2026年5月15日金曜日

高齢者への補聴器購入に助成が実現!

  高齢者への補聴器購入への助成制度の実施は、これまでも何度なく議会で取り上げ、その実施を求めてきました。

 それが、この4月から実施され、事業がスタートしました。

 身体障害者の対象とならない高齢者の軽度・中等度難聴者にとって耳の聞こえは、フレイル(加齢による心身の活力低下)や認知症の予防の観点からも、聞こえの改善は重要であり、有効です。

 とはいえ、補聴器も高価であり、そう簡単に手が出ないのが実際です。

 その意味からも、道内ではすでに30を超える市町村で中等度難聴者への補聴器購入の助成制度を実施しています。

 高齢になっても健康で暮らせるための街づくりは、市営運営の基本です。

 昨年の12月議会で、ぜひ紋別市でも実施すべきだ、と取り上げ、実施を求めたこの助成制度が、この4月からスタートしたのです。

 事業の内容は下記の通りです。一人でも、多くの方が利用し、安心して元気で暮らせる街になればと期待しています。




国保税、ついに引き下げへ~長年の訴えが実現へ

  昨年の12月議会での私の一般質問で、国保税の引き下げを求めたのに対し、山崎市長は国保税を引き下げる方針を明らかにし、令和8年度予算で正式に国保税の引き下げが決定しました。

 紋別市の国保加入者は約2600世帯、3800人で、その多くが個人事業主と年金生活者で占められています。

 そんな中、紋別市は令和6・7年度と連続して国保税を引き上げました。

 その結果、所得割(課税所得にかかる賦課率)と均等割(個人にかかる税額)で道内35市でトップの高さとなり、平等割(世帯にかかる税額)でも3位の高さで、道内35市で最も高い国保税となっていたのです。

 この問題で12月議会で私は、道が毎年示す「市町村標準保険料率」を取り上げ、次のように追求しました。

 (「標準保険料率」とは、北海道が全道統一の算定基準に基づいて各市町村の標準的な保険料率を示したものです。ただ実際は、各市町村は自主的に税額を決定しています。)

 「令和6年度までは標準保険料率を下回る税額だったものが、令和7年度の引き上げで、この標準保険料率を大きく上回る結果になった。このような事態になっているのは35市の中で紋別市だけだ。基本的に標準保険料率は、道に収める納付金の額を賄うために算定されたものであり、標準保険料率を超える国保税を加入者に強いる理由はないし、その必要性もないはずだ。現在の国保税を標準保険料率に戻すだけで、国保税を引き下げることができるはずだ。激しい物価高が続く中で、加入者の負担は限界だ。国保税の引き下げは待ったなしだ」と。

 これに対し山崎市長は「加入者や収納率の減少で標準保険料率を超える税率改正を余儀なくされたところだ。令和8年度については、税率を標準保険料率まで戻すことを目標に、加入者の負担が軽減されるよう対策を講じていく」と答弁し、国保税の引き下げる方針を明らかにしたのです。

 これを受けて私は思わず、こう発言しました。

 「私の議員生活30年を通して、国保税の軽減を繰り返し訴えてきた。そのつど、一般会計からの繰り入れはしないとされ、一人、国保税の引き上げに反対し続けてきた。しかし、今の山崎市長の答弁を聞いて、国保税に対する市の考え方が大きく変わったととらえている。市民負担の軽減を第一にした山崎市長の答弁に感動している」と。

 令和8年度の国保税の加入者軽減額は、4400万円に上ります。

2026年5月7日木曜日

2025年備忘録⑦~「まおい学びのさと小学校」

 

まおい学びのさと小学校

 2025年10月20日、長沼町にある私立小学校「まおい学びのさと小学校」を視察してきました。

 2023年に開校したばかりの小学校ですが、必ず行ってみたいと思っていた学校なのです。

 なにせ、その教育方針が公立の小学校とでは180度違うのです。

 それを肌で感じたくて、ワクワクしながら校門をくぐりました。

 校舎に入ってすぐに感じるのは、とにかくにぎやかなことです。廊下からも、教室からも子どもたちの声と歓声が聞こえてきます。しかも、玄関には靴が脱ぎ散らかせたまま。これが日常なのか?

