2026年8月24日月曜日

百条委員会ものがたり⑥~報告書のポイント

  今回から、いよいよ百条委員会の報告書の内容をポイントを絞って紹介していきます。

 まずは、避暑地化推進基本計画策定業務委託の発注・契約に係る市役所の組織ぐるみの不適切・不正な取り組みの実態解明から始めます。

 報告書では、これまでの調査で鮮明になった主な事項と論点として、次の10項目を取り上げ報告しています。


①株式会社ドーコンから株式会社ジェイハットへの突然の転換に対する違和感と中島氏の関与

 宮川前市長の主要政策として平成27年度からスタートした『避暑地化推進事業(主に首都圏の富裕層を中心に誘客し、交流人口を増やす事業)』は、株式会社ドーコンによって構想策定が進められていた。

 ところが令和3年1月担当課は、宮川前市長からドーコンから別のコンサルタントに変更するよう突然指示され、中島和彦観光連携室長(当時)に相談するよう命じられた。

 その指示を受けた前副市長が中島氏に連絡を入れると、即座に株式会社ジェイハットを紹介された。

 その際、副市長はあまりの早い中島氏の対応に違和感を覚えたと言う。

 事実、中島氏の供述調書により、以前から宮川前市長と中島氏との間でコンサルタント会社に関する話が交わされていたことが明らかとなり、中島氏は市側から相談の連絡が来ることを知っていたと思われる。

 さらに宮川前市長は証人尋問で、中島氏から「副市長に言われたことについて、ジェイハットを紹介しました」というメールを受け取ったと証言している。 

 ジェイハットの社長は中島氏の知人である。

 これらのことから、本委員会としても前副市長と同様に『違和感』を持つものである。


②はじめからジェイハットありきの不適切な癒着が継続された

 その後、ジェイハット側と避暑地化事業に関するアドバイザー契約を結ぶ方針で、ジェイハット社長らの紋別視察、毎週のオンライン会議、ジェイハット職員の市役所内の常駐化などが続いた。

 しかしこれらは正規の契約もないまま、ひたすらジェイハットありきで進められたもので、ジェイハット職員は庁内の会議にも参加するなど、職務管理の上からも不正常な状況が続いていた。

 そこに疑問を持つ職員もいたが「ジェイハットを逃したら避暑地化事業は失敗する」「中島氏の紹介であり、市長も認めている結論だから」逆らえないとの認識が、市役所全体に根強ったと考えられる。


③市職員人事の公平性を阻害する恣意的介入が市の外部から行われた

 令和3年2月、避暑地化事業の中心的役割を担い、のちに贈収賄事件で逮捕された岩井智広土木課長(当時)の観光連携室長(部長職)への昇格人事が、当時の紋別観光振興公社社長の棚橋一直氏による宮川前市長への強い口利きによって実現した事実が、岩井氏、棚橋氏、宮川前市長ら3名の証人尋問によって明らかになった。

 公正公平であるべき市の幹部人事が、市の部外者の介入と思惑により左右されていた事実は、極めて重大な事態だと言える。


④「紋別市倫理条例」に抵触する可能性と背景

  令和3年6月と10月、岩井氏と担当職員はジェイハットとの打ち合わせのため東京に出張している。

 その時の模様を記録した職員の記録を入手した。

 そこには次のような記述があった。

 『6月の時は赤坂のフレンチで会食した。自分でお金は払っていない。会食後、会員制のバーに連れて行かれた。ジェイハットの社長に、職員さんは300万円、岩井さんには1000万円、やっぱり仕事には対価が必要だから、と言われ怖くなった』

 このメモの内容について岩井氏は「わかりません」と証言し、肯定も否定もしていない。

 しかし、ジェイハットによる供応接待を受けたと判断でき、紋別市倫理条例に違反していると考えられる。

 同時に、ここに記されているジェイハット社長の対価ついての話は、まさに金による支配の姿であり、避暑地化事業が次第に歪んでいく象徴的な出来事だと言える。(もちろん、このような金銭の流れは存在しない)


