2026年5月6日水曜日

2025年備忘録④~花咲港小学校「インクルーシブ教育」を視察して

花咲港小学校

高田校長による説明

授業風景

  根室市の花咲港小学校を視察してきました。

 全校生徒10名の小規模校です。しかしここでは、全国でもまれ、全道でも唯一の教育実践を行っています。

 それが「インクルーシブ教育です。

 「インクルーシブ教育」とは、一般的に障害のある子どもとない子どもが共に学ぶ教育とされ、さらに根室市では、学習の進め方やペースの違いを一人ひとりの個性と価値観として認め、自分らしくあるための選択や決定を尊重する教育としています。

 私自身、インクルーシブ教育の重要性や必要性を感じていましたが、それがどのように教育の現場で実践されているのか、なかなかイメージが持てないでいました。

 そんな中、新聞記事で根室市立花咲港小学校の存在を知ったのです。

 これは行くしかない。と決め、やっと視察が実現したのです。そして、驚くことばかりでした。

 まず戸惑ったのが、根室市の教育長自らが説明に立ったことです。

 波岸教育長曰く、私がこの仕組みをつくった当事者だからというわけで、インクルーシブ教育導入のいきさつや、その理解を広げる努力、教師や保護者との連携など熱い話が続きました。

 次に、高田校長による実際の教育現場での実践が語られました。ここでも思いのこもった話に圧倒されました。

 とにかく、これまでの学校教育との違いにびっくりの連続です。

 まず、教室という概念がないのです。そのうえ、時間割もないのです。

 あるのは、1・2年生の低学年ユニット、3年生上の高学年ユニットだけで、特に高学年は自分自身で時間割を考え、自分に合った順番と場所で学習を進め、教師はそれぞれの状況に応じて支援するという仕組みです。

 ですから、学ぶ教科、順序、ペース、学ぶ場所を自ら選択して、学びを深めていく。

 特別支援学級の児童も、当然専門的な指導を受けながらも、基本は同じ仕組みで、いつも同じみんなの中にいるのです。

 次々出てくるびっくりする事例に、私も質問しっぱなし。

 しまいには時間が足りなくなって、その夜も教育長のお誘いで場所を変えて意見交換へ。

 地元の地酒「北の勝」を酌み交わしながら・・・


(「オホーツク民報」6月8日付 『野村淳一のかけある記』より)

2025年備忘録③~「市政報告会」にて・・・



  2025年4月27日、私の市政報告会を開催しました。25人ほどのみなさんに集まっていただきました。

 最初は私から、この1年間に取り上げてきた主な一般質問のやり取りなどについて報告しました。

 経営的に厳しさを増す広域紋別病院と地域医療の現状、訪問介護など介護保険事業の現状、高齢者など交通弱者をなくす公共交通の課題、子どもの成長に応じた切れ目のない相談・支援体制の構築、みどり保育所の閉所問題と子どもの権利について、就学援助の拡大など教育費負担の軽減対策、不登校児童生徒の現状ときめ細かい支援対策、学校統廃合問題の現状と課題、高等養護学校との連携と障害者の雇用の拡大、国保税の引き上げによる影響と打開策、市職員による贈収賄事件にみる市役所の現状と百条委員会の取り組み、ふるさと納税の現状とその使われ方、などなど

 資料を見返し準備する中で、1年間とは言え、いろいろと取り上げてきたんだな、とあらためて実感します。

 会場のみなさんからも様々な意見や要望を出していただきました。

 市議会が何をやっているかわからない、もっと見える議会にしてほしい。広域紋別病院の医師が少なく不安だ。みどり保育所の廃止や学校の統廃合問題で、市民への説明や理解を得る取り組みがないのではないか。などなど。

 どれも、切実で的を射た意見です。

 こんな質問もありました。「このような報告会をやっている議員さんて、他にいるんですか」と。

 他の議員の様子はわかりませんが、こうやって議会での取り組みをみなさんに知ってもらうことは、大きな意味があると感じています。

 また、機会を見つけて「市政報告会」を開催したいと思います。その時は、ぜひ、ご参加ください。


(「オホーツク民報 5月25日付 『野村淳一のかけある記』より)

※その後、10月13日にも「市政報告会」を開催しました。

2025年備忘録②~義母が亡くなって・・・

  


2025年4月2日、札幌にいる義母が亡くなりました。享年94歳。

 見事なまでに全うした天寿でした。

 ささやかでも、どこかほっこりする身内だけの葬儀でした。

 最後まで道内各地で保健師として働き続けた人でした。

 まさに豪放磊落(ごうほうらいらく)をじでいく人でした。

 私も圧倒される時がしばしばでした。

 利尻町で働いていた時には、共産党の町議候補として立候補し、なんと2票差で落選、ということもありました。

 私の選挙の時にも駆けつけてくれ、私の母と一緒に楽しそうに電話で支持を広げてくれていた光景が今でも思い浮かびます。

 晩年は施設に入所し、次第に認知症も進行していきました。

 そして、静かに静かに息を引き取りました。

 たくさんの思い出が頭をよぎります。

 そして何よりも思い出すのは、そのあたたかな笑顔です。

 感謝を込めて、合掌


(「オホーツク民報 4月20日付 『野村淳一のかけある記』より)

