2017年11月30日木曜日

「地域食堂ふらっと」は元気でした

 猿払村の「楽楽心(ららはーと)」を後にした私は、稚内市役所に向かいました。

 稚内市がすすめている「子どもの貧困」対策を視察するためです。

 「子どもの貧困」が社会問題になっている現在ですが、それを正面から行政の課題として位置づけ、具体的に施策を展開しているマチはそうありません。その展開を実践しているマチが稚内市です。

 市長の市政執行方針の中でも明確に位置付けられ、子どもの貧困対策プロジェクトチームが立ち上がり、行政、学校、地域を交えて協議が進められています。

 今回、それらの内容を市の担当者から聞くことができました。


 紋別とは教育に対する経験も実践も、土台からの違いを感じましたが、大いに参考になる視察でした。

 さて翌日、もう一つの目的である「子ども食堂」の見学に行ってきました。

 これも「子ども貧困」が叫ばれる中、子どもへの食の提供と居場所づくりとして、全国的にも注目され、NPOやボランティアを中心に事業が拡大しています。

 ここ稚内市でも、昨年から「地域食堂ふらっと」として事業を開始し、今年市内2カ所目の「子ども食堂」がオープンしました。

 ぜひ、現場を見てみたいと思い、その2カ所目の「子ども食堂」にお邪魔しました。

 この日は月一度の開催日。12時のオープンを前に、調理場では仕込みの真っ最中です。


 責任者の引網さんにお話を伺いました。「前々からやってみたかったんです。そうしたら去年『地域食堂ふらっと』ができて、さっそく参加したんです。この北地域にも『ふらっと』が必要だと思い、自宅を開放して始めました。今日で2回目です。ドキドキ・ワクワクしています」と、とてもパワフルです。

 引網さんの自宅とは、天理教の分教会。ですから調理場も広く、講堂もあって会場としてはうってつけです。

 この日のメニューは、五目御飯と豚汁、カボチャのコロッケに鮭のフライ。そして、デザートはフルーツポンチ。なんとも多彩で豪華です。


 吹雪模様の中、子どもたちが集まります。この日は15人程度。小学生が中心です。


 そのほか、スタッフ・ボランティアなどの大人を含めて40人ほどの食事会が始まります。


 定時制の高校生も参加し、子どもたちと一緒に遊びます。小学校の先生方も様子を見に訪れます。近くのお年寄りも食事に訪れています。

 わきあいあいと、子どもたちの歓声が響き、スタッフやボランティアのみなさんの笑顔があふれ、あっというまの2時間でした。

 1年前、「地域食堂ふらっと」を立ち上げるために奮闘し、現在は「ふらっと」の実行委員長を務める藤本英文さんにもお話を伺いました。


 最初は藤本さん一人から始まったこの事業が、やがて賛同者が増え、様々な地域の協力が広がり、地域食堂立ち上げに至ったといいます。

 藤本さんの、その情熱と行動力には頭が下がるばかりでした。

 今では、食材などを提供してくれる企業なども増えてきているといいます。

 「子ども食堂」を通して、市民の中に、自分にできる事で参加し、自分のできるところで協力しようという輪が広がっているような気がしました。

 そこは、地域を超え、学年を超えて子どもたちが集える居場所であり、地域の人たちが交流できる場、つながる場であると実感しました。

 そして、子どもたちはもちろん、ひとり暮らしのお年寄りが増えている中、みんなで楽しく食事を作り、食事を楽しむ「地域食堂」は、極めて大きい存在だと実感しました。

 この紋別でも、必要な取り組みに違いありません。「紋別でもぜひ、頑張ってください」との藤本さんのエールを、強く受け止め、帰路につきました。




2017年11月24日金曜日

猿払村「楽楽心(ららはーと)」にて


 先週、猿払村、稚内市と視察に行ってきました。

 猿払村では、10月にオープンしたばかりの小規模多機能型居宅介護施設「楽楽心(ららはーと)」を見学してきました。

 実はこの施設、村直営なのです。道内初ということです。

 さっそく、山田センター長に案内をお願いしました。

 入ってすぐに目につくのは広いオープンスペースです。



 しかも、グランドピアノがあるのです。ちょっとびっくりです。

 この施設には、小規模多機能に加え、多世代が利用できるように地域交流施設を併設しています。放課後には子どもたちが集まって、このピアノで練習をする姿もあるといいます。そして、このフロアを活用し、ピアノの発表会も行われるそうです。