 まずは、学校側からの説明がありました。

 『まずは子どもを幸福にしよう。すべてはその後に続く』。イギリスの教育実践家ニイルの言葉です。これこそ、この学校の理念だと言います。

 ここでは、子どもの「やりたい」「知りたい」を引き出し、体験を通して身につける体験型学習を実践しています。

 「ものづくり」「料理」「演劇」「農業・畜産」の4つのプロジェクトに、1年生から6年生までが一つのクラスで活動します。

 体験で学ぶとは、言われてやるのではなく、話し合い協力し合い実践してこそ分かるもの。

 結論を押し付けず、いつも問いかけを重視することが大切だと言います。

 もちろん、基礎学習の時間もしっかり保証されています。

「農業・畜産」の授業風景

 「農業・畜産」の授業を見学しました。地元の養鶏業者の方を囲んで、子どもたちが盛んに質問しています。

 「鶏のエサ代はいくらですか?」「一日、300円ぐらいかな」「何羽飼ってるんですか?」「2000羽かな」。

 そこで先生が「じゃあ、一日のエサ代はいくらになるのかな」と、子どもたちに問いかけます。こんどは算数の授業です。

 そうやって、体験の中から基礎学力をつけていく。みんな目を輝かせて考えます。

 ここには、通知表も宿題もありません。子どもの発達は、まさにそれぞれです。

 いまは学習についていけなくても、必ず飛躍するときがくる。待つ、任せることが大事。

 玄関の靴も、片づけを強制するのではなく、これでいいのかと気づくとき、考えるときが必ず来ます。それを待つのです。と、明るく言います。

 そんな、にぎやかな子どもたちの声が、とてもいとおしく感じた訪問となりました。


(「オホーツク民報」2025年12月7日付 『野村淳一のかけある記』より)

 

2025年備忘録⑦~一泊二日の一人旅

  2025年9月28・29日と一人旅に出かけました。

 旅の最大の目的は音威子府の駅そばを食べることです。独特のそばで、一度は閉店したものの再度復活したと聞いたからです。一度は食べてみたかったのです。

 

旧仁宇布駅 今はトロッコ王国に

 まずは雄武町から美深町へ。途中、仁宇布に立ち寄りました。かつて国鉄美幸線の駅があった場所で、現在はトロッコ王国で有名です。

 ここで珍しいものを手に入れました。廃止された国鉄の当時の時刻表が網羅されたクリアファイルです。

 ありました。名寄本線6時32分発札幌行の急行紋別。なつかしさがこみ上げます。

レストランBSB

クラフトビールを製造

 美深町では「BSB」というレンガ造りのレストランでランチ。クラフトビールも作っています。

 ここの店員さん、「このビールが好きすぎて、移住してここで働いているんです」と。

 買わないわけにはいきませんよね。

アートビレッジ恩根内

松浦武四郎の資料室

 次に訪れたのは「アートビレッジ恩根内」。

 2度目の訪問です。

 廃校を活用し、ご夫婦でカファを営んでいます。

 ただすごいのは、教室を利用したアイヌ関連の資料室、松浦武四郎の資料室、そして機織り機の数々。趣味は高じて、いまやプロ顔負けの博物館です。

 コーヒーを飲みながら、ご主人と歴史やまちづくりを語らうのは、時間を忘れ楽しいものです。

 いよいよ音威子府村です。駅についてガーン。駅そばがやってない。21日でいったん閉店し、10月からふたたび再開するのだそうです。これは仕方がありません。また、いつかの機会に・・・