2025年備忘録①~遠軽に大型風力発電所計画が・・・

  2025年2月8日、「遠軽風力発電を考える会」が主催する「風力発電を考える学習会」に参加してきました。

 現在、遠軽町では大規模な風力発電計画が持ち上がっています。

 青森市の「青天ウインドファーム合同会社」が、遠軽町の社名淵・千代田地区の山林に、1基あたり出力4200キロワット、高さ約180メートル、ブレード(羽)の回転直径約136メートルの大型の風車を12基設置する計画で、2029年度にも着工し、32年度の営業開始を目指しています。

 町民がこの事業を知ったのが昨年の5月。会社側が提出した環境影響評価(環境アセスメント)の「方法書」に対し、地元住民などが青森市内の事業所あてに「意見書」を郵送したところ、「あて所に尋ねあたりません」の印が押されて返送されるという事態が発生し、住民の不信と不安が一気に高まりました。それを受け8月には「遠軽風力発電を考える会」が発足しました。

 私も、この問題の情報収集の段階からかかわり、考える会の運営にも協力してきました。

 何より大型の風力発電事業には不向きの地域だと思っていたオホーツク地域にも、常呂の大型風力発電事業の開始、そして遠軽町だけでなく枝幸町でも計画されています。

 もちろん、再生可能エネルギーの普及は急務です。しかし、環境や地域の産業、生活に影響が出てはなんにもなりません。住民がきちんとチェック・監視する必要があります。

 3回目となったこの日の学習会には、紋別で鳥類の観察や保護に長年携わってきた大舘和広氏による事業予定地域周辺の環境への影響や、事業の隣接地にダイオキシンを含む化学物質が埋設されていること、金鉱山跡が周辺に点在し、現在も有毒な排出水を浄化していることなどが明らかにされました。

 そもそも再生可能エネルギーを生み出す風や太陽の光、森林、河川などの資源は、過去からその地域に住む人々により守られてきた貴重な財産です。

 その財産をどう守り、どう活用するのかは、その地域にこそ権利があるのです。道外の大手資本の儲けのためだけの手段であってはならないはずです。

 発言が続き、熱いパワーを感じた学習会でした。


(「オホーツク民報」2025年2月2日付 『野村淳一のかけある記』より)

※その後、青天ウインドファームの代表取締役が別会社の破産法違反容疑で逮捕され、事業は事実上白紙となっています。

2025年1月20日月曜日

2024年備忘録⑦~養老牛温泉で・・・




 一度は行ってみたいと思っていた温泉地「養老牛温泉」を訪ねました。

 中標津町の広大な原野を進み、こんな山奥に、と不安になったところで夕闇に灯る宿の灯が見えてきます。

 今日の宿は、養老牛温泉で唯一の宿となった「湯宿だいいち」です。

 実はこの養老牛温泉は、私の大好きな映画「男はつらいよ」(シリーズ33作、夜霧にむせぶ寅次郎)のロケ地にもなった場所。

 それだけでなく、映画「釣りバカ日誌20ファイナル」の舞台ともなった場所なのです。

 どちらの作品も監督した山田洋二氏のお気に入りの地だったようです。

 確かに、標津川のせせらぎと山奥の冷涼とした雰囲気は秘湯そのもの。

 いまでも、ひっそりとロケ地だったことを示す碑が建っていました。

 旅立つ朝、「湯宿だいいち」の大女将と話す機会がありました。

 コロナ禍で環境が大きく変わったこと、冬には野鳥を観察しに海外からも客が来ること、女優の倍賞千恵子さんの別荘が中標津にあり時折旅館にも見えられることなど。

 中でも話に花が咲いたのは、外国人労働者と日本語学校のことでした。

 この旅館でも人手不足のため多くの外国人が働いていました。

 大女将いわく、「それぞれにお国柄があって、それに応じた指導が必要で、それが大変」なのだそうです。

 それでも、カタコトの日本語ながら一生懸命接してくれる若い外国人のスタッフたちはさわやかでした。

 そんな話から大女将の息子さん(現在の旅館の社長)が中標津町にある民間の日本語学校の理事を勤めていることがわかりました。

 「紋別でも公立の日本語学校をつくる動きもあるんです」と話すと関心を寄せてくれました。

 人口が減る中で、労働力を確保するためには外国人の力がどうしても必要になってきています。

 紋別市にも、すでに800人を超える外国人が働き暮らしています。まさに、異文化共生の新しいステージが始まっています。

 「またのお越しを」「ぜひ」と、最後まで見送ってくれた大女将を背に、車を走らせました。

(「オホーツク民報」11月17日付 『野村淳一のかけある記』より)