 私がお邪魔した時は、園内にある生きがい農園のメンバーが打ち合わせをしていました。楽しそうに話が弾んでいました。

 通い、泊りの定員は29人。バランスの取れた昼食も魅力です。



 カラオケルームも完備しています。
 
 感心したのがエネルギー対策です。温暖化対策として地中熱ヒートポンプシステムを採用し、床暖房に利用しているのです。村長の熱意だったようです。

 山田センター長によると、猿払村の高齢化率は23・4%と、道内では千歳市に次いで低く、高齢者も630人余りで要介護認定者も130人ほどで、みんなの様子が掌に乗っているといいます。それでも、この街を離れたくないのに離れなければならないお年寄りも多く、認知症のお年寄りも増えているといいます。

 「だからこそ、少しでも猿払で生活できるよう、本人や介護する家族を地域で支え合うまちづくりが大切です。この施設は、まさにその拠点になるものです。数年後には、この敷地の隣に新たに生活支援センターを建設し、高齢者、障害者が安心できる居住施設をめざしています」と話します。

 地域包括支援センターも併設され、まさに地域の交流のセンターとして生かされていくのでしょう。小さな町の大きな挑戦に期待です。




成年後見センターの必要性

 高齢者や障害者の権利を擁護し、たとえ判断能力が衰えても、その人の自己決定権を尊重し、すこしでも社会生活が営めるよう支援する成年後見制度の普及と活用が急がれています。

 認知症高齢者が増える中で、成年後見制度の中心的組織となる「成年後見センター」の役割と整備もまた、急務となっています。

 私も、市内の弁護士と意見交換する中で、その必要性を学び、議会でもセンターの設立を訴えました。

 そして今年の市長の市政執行方針の中で、今年度中の成年後見センター設立を明記したのです。

 そこまでは良かったのですが、今になってもその具体的な動きが見えてきません。

 そこで私も、成年後見センターとはどんなところか見てみようと思い、「北見市成年後見センター」を訪ねてみることにしました。


 北見市社会福祉協議会に併設されたこのセンターは、相談業務はもちろん、法人後見の受任をはじめ、市民後見人の養成や支援、市民向けセミナーの開催など後見制度の普及・啓発などに取り組んでいます。

 説明いただいた笹森係長は「このセンター立ち上げまでに様々な関係者と協議を重ね、1年準備にかかりました。今、市民後見人の皆さんが活躍してくれています。認知症の高齢者などへの後見支援は、ただ金銭だけの管理ではなく、生活全般への支援を伴っています。その意味からも、これからの成年後見センターの役割は、ますます重要となり、拡大すると思います」と語ります。

 そのうえで先日、ひまわり基金の田村弁護士とも懇談させていただきました。

 田村弁護士は、各地の成年後見センター立ち上げの支援をされている方です。そして、紋別でもセンター設立を強く求めている方です。

 そこでも、相談窓口の必要性、市民後見人の養成、法人後見の担い手、設立準備会の立ち上げ、などが語られました。

 どれも急がれる課題です。改めてその必要性を強く感じました。

 ひとり暮らしのお年寄りが、身寄りのいないお年寄りが、そして認知症のお年寄りが増えています。成年後見の役割は、その人が地域で暮らしていくための生活支援でもある。
あらためて、その必要性を強くしました。

興部町のバイオガスプラントを見学しました


 興部町の「興部北興バイオガスプラント」を見学してきました。

 昨年11月に稼働をはじめたこの施設。酪農の街として、家畜糞尿を活用したエネルギーの地産地消を早くから模索してきた興部町にあって、念願の施設です。

 その中身をぜひ知りたいと、遠紋地域の共産党の議員4人(岩沢武征遠軽町議、但木早苗佐呂間町議、福原峰雄雄武町議、そして私)でお邪魔しました。

 案内していただいたのは、バイオガス事業推進室の安東主事。わかりやすい説明がさわやかでした。

 
 