 その足で中頓別町へ。ここに、この町に似つかわしくない(失礼)しゃれたカファのヤマフクコーヒーさんがあります。

 自家焙煎のコーヒーで一休み。ヤマフク自家製の焼き菓子をお土産に。

 そしてこの日は、猿払村まで足を延ばし、ホテルサルフツで宿泊。ホタテづくしの食事に舌鼓。

 翌日は、草原の中をまっすぐに伸びるエサヌカ線を走り、浜頓別町のクッチャラ湖へ。

ホテルサルフツ


エサヌカ線
 

 ここでは、湖周辺の森林を管理し自然保護に従事している「NPO法人エコワーカーズ」を訪問しました。

 ここでも、環境問題でしばし話に花が咲きました。

 最後は枝幸町の食堂うみ蔵でランチと珍しい逸品の日本酒を購入。

 さてさて、一泊二日の一人旅でした。


(「オホーツク民報」2025年10月12日付 『野村淳一のかけある記』より)


2025年備忘録⑥~「笹の墓標強制労働博物館」を訪ねて

笹の墓標強制労働博物館

博物館の展示

博物館の展示

 2025年のお盆は、墓参りを済ませ、士別市の岩尾内湖にある白樺キャンプ場で17年ぶりのキャンプをしてきました。

 子どもたちが家を出た後、なかなかキャンプに出かける機会がありませんでした。でも、久しぶりのキャンプはやはり気分も解放され、楽しいものです。

 翌日、幌加内町の朱鞠内湖まで足を延ばしました。ここに、行ってみたい場所があったからです。

 昨年9月に再建された「笹の墓標強制労働博物館」がそれです。

 朱鞠内湖は全国でも一番面積の広い人造湖です。1935年、苫小牧の製紙工場の電力を供給するためにダム建設が始まります。

 原生林に覆われ、寒さ厳しい土地で工事は困難を極めます。

 同時に、建設物資を運搬するために国鉄深名線の建設工事も並行して行われました。

 その中に、強制的に連行された朝鮮人やタコと呼ばれた日本人が多数存在し、200人を超える犠牲者があったと言われています。

 死者は共同墓地のはずれに埋められ、生い茂る笹だけが墓標となっていたのです。

 76年に深川氏の僧侶が、朱鞠内湖ふもとにある光顕寺で80基余りの位牌を発見したのを機に、遺骨発掘調査が始まります。

 やがてこの活動は、日本人だけでなく在日コリアンなどの若者たちも加わり「NPO法人東アジア市民ネットワーク」として、国境を越えた運動になっていきます。

 その当時、紋別にあった道都大学でもゼミの一つがこの活動に参加し、多くの学生が遺骨調査に参加していたのを記憶しています。

 2015年、朝鮮人の遺骨115体が故国に奉還されました。

 その光顕寺が2020年に積雪のため倒壊。それが昨年、多くの募金を得て「笹の墓標強制労働博物館」として再建されたのです。

 施設内にはこれまでの経過とともに、北海道開拓における朝鮮人などの強制労働の実態や歴史も展示され、あらためて過去を学ぶことの重要性を認識させられます。

 こういう犠牲のもとに今の北海道があること、その歴史と事実にしっかり向き合うこと、それ抜きに新しい時代は築けません。

 いまだに存在する朝鮮人や中国人への差別意識、それを増長するかのような昨今の排外主義の台頭。

 まさにこの博物館は、それらへの警鐘でもあるのです。


(「オホーツク民報」2025年8月24日付 『野村淳一のかけある記』より)


 

2025年備忘録⑤~一日だけの定例市議会

  2025年6月27日、一日だけの「第2回定例市議会」が開催されました。

 6月29日で任期満了を迎える宮川市長に対して一般質問を行うことができないため、一日だけの議会となったのです。

 しかし、感慨深い議会となりました。

 その議会冒頭で、市議会議員30年の表彰を受けました。紋別市議会では、私と飯田弘明議員の二人が対象です。

 36歳で初当選してから8期30年(2期目で1回落選)。

これまでよく続けてこれたな、と言うのが率直な思いです。

 「革新ホープ」と言われた時代から、私も今年で70歳を迎えようとしています。ここまでこれたのも、私を支えてくれた家族、党員、後援会員、そして多くの市民の皆さんのおかげだとつくづく思います。