⑤中島元観光連携室長による「地方公務員法第38条の2」に違反する行為が繰り返され、市役所全体がそれに追従した

 「地方公務員法第38条の2」では、退職後2年間は退職者による役所内での働きかけを禁止しており、違反者には罰則も科せられる。

 しかし中島氏は、令和3年4月に市役所を退職後も岩井氏を通じてジェイハット社長の意をくむよう働きかけ続けただけでなく、「迷惑をかけた」などとして18万円の現金を手渡し、岩井氏もこれを受領している。(これが贈収賄事件として逮捕された)

 また中島氏の供述によると、ジェイハット社長から避暑地化推進基本計画の策定業務をジェイハットから、社長の個人会社である「アキラ」に変更したいとの意向を受け、宮川前市長や岩井氏に働きかけ、了解を得たとしている。

 さらに「アキラ」への変更に難色を示す市側に対し、高圧的な態度で押し切っている。

 これら一連の中島氏の動きは明確に「地方公務員法第38の2」違反である。

 そこには、中島氏が退職してもなお、市役所に絶大な影響力と圧力を持っていたことがわかる。

 同時に、ただ中島氏に追従しきった市側の姿勢もまた厳しく指弾される。


⑥「公共工事の入札・契約の適正化」についての閣議決定において、ペーパーカンパニーは排除すべき対象になっているもとで、その疑いが濃い「アキラ」との委託契約を締結した

 避暑地化推進基本計画を委託することになった「アキラ」に関し「ジェイハット社長の税金対策のための個人会社で、事業などやっていないのではないか」「実績もないアキラと契約すれば、実体のない会社と契約したと問題になる」「ペーパーカンパニーと言う認識はあった」などの証言が得られているだけでなく、宮川前市長自身「アキラ」に対し「これ金流す会社だべ、分かるべやしたっけ」と発言したとする複数人からの証言が得られた。

 宮川前市長は「記憶にない」としているが、他の証言内容から本委員会として、この発言は事実だと判断せざるを得ない。

 「アキラ」が単に金を流す会社、公共工事から排除すべきペーパーカンパニーの疑いが強いと、前市長自ら語ったにも等しいのである。


※今回はここまでとします。次回もまた、さらに核心を突く事実が明らかになります。

 

2026年7月31日金曜日

百条委員会ものがたり⑤

  紋別市不正事案等調査特別委員会(百条委員会)は最終的な調査の結果を、市議会議長に提出し、市議会に報告することで終了となります。

 したがって、議長に提出する最終報告書の作成が百条委員会にとって最大で最後の仕事となるのです。

 これまで2年にわたり調査をしてきた内容、明らかになった事実、そこにある背景と要因、責任の所在、そして百条委員会としての判断と結論、そのうえでの再発防止に向けた提言。これらをまとめる作業が待ち構えているのです。

 当初は、年度内に終結させる予定で、今年の3月議会での報告を検討していましたが、新たな事実が出てくるなどで、議員の任期が満了する前の6月議会で報告することをリミットに作成作業が進められました。

 百条委員会の調査項目は2つあります。

 一つは、避暑地化推進基本計画策定業務の入札・契約についての市役所ぐるみの不正行為について。

 もう一つは、紋別空港利用促進協議会と紋別観光振興公社の不透明な支出についてです。

 この二つのうち、避暑地化事業については副委員長である私が、空港関連については委員長の加藤裕貴議員が、それぞれ分担し、文章化することにしました。

 そこでまず私は、これまでの証人尋問の議事録、紋別市が行った検証調査の聞き取り資料、避暑地化事業に関する市の資料、そして中島氏らの供述調書と裁判記録などを、あらためて読み込むことから始めました。