 酪農家で発生した家畜ふん尿は、ここ「原料受入棟」に運ばれ、地下にある発酵槽に入れられます。

 それが、発酵後の消化液とバイオガスに分離されます。

 良質な肥料となる消化液は殺菌されたのち、貯留槽に貯められます。


 この貯留槽から、さらに町内2カ所あるサテライト貯留槽に移送、貯留し、利用農家で散布します。

 一方、消化液を生成するさい、固形物も発生します。これを敷料に活用します。


 また、家畜ふん尿の発酵で発生したバイオガスは、脱硫装置でガス中に残存する硫化水素などの有害物質を除去し、民間のバイオガス発電所に提供します。


 発電設備がこれです


 これまでも家畜のふん尿はたい肥化され農地に還元されてきましたが、散布時には臭気が市街地に流れるなどの問題や、未熟のたい肥散布による草地の劣化などの問題をはらんできました。

 そこで興部町は家畜ふん尿を資源として活用し、エネルギーの地産地消に取り組む方針を定め、平成26年にバイオマス産業都市に認定されます。

 平成27年には地域バイオマス産業化整備事業補助金の交付を受け、総事業費7億円余りで平成28年10月に「北興バイオマスプラント」が完成、11月に稼働開始となったのです。

 現在、この施設を利用しているのは6戸の酪農家です。さらに、個人でバイオマスプラントを整備している農家も2戸あります。

 さらに、プラントを拡大していけるかどうかは、これからの課題だといいます。

 「稼働してまだ1年。やっと慣れてきたところです。これから実績を見極め、今後の方向性を探っていきたいと思っています。これからが頑張り時です」ーー安藤さんの言葉に、酪農の街・興部の力強さと誇りを感じました。
 

学習支援事業「ふくろう」を訪ねて

 北見市にある「オホーツク学習センター・ふくろう」にお邪魔し、いろいろと意見交換させていただきました。

 また、北見市の学習支援事業を実施してる「えぞりす」の方も同席してくれて、より参考になりました。



 「ふくろう」はNPO法人ワークフェアが運営し、道から「生活困窮世帯等学習支援事業」の委託を受け、オホーツク管内の町村を対象に生活保護家庭や生活に困窮している家庭の子どもたちを中心に学習支援をおこなっている組織です。

 また「えぞりす」も、同じくワークフェアが運営し、北見市から委託を受け学習支援を行っています。
 
 「子どもの貧困」問題が叫ばれる今、経済による学習格差、貧困の連鎖を解消するために、生活困窮者自立支援法によって「子どもの学習支援事業」が位置づけられ、市町村の任意事業となっています。

 紋別でも実施できないかと、私も議会で取り上げてきました。しかし、なかなか前に進まない中、現場の状況はどうなのか、実際に聞いてみたいと思い、北見に駆け付けました。

 いろいろお話を伺う中で、具体的なイメージを持ちことができました。

 そして最も心に響いたのが、学習支援事業は単に学力を向上させるだけではない、ということでした。学習支援という行為を通して、子ども一人一人に寄り添い、生活の困難さのなかで生まれている様々な問題にも目を配り、場合によればそのサポートも行う、まさに生活支援そのものでもあるというのです。

 子どもたちをめぐる環境は、ますます複雑で厳しくなっています。だからこそ、私たち社会がしっかり目を配り、支えていかなければならないのでしょう。

 その一つとして「学習支援事業」がある。だからこそ、この街にも急いで実施する必要がある。このことを深く心に刻んだ訪問となりました。

 

 

2017年11月16日木曜日

やっぱり『芝浜』は面白い

 今年も『柳家さん喬 紋別落語会』を開催しました。
 
 私が、落語会の実行委員長として今回で8回目を迎えました。さん喬師匠の噺を、今回もたっぷり堪能しました。

 音合わせ中のさん喬師匠です。


 ポスターとチケットです



 今回のトリは、なんと待ちに待った『芝浜』でした。
 
 何といってもさん喬師匠の「芝浜」は、何度聞いても胸に詰まります。

 さん喬師匠の「芝浜」を始めて聞いたとき、「あれっ」と少し違和感を感じたのです。

 今まで聞いた「芝浜」は、特に談志の「芝浜」とは、全くと言っていいほど印象が違うのです。

 「芝浜」の多くは、酒にだらしない亭主と威勢のいい女房のやり取りがおかしく、そして後半からは、ぐっとおさえた女房の独白がメインになるのが主流です。特に談志の「芝浜」は、啖呵のいい女房が圧巻でした。