 とはいえ、議員活動は続きます。

 まだ調査を継続している百条委員会で、今度私が副委員長に就任することになりました。

 新しい山崎市政の下でも、発言し行動する議員として頑張らなければ、と気を引き締めています。

 すべての議事が終結した後、最後に宮川市長による退任のあいさつがありました。

 それを聞きながら、市長がまだ議員だった時代から一緒に活動してきたことが思い出されました。

 20年前の赤井市長時代、次の市長選挙をどうするか、このまま無投票でいいのか、など熱く語ったことを。

 そのとき、宮川氏は連合の推薦を受けて立候補。見事、当選しました。

 その翌日、我が家に顔を出し「受かったじゃあ」とはにかんだことを。

 道立病院から広域病院へ、急病センターの開設と、医療の問題ではよく議論したことを。

 子どもの医療費の無料化や学校給食の無償化など、私がしつこく取り上げてきた内容を実現してくれたことを。

 そして最後に、百条委員会の市長への証人喚問で、私が尋問を担当したことを。

 宮川市長が最後に「長きにわたり本当にありがとうございました」と締めくくると、拍手とともに傍聴席から「市長、おつかれさま」という声がかかりました。

 意見の違いはありつつも、一時代をともにしてきた同志として、私も「おつかれさまでした」と心の中でつぶやきました。


(「オホーツク民報 2025年7月6日付 『野村淳一のかけある記』より)


2026年5月6日水曜日

2025年備忘録④~花咲港小学校「インクルーシブ教育」を視察して

花咲港小学校

高田校長による説明

授業風景

  根室市の花咲港小学校を視察してきました。

 全校生徒10名の小規模校です。しかしここでは、全国でもまれ、全道でも唯一の教育実践を行っています。

 それが「インクルーシブ教育です。

 「インクルーシブ教育」とは、一般的に障害のある子どもとない子どもが共に学ぶ教育とされ、さらに根室市では、学習の進め方やペースの違いを一人ひとりの個性と価値観として認め、自分らしくあるための選択や決定を尊重する教育としています。

 私自身、インクルーシブ教育の重要性や必要性を感じていましたが、それがどのように教育の現場で実践されているのか、なかなかイメージが持てないでいました。

 そんな中、新聞記事で根室市立花咲港小学校の存在を知ったのです。

 これは行くしかない。と決め、やっと視察が実現したのです。そして、驚くことばかりでした。

 まず戸惑ったのが、根室市の教育長自らが説明に立ったことです。

 波岸教育長曰く、私がこの仕組みをつくった当事者だからというわけで、インクルーシブ教育導入のいきさつや、その理解を広げる努力、教師や保護者との連携など熱い話が続きました。

 次に、高田校長による実際の教育現場での実践が語られました。ここでも思いのこもった話に圧倒されました。

 とにかく、これまでの学校教育との違いにびっくりの連続です。

 まず、教室という概念がないのです。そのうえ、時間割もないのです。

 あるのは、1・2年生の低学年ユニット、3年生上の高学年ユニットだけで、特に高学年は自分自身で時間割を考え、自分に合った順番と場所で学習を進め、教師はそれぞれの状況に応じて支援するという仕組みです。

 ですから、学ぶ教科、順序、ペース、学ぶ場所を自ら選択して、学びを深めていく。

 特別支援学級の児童も、当然専門的な指導を受けながらも、基本は同じ仕組みで、いつも同じみんなの中にいるのです。

 次々出てくるびっくりする事例に、私も質問しっぱなし。

 しまいには時間が足りなくなって、その夜も教育長のお誘いで場所を変えて意見交換へ。

 地元の地酒「北の勝」を酌み交わしながら・・・


(「オホーツク民報」6月8日付 『野村淳一のかけある記』より)