 

2024年備忘録④~北見市「庶務支援課」を訪問して

北見市庶務支援課


 5月の23日、北見市役所を訪問してきました。今年度新しくできた「庶務支援課」を視察するためです。

 4月17日付けの道新に、こんなタイトルの記事が掲載されました。

 『北見市の庶務支援課、パロポ内に開設。障害者雇用の定着図る』

 そこでは、市役所で雇用した障害者だけの課をつくり、障害者に適した仕事を職場内からピックアップし、その適正に応じて自分のペースで仕事をしてもらう、というものです。

 「どういうことなのだろう」と興味をもった私は、早速電話でアポを取り、お邪魔したというわけです。

 昨年オープンした真新しい北見市役所。そこで横井課長と待ち合わせです。案内されたのは、隣のパラポ。いまでもテナントが入る商業施設ですが、その7階にめざす庶務支援課がありました。

 部屋のは3つのテーブルの島があり、3人の職員・支援員で10人の障害者と働いています。

 その部屋の一角に、防音を施した個室的なスペースがあります。照明を落とし横にもなることもできストレスがたまってきたときの避難場所だそうです。さすが障害者の特性を配慮していると感心。その場所を借りての懇談となりました。

 紋別市もそうですが、北見市も国が定めた障害者の雇用率に届かず苦慮していたといいます。そこで考え出したのが、この庶務支援課の仕組みです。

 障害者を各部署の配属しても、どうしても孤立しやすく定着しずらい。ならば、みんなが一緒の中で自分のペースで働ける環境と仕事をつくろう。そのための仕事を一年かけて市役所内を調査したといいます。

 グッズの袋詰め、紙資料のデータ化、パンフレットの整理、保管期間切れ文書の廃棄作業などなど。どれも職員が残業しながらやっていた作業です。これをここでこなしているのです。

 職員からも喜ばれ、市役所全体の働き方改革にも寄与しているといいます。

 「でも、始まったばかり。これからですよ」と横井課長は笑顔で話します。

 紋別の高等養護学校の卒業生をはじめ、多くの障害者の就労場として、紋別市役所にも同様の取り組みが必要ではないか。今回の一般質問のテーマとなりました。

(「オホーツク民報」6月9日付 『野村淳一のかけある記』より)


 

2024年備忘録②~100条委員会の設置へ

 3月議会も終わり、ちょっとほっとしています。が、そうも言ってられないのが「100条委員会」です。

 2月に公表された「紋別市不正事案等に関する最終報告書」で明らかになった様々な事実と不適切な行為の数々。

 その内容に言葉を失いました。

 紋別市は、一昨年の12月に元市職員の逮捕によって明るみに出た「不正な契約」と「空港利用に係る不正な支出」について、2名の弁護士を加えた調査委員会を発足させ、検証作業を続けてきました。

 そこには、逮捕されたYの知人のコンサル会社と無理やり契約するために、市の担当部署全体で法令違反ともいえる便宜を図ってきたこと。

 東京便の確保という名目でYの言いなりになり、Yの関連企業に巨額な資金を支出していたこと。などが明らかになったのです。

 しかし、その要因と背景、使途不明金3億円余りの行方などが解明されたわけではありません。

 というより、ますます疑問点が増えたという印象なのです。

 しかし紋別市は、これ以上の調査はせず、いくつかの再発防止の実施と、宮川市長の減給処分で決着との考え。

 そこで、忖度も癒着もない、風通しの良い市役所をつくるためにも、今回の不正事件の原因と背景をしっかり解明することが必要だ。市がやらないのなら、市議会がやる。

 ということで「100条委員会」の設置に向けた準備が始まりました。

 「100条委員会」は、地方自治法100条にもとづいて設置される特別委員会で、関係者の出頭や証言を求めることができ、証言の拒否や虚偽の証言に対しては罰則が定められている権限の強い委員会です。

 市議会会派「市民の声」の山崎議員が100条委員会設置の動議を提出。

 私も賛成者に名を連ねました。

 採決では、賛成10、反対5の賛成多数で可決され、設置が決まりました。

 その後、設置に反対した5人の議員が委員を辞退。議長を含めた11人の議員で調査を始めることになりました。

 声の大きな者だけが幅を利かす。そんな委縮した市役所であってはならない。常に市民を真ん中にした「市役所再生」に向け「100条委員会」の活動が始まります。

(「オホーツク民報」3月31日付 『野村淳一のかけある記』より)