 ところがさん喬師匠の演ずる女房は、初めからぐっと抑えた、どちらかというと線の細い女房として登場します。

 そして後半。だからこそ、意を決して独白する女房に、覚悟と強さを見るのです。

 そして子どもが登場するのも新鮮です。亭主は、女房の話を聞いて心に迫るものがあります。それを、多くを語らず赤ん坊を抱いて「これがお前を生んでくれたおっかさんだよ」とあやします。

 このくだりは、夫婦の心温まる様子を鮮やかに描きます。

 サゲはお馴染みの展開ですが、その前の女房の一言がいい。「あたしのお酌じゃいやかい?」

 ここに3年間のわだかまりが消え、本音を聞けた心情が、ここちよくこもってるような気がします。

 全体に抑えた演出が夫婦の機微を、そして愛情を感じさせてくれます。

 今でも、「おまえさん起きておくれいな」という女房の優しい言葉が心に残っています。

 さん喬師匠を囲んでの「ご苦労さん会」もまた、たのしいひと時です。

 そしてまた、みんなで誓うのです。来年もまた「柳家さん喬紋別落語会」を絶対にやるぞ!と。

 



『ひきこもり』への理解と支援のために

 4月20日付の北海道新聞に『ひきこもり 目立つ中高年 札幌のNPO法人初の生活実態調査』と題した記事が載り、その中に紋別の名が出てきたのです。ひきこもり調査の対象の中に、紋別の方も入っていたのです。

 実態調査を行ったのは、ひきこもりの当事者を支援するNPO法人レター・ポスト・フレンド相談ネットワークで、調査対象68人のうち、平均年齢は35歳で、40歳以上が31%と、中高年のひきこもりが目立つとともに、当事者や同居する親の収入が300万円未満という回答が56%を占め、経済的にも厳しい家庭が多い実態が示されました。

 これらの記事を見て、紋別にもかかわりがあると思い、さっそく札幌のNPO法人レター・ポスト・フレンド相談ネットワークに連絡を取り、田中敦理事長宅を訪問しました。

 レター・ポスト・フレンドは外出が困難なひきこもり当事者の相談にのるため、手紙やメールなどを活用した任意団体として1999年に設立し、以来、相談活動をはじめ、居場所づくり活動や就労支援活動に取り組んでいます。

 田中理事長は「10年以上、ひきこもっているなど、深刻な当事者が大勢います。福祉、医療などの公的支援にうまくつながらず、孤立しているケースが多い。それだけに行政や福祉、医療の専門家などと協力し、当事者同士が気軽に集まり、仲間と信頼関係をむすべるような居場所づくりが大切です」と語ります。

 そして「苦しい中で、私たちに相談をくれた時、何よりもじっくり話を聞くこと、何よりも労をねぎらうことを大切にしています」と語られました。

 紋別市でも保健所主催の「ひきこもりへの理解」と題するセミナーが行われ、私も参加しました。

 北海道ひきこもり成年相談センターの方が講師となって「ひきこもり」に関する基礎知識、現状、支援について講演がありました。

 ひきこもりの背景には、いじめや心の病、発達障害、家庭不和など様々な要因があります。

 さらに競争社会、自己責任など今日的な社会的要因も重なります。

 紋別市にも、推計値で170人ほどのひきこもり当事者がいると考えられるといいます。その立場で、取り組むことが重要です。

 当事者も家族も、毎日苦しみもがいています。個人の問題ではなく、すでに社会的問題として取り組む課題となっているのです。

 そして今、その当事者や家族が気軽に相談できる機関、ネットワークができないか、と考えています。

その名はカメジロー

 

 先日、札幌で「米軍が最も恐れた男ーーその名はカメジロー」という映画を観てきました。

 アメリカの占領下にあった戦後の沖縄で米軍の圧政と支配に屈せず不屈にたたかい、のちに那覇市長、国会議員となった政治家・瀬長亀次郎の軌跡を追った迫真のドキュメンタリー映画です。