 そこから見えてきたのは、公平であるべき入札が市役所ぐるみの数々の不正行為でゆがめられた事実であり、それが漫然と繰り返され常態化した姿でした。

 なぜそんな不正行為が繰り返されたのか、それがなぜ市役所ぐるみとの行為となったのか、その事実を市の理事者はどこまで知っていたのか、そしてなぜその不正行為を止められなかったのか、そこに市役所としての体制上・体質上の問題はなかったのかー解明すべき課題は数多くありました。

 本格的な作成作業は2月ごろから始まりました。膨大な資料の中からポイントをどこに絞るか、全体の構成と流れをどう構築するか、できるだけ証言と資料を重ね客観的事実をどう導き出せるか、そのうえでどう結論づけるかー一筋縄ではいかない作業が続きました。

 最終的に次のような流れにしました。

 これまでの調査で鮮明になった主な事項と論点として10項目、なぜこのような事態が起こったのか、その背景と問題点として3項目、そして空港関連も含め再発防止と是正措置として大きく4項目の提言をまとめ上げました。

 そして私が作ったこの案を百条委員会のメンバーに諮り意見をもらい、修正を図る。という作業が繰り返し続きました。同時に、顧問としての伊藤弁護士からの法的アドバイスも、幾度となくメールでやり取りを行いました。

 これらの作業は当然、加藤委員長が担当した空港関連でも同じです。何十ページにも及ぶ文書のやり取りが、二人の間で繰り返されました。

 次第に方向性が見えてきた中で、最後まで議論のポイントになったのは次の点でした。

 避暑地化事業では、入札に係る市役所ぐるみの不正行為が「入札の公平を害する行為」を厳しく規制した『官製談合防止法第8条』に違反すると認定できるかどうかということであり、それらを事実上放置した理事者の責任をどう判断するか、ということでした。

 一方、空港利用促進事業における不透明な支出については、中島氏の個人会社に多額の資金が流入した事実について、当時の関係者・上司の責任をどう図るかということであり、資料を偽造することによって収入を得ようとしていた中島氏について刑事・民事を含めた法的措置をどう判断するかということでした。

 それらについて百条委員会での議論と検討を経て、最終的に70ページにも及ぶ報告者がまとまったのは、5月の半ばでした。

 次回以降、その報告書のポイントを紹介していきます。

2026年7月17日金曜日

百条委員会ものがたり④

 

6月議会で最終報告を提案する加藤百委員会委員長

 当時、紋別観光振興公社副社長であった中島和彦氏の個人会社・中島コンサルタントに、紋別空港利用促進協議会及び紋別観光振興公社を経由して流入した紋別市のエージェント対策費(販売奨励金)の額は、令和元年から4年までで少なくとも3億3285万円に上ります。

