、健康づくりや健康増進といった部署や保健センターなどが担当してきました。

 それを子育て支援課に加え、出産から青少年対策まで一貫した支援体制をとっているのです。

 この日、視察で訪問した「保健センター」は今年完成したばかりで、健康づくりと子育て支援の拠点となっています。


 子育て支援センターや乳幼児の検診室など、広々とした空間がうらやましく感じました。

 また、産後の育児を支援するサポーター派遣事業や第3子以降の保育料を無料にする事業などは、紋別でも生かしたいものだと感じました。

 保健センターを視察している最中、モップを持って清掃している人たちを見かけました。もしやと思い聞いてみると、やはり障害者の方々でした。市内の就労支援B型の事業所が請け負っているとのことでした。


  さて、一関市の隣町・平泉町に世界遺産の中尊寺があります。時間を見つけて訪れました。

 国宝の金色堂は目にも鮮やかに、往時の藤原家の栄華を物語っていました。杉木立にたたずみながら、しばし時間を忘れました。

 最後の視察地は、宮城県名取市です。ここでのテーマは、東日本大震災における「被災者の生活支援について」です。

 一関市から名取市に向かう途中、石巻市にも立ち寄りました。

 市内の高台にある日和山公園に上りました。そこから港がよく見えます。ガイドの方が、「今はただの空き地のようですが、ここに人家がたくさんあったのです。あの津波ですべて流されました」と言います。

 眼下に広がる土地に多くの建物があったとは、まったく想像できない光景に、言葉を飲み込むだけでした。

 「仙台で嵐のコンサートがあったとき、ここに松本潤がきたんですよ」。そんな話もしてくれました。

 やがて私たちを乗せた車は名取市へ。そして被災地の閖上(ゆりあげ)地区に入りました。

 ここもまた、津波により大きな被害が発生した場所です。ただただ、広い土地が続くばかりです。ここにも人々の営みがあったのです。

 慰霊碑がありました。

           慰霊碑全景

 急に雨風が強くなり、ゆっくり見学できなくなりました。写真は名取市のホームページから転載さてもらいました。

 碑の高さは8.4メートル。この地を襲った津波の高さだと言います。慰霊碑左右の芳名板には犠牲になった944名の名が刻まれています。

 復興のシンボルとしての「ゆりあげ港朝市」がありました。その日はもう誰もおらず、雨に打たれさみしげに見えました。

 それでも、かさ上げの工事がつづいているようで、少しつづ動いている感じを受けました。

 翌日、名取市役所で被災者の生活支援について説明を受けました。

 現在も、仮設住宅に993人が入居しており、その多くが高齢者だと言います。7か所ある仮設住宅を統廃合していく方向だとも言います。

 復興住宅の建設も進みつつあると言いますが、ただ閖上地区はようやく土地の利用計画が定まったところ。約32ヘクタールを約4メートルかさ上げし、居住地域にする計画です。その完成見込みは平成29年度末だと言います。

 ただ気になったのは、生業としての産業・漁業の復興です。現地でも感じたのですが、港の復興はあまり感じられなかったことです。いまだに、地盤沈下のままといった様子でした。

 生活と生業をどう復興させていくか。難しい課題ですが、必要な課題でもあります。

 同時に、感じたことがもう一つ。名取市は仙台市の隣町で、人口も増加しています。仙台空港のマチでもあり、交通の便も良いのです。ロードサイドの大型店がたくさんありました。

 それだけに、閖上地区の状況と街のにぎわいとに大きなギャップを感じてしまうのです。

 それだけに、忘れてはならないと思います。あの日まで、普通の暮らしがあったこと。あの日、多くの尊い命が犠牲になったこと。あの日から、苦しみを胸に生きている多くの人がいることを。

 2年前、仙台市を中心に南相馬市、南三陸町を訪れたことを思い出します。その惨状を見、当時の話を伺い、いくどとなく言葉を失いました。私に何ができるのか、戸惑いました。

 あれから2年。現地はどう変わったのだろうか。あの人たちは元気でいるだろうか。新幹線で東京に向かう仙台駅のホームで、近いうちに必ずまた来よう、と心に決めました。