令和6年12月19日、第1回目の証人尋問が行われました。
とはいえ、誰をどの順番で出頭を求めるのか、尋問の内容はどうするのか、どこにポイントを絞るのか、など準備には相当の時間を要しました。
また、証人との関係で非公開での尋問が必要になる場合も生じました。
失敗が許されない証人尋問。緊張の時間が続きました。
12月19日に2名の非公開での証人尋問。令和7年1月8日、3名の証人尋問。これも非公開で実施。2月20日、岩井智広氏(元紋別市観光連携室長)、棚橋一直氏(元紋別観光振興公社社長、元紋別市副市長)の2名を証人尋問。3月21日、宮川良一氏(元紋別市長)を証人尋問。11月28日、長谷川恒氏(紋別観光振興公社社長)、パラダイス山元氏(オホーツク紋別空港利用促進関連事業関係者)の2名を証人尋問。計10名への証人尋問を行いました。
中島和彦氏(元紋別観光振興公社副社長、元紋別市観光連携室長)にも出頭を求めましたが、医師の診断書を添えて健康上の理由で出頭できない旨の通知があり、やむなく尋問を中止しました。
その後、中島氏には文書による質問書を2回にわたり送付しましたが、いずれも受取人不在で返送され、結局中島氏には直接話を聞けないまま終わったのです。
ただ、贈収賄事件での中島氏の供述調書によって、その全容の断片が明らかになりました。
私も証人尋問では、非公開を含め、岩井氏、宮川氏、長谷川氏の尋問を担当しました。
その中でも特に宮川氏前市長への証人尋問は、事件の全局を握る人物として尋問内容も入念に準備し、裏付けも取りながら、その日に臨みました。
ポイントは、逮捕された中島氏との関係性、入札の不正や空港利用促進経費の流れをどこまで知っていたのか、前市長による直接の指示や命令はなかったのかなど、時系列的に尋問を重ねました。
その中で、中島氏の供述調書や他の証人の証言と食い違う点がいくつか見えてきたのです。
当然、それらをただします。その時の前市長の証言の多くは、「それは覚えていない」「記憶にない」…、と言うものでした。
この言葉は、翌日のマスコミ報道の見出しにもなったほど、ある意味衝撃的でした。
私は尋問の最後に宮川前市長に「数々の不正で入札をゆがめた背景に、中島氏の言動や動きがある。法やモラルを遵守することよりも、中島氏による『人の支配』が市役所内にあったのではないか。あなたは、その中島氏を相当評価していた。それがいつしか市役所全体の体質にまでなってしまった。毅然とした態度をとらなかったあなたの責任は重い」と指摘しました。
宮川前市長の証人尋問を終えて、避暑地化推進事業に係る入札の不正事案については一定のめどが見えてきたものの、空港利用促進事業の使途不明金については、まだ全容が解明できずにいました。
中島氏の個人会社に3億円を超すエージェント対策費が流入していたことはつかめたものの、その使途については全く資料が無いという状況だったのです。
ところが、令和7年8月、国税当局が紋別観光振興公社に税務調査に入り、中島氏に流れた資金は接待交際費であると認定したのです。
ここから、私たち百条委員会の動きが一気に加速します。