 これはすべて、東京紋別便の空路の存続のため、搭乗者を増やす経費として計上された市の予算であり、市民の税金です。

 それらが全て、国税の調査によって中島氏の「接待交際費」であったと認定されたのです。

 搭乗対策などに、まったく使われていなかったのです。

 ではなぜ、それが可能だったのか、4年間も続いたのか、私たち百条委員会の調査のポイントはそこにありました。

 百条委員会が提出を求めた数多くの資料の中に、ANAが発行した『東京紋別線搭乗実績(確定版)』(以下「実績表」)と題する2枚のペーパーがありました。

 市のエージェント対策費は搭乗者1席あたり2500円~1万円を単価に、搭乗実績に応じて支払われており、その根拠となるのが、このANAの「実績表」だったのです。

 しかし、この「実績表」に不審な点を見つけたのです。

 その一つが、1枚の「実績表」のANAの作成名義人が、中島氏の個人会社の役員名と同姓同名だったのです。

 二つには、「実績表」に押印されている印が、ANAの公印と異なるのではないかという疑問。

 そして三つには、もう1枚の「実績表」の印も、通常使用されない手書き航空券用のバリデーションスタンプだと考えられたことです。

 これらはいずれも、支出根拠としての信用性を左右するものです。そこで百条委員会として、その信用性を確認するため、ANAに対し質問状を送付したのです。

 当初私たちは、天下の大企業であるANAが、こんなことで取り合ってくれるのだろうかと半信半疑でした。

 しかし、これこそANAです。法規の専門部署がチームを作って調査に乗り出してくれたのです。

 ANAの最終的な調査結果が届いたのは3月31日。そこには、衝撃的な事実が記述されていたのです。

 まず、同姓同名の人物については、ANAの社員であるとともに中島氏の個人会社の役員でもあること。ANAの公印とされる印はANAの正式な印章ではなく、同姓同名の人物も押捺していないこと。「実績表」に書かれた実績数の総数に差異はないが、団体・個人などの内訳の数値に違いがあること。が明らかになったのです。

 さらに、「実績表」を作成した同姓同名の人物による陳述書も提出されました。それもまた、驚きの内容でした。

 「中島氏から昼夜を問わない連絡、即時対応の要求、応じなければ激しい叱責を受けることへの恐怖、さらには上司や組織に悪影響が及ぶことへの不安の中で、精神的に追い詰められ、正常な判断が困難な状態に置かれていた」とする内容で、中島氏の強い要請で役員に就いたこと、中島氏の指示で数字を書き換えたこと、押印していない「実績表」を中島氏に渡していたこと、なども明らかになりました。

 結局、中島氏は自分の個人会社に都合の良いように個人客を増やすなど数字を書き換えさせ、印のない「実績表」を受け取り、自分でANAの印を押してANAから来た「実績表」に見せかけていた。そうやって偽造の「実績表」で、収入を得ていた構図がついに見えたのです。

 最後に証人尋問に立った紋別タッチをけん引してきたパラダイス山元氏の証言も衝撃でした。

 紋別タッチを進めるため紋別市の情報をSNSで積極的に発信してきた山元氏の努力を、中島氏が勝手にSNS対策費という名目の経費を作り、あたかも自分が取り組んできたかのように、自らの会社に2000万円を要求し、それを手に入れていたのです。

 徐々に実態が見えてきました。しかし、それがなぜ4年間も許され、放置され、好き勝手にされてきたのか。

 それらを含め、いよいよ最終報告書の作成が始まります。


2026年7月7日火曜日

百条委員会ものがたり③

  令和6年12月19日、第1回目の証人尋問が行われました。

 とはいえ、誰をどの順番で出頭を求めるのか、尋問の内容はどうするのか、どこにポイントを絞るのか、など準備には相当の時間を要しました。

 また、証人との関係で非公開での尋問が必要になる場合も生じました。

 失敗が許されない証人尋問。緊張の時間が続きました。

 12月19日に2名の非公開での証人尋問。令和7年1月8日、3名の証人尋問。これも非公開で実施。2月20日、岩井智広氏(元紋別市観光連携室長)、棚橋一直氏(元紋別観光振興公社社長、元紋別市副市長)の2名を証人尋問。3月21日、宮川良一氏(元紋別市長)を証人尋問。11月28日、長谷川恒氏(紋別観光振興公社社長)、パラダイス山元氏(オホーツク紋別空港利用促進関連事業関係者)の2名を証人尋問。計10名への証人尋問を行いました。

 中島和彦氏(元紋別観光振興公社副社長、元紋別市観光連携室長)にも出頭を求めましたが、医師の診断書を添えて健康上の理由で出頭できない旨の通知があり、やむなく尋問を中止しました。

 その後、中島氏には文書による質問書を2回にわたり送付しましたが、いずれも受取人不在で返送され、結局中島氏には直接話を聞けないまま終わったのです。

 ただ、贈収賄事件での中島氏の供述調書によって、その全容の断片が明らかになりました。

 私も証人尋問では、非公開を含め、岩井氏、宮川氏、長谷川氏の尋問を担当しました。

 その中でも特に宮川氏前市長への証人尋問は、事件の全局を握る人物として尋問内容も入念に準備し、裏付けも取りながら、その日に臨みました。

 ポイントは、逮捕された中島氏との関係性、入札の不正や空港利用促進経費の流れをどこまで知っていたのか、前市長による直接の指示や命令はなかったのかなど、時系列的に尋問を重ねました。

 その中で、中島氏の供述調書や他の証人の証言と食い違う点がいくつか見えてきたのです。

 当然、それらをただします。その時の前市長の証言の多くは、「それは覚えていない」「記憶にない」…、と言うものでした。

 この言葉は、翌日のマスコミ報道の見出しにもなったほど、ある意味衝撃的でした。

 私は尋問の最後に宮川前市長に「数々の不正で入札をゆがめた背景に、中島氏の言動や動きがある。法やモラルを遵守することよりも、中島氏による『人の支配』が市役所内にあったのではないか。あなたは、その中島氏を相当評価していた。それがいつしか市役所全体の体質にまでなってしまった。毅然とした態度をとらなかったあなたの責任は重い」と指摘しました。

 宮川前市長の証人尋問を終えて、避暑地化推進事業に係る入札の不正事案については一定のめどが見えてきたものの、空港利用促進事業の使途不明金については、まだ全容が解明できずにいました。

 中島氏の個人会社に3億円を超すエージェント対策費が流入していたことはつかめたものの、その使途については全く資料が無いという状況だったのです。

 ところが、令和7年8月、国税当局が紋別観光振興公社に税務調査に入り、中島氏に流れた資金は接待交際費であると認定したのです。

 ここから、私たち百条委員会の動きが一気に加速します。

2026年7月2日木曜日

百条委員会ものがたり②

紋別市議会

 
百条委員会


 避暑地化事業と空港利用促進事業にかかわる不正事案の解明に乗り出した市議会百条委員会ですが、船出はそう簡単ではありませんでした。

 まず、市議会議員全員でのスタートのはずが、5人の議員が辞退し、11人の議員での出発となったのです。

 次に取り組んだのが、調査資料の提出要請です。

 紋別市や紋別観光振興公社に関係資料の提出を求めるものです。

   その中でネックになったのが、中島氏、岩井氏の公判記録の提出でした。公判記録は閲覧しか出来ません。そのため検察庁に出向いて転記するしかありません。

 市の検証委員会は、職員による転記を行い膨大な公判記録を手に入れていました。その記録は市の公文書であり、百条委員会としてその提出を求めたのです。が、市が行う調査でのみ使用が許可されたもの、という理由で百条委員会への提出は拒否されたのです。

 しかし、その資料は絶対に必要です。そこで、百条委員会としても贈収賄事件の刑事確定記録を手に入れるため、北見市の裁判所に出向きすべてを閲覧、複写するという大作戦を決行しました。そこには、伊藤弁護士の尽力がありました。最終的に、その資料が中島氏の供述の内容を裏付ける決定的な資料となったのです。

 次の課題は、弁護士の選任です。

 今回の事件は、法的な要素が絡むためどうしても専門的な助言・アドバイスが必要です。そのため、百条委員会として顧問弁護士をつけることにしました。

 問題は、その選任です。誰でもいいというわけにはいきません。

 その選任に白羽の矢が立ったのが私でした。

 この百条委員会は不正を解明し正すためにある。そのためには不正と闘う弁護士でなければだめだ。そいう弁護士を知っているのは共産党の野村しかいない。という理由で、私が弁護士を見つけることになったのです。

 確かに「闘う弁護士」の知り合いはいるものの、自治体の百条委員会となると話は別です。まずは、札幌市の知己のある弁護士事務所に相談。すぐに若手の弁護士3人によるチームが結成され、紋別で勉強会まで開催したものの、紋別市の別の裁判との関係で、その事務所とは契約できないことが判明したのです。

 これには焦りました。急遽、つてからつてに電話をつないで、最後にたどり着いたのが、札幌協和法律事務所の伊藤誠一氏だったのです。

 私の電話での説明だけで「いいでしょう。引き受けます」と言ってくれたのです。

 後で知ったことですが、伊藤氏は札幌弁護士会会長、日弁連副会長などを歴任した方で、過労死やじん肺訴訟などに携わった、まさに闘う弁護士だったのです。

 何度となく紋別まで足を運んでいただき、弁護士料はほぼ実費のみ。最後まで、貴重なアドバイスをいただきました。伊藤弁護士なしには、あの報告書は完成していなかったでしょう。

 さて、今度は手元に届いた資料を読み込み、分析する番です。そして、論点をまとめ、いよいよ証人尋問が始まります。誰を呼ぶか、何を聞くか、その順番をどうするか、議論が続きました。

 そしてついに令和6年12月19日、1回目の証人尋問の日を迎えました。



 

2026年6月27日土曜日

百条委員会ものがたり①

百条委員会最終報告書

 6月2日から始まった2026年第2回定例市議会。その冒頭、2つの議会特別委員会の最終報告が行われました。

 一つは、議会改革特別委員会の報告。もう一つが、百条委員会の最終報告です。

 百条委員会の報告書は70ページにも及びます。それを加藤委員長が読み上げます。ほぼ2時間近くになりました。

 それを聞きながら、いろいろなことが思い出されてきます。

 これで長かった百条委員会も終わりかと思うと、やり切った感とともに、まだ少し悔いが残る気もします。

 でも、今日で決着です。

 

 それは2022年(令和4年)12月8日にさかのぼります。

 市議会が終了したその日、当時の副市長から一本の電話がありました。

 「うちの観光連携室長が収賄容疑で逮捕されました。申し訳ありません」と言うものでした。

 実は、それ以前から警察が動いているという情報が流れており、私のところにもマスコミから何件も問い合わせがきていました。

 そして、贈賄側として逮捕されたのが、紋別市観光振興公社の中島和彦副社長(当時)。前年まで、市の観光連携室長に任にあった人物です。

 捜査の中で、しだいに状況が明らかになってきます。

 避暑地化推進事業の入札に絡んで、特定企業に受注すべく不正が行われていた。その見返りに現金の授受があった。と言うものでした。

 当然それは、議会でも問題になりました。ただ、話はそれだけにとどまりませんでした。

 今度は中島氏に絡む空港利用促進事業でも、不透明な金の流れが浮かび上がってきたのです。

 そこで市議会は、これらの問題の事実を解明するよう市に要請します。

 市もこれを受け、弁護士を入れた不正事案等検証委員会を発足させます。

 そして、その検証報告書が議会に提出されたのが2024年(令和6年)2月でした。

 それは衝撃的な内容でした。

 避暑地化推進基本計画の契約に市役所ぐるみで不正を働いていたこと、空港関連経費が中島氏の関連会社に3億円以上流入していたことが、示されたのです。

 その背景に、中島氏の圧力や物言えぬ役所内の空気が指摘されました。

 しかし、市の調査はここで終了しています。

 このままでいいのか、なぜこんな事態になったのか。議会は、どうする。今度は議会が試される番です。

 そして、2024年(令和6年)3月19日、紋別市議会に、地方自治法100条に基づく「紋別不正事案等調査特別委員会」が発足したのです。


 

2026年5月23日土曜日

子育て世代と議員の懇談会



   5月17日、NPO法人はぐくみ主催による子育て世代と市議会議員との懇談会が開催されました。

 子育て中のママさん10人と議員6人が参加し、子育て中だからこそ感じる困りごとや「こんな風になったらいいな」など、ざっくばらんにたくさんの意見交換が行われました。

 児童館が休館の時の子どもの居場所がない。病後児保育の受け入れがない。学校に行かないことを選択した子や保護者へのサポートを。などなど、数多くの要望や意見が出せれました。

 私も、知らなかったこともあり、参加した他の議員さんも勉強になったと思います。

 細かく小さなことかもしませんが、一つ一つは切実です。

 しっかり受け止めたいと思いました。

 このような機会を作ってくれた「はぐくみ」さんに感謝です。

 これからも継続したいですね、と声を掛け合い閉会しました。