 米軍の支配に対抗するため沖縄人民党の結成に参加。

 弾圧を恐れず、米軍にNOと叫び続けた亀次郎が民衆の前に立てば、毎回何万人もの聴衆が集まりました。その演説に目を輝かせて聞き入る人々の写真が印象的です。

 米軍により不当に逮捕され刑務所に収監された亀次郎が出所する日、刑務所の前にはおびただしい人々が集まり、「瀬長亀次郎歓迎」の横断幕が掲げられ、盛大な拍手と歓声が起こったといいます。
     

     Prison Release of Kamejiro Senaga.JPG

  那覇市長になった亀次郎に対し、彼を恐れた米軍は銀行口座の凍結や水道の停止などの暴挙に出ますが、亀次郎を助けようと自主的に税金を納付するために列をなす市民の姿が映し出されます。

 国会議員として当時の佐藤栄作総理と対峙し「基地を残したままの返還は県民が望んだ返還ではない」と主張する姿は、胸に迫ります。

 映画のパンフレットにはこんな一文がありましたーー『27年間にわたったアメリカの軍事占領を経て、日本復帰後45年が経っても、なお沖縄に基地が集中するなか、沖縄の人々が声を上げ続ける、その原点…。それは、まさに戦後の沖縄で米軍支配と闘った瀬長亀次郎の生きざまにあった』と。

 保守も革新も超え「オール沖縄」で闘い続ける沖縄の姿は、民衆とともに信念を貫いた亀次郎の闘いを、今につなげているのかもしれないーー映画を観終わった後、大きな感動とともに、沖縄の「心」が胸に迫りました。

 沖縄では今、辺野古の新基地建設をめぐり政府の暴挙が続ています。

 沖縄北部にある「奥」という集落から、辺野古基地建設に使う砕石が一日何百台というトラックで運ばれ、辺野古に向け県への手続きもないまま不当に海上輸送されています。

 港に向かう道は機動隊に封鎖されたまま。

 それでも住民は抗議の声を上げています。

 ひとりの老婆がマイクを握りますーー「ここでも9人が日本軍に虐殺された。戦争というのは異常な時代だ。沖縄には素晴らしい政治家がいっぱいいたなあ。大好きな瀬長亀次郎さんも、もうあの世に行ったけど、このありさま見て、なんと思っているかなあ」と。

 沖縄は今も、不屈の闘いの真っ最中にあるのです。

選挙が終わって早1か月

 ほんとうに、久しぶりのブログとなりました。

 さて、あっという間に駆け抜けた衆議院選挙が終わって、早1か月がたとうとしています。

 選挙の結果は残念でしたが、それでも新しい「市民と野党の共闘」という路線は、一定の成果を上げ、大きな流れをつくったと思います。

 安倍一強に勝るのは、これしかない、とも思います。

 それにしても、畠山和也さんの議席を落としたのは残念の極みです。

 国会で、共産党の農林委員として身を挺してTPP反対の論陣を張り続けてきました。

 紋別にも何度も足を運んでくれました。

 投票日にも直接電話がありました。「選挙期間中、紋別に行けなくて申し訳ない。みなさんにもよろしく伝えてください」と。

 その声はさすがに少しかすれていました。

 この悔しさを次の選挙で晴らす。まさに「捲土重来」です。

 希望の党の誕生、民進党の分裂、立憲民主党の登場など、難しい選挙戦でしたが、小選挙区12区でたたかった菅原まこと候補の奮闘ぶりは、頼もしく、そしてたくましさを感じました。

 初の「野党統一候補」として、日本一広い12区を駆け抜けました。得票も、過去最高でした。でも、課題もたくさんありますよね。




 今回の選挙に関して多くの著名人が「しんぶん赤旗」にコメントを寄せています。どれも心に沁みるものです。

 志位委員長は選挙後の会見で「市民と野党との共闘で『共闘の絆』『連帯の絆』がたくさんつくられた。この絆と新しい友人が、私は今度の選挙で得た最大の財産だと考えている」と述べています。

 その友人たちのコメントからいくつか

 「無念の思いで候補者を取り下げ、『見返りは民主主義だ』と言い切る共産党の勇気ある決断があった。ブレない共産党を心強く思います」(中野晃・上智大教授)

 「共闘を最前線で引っ張りぶれないし、いつもポジティブだし、そこが好き。今回、前よりも共産党を好きになりました」(シンガーソングライター・五島良子)

 「共産党はまるで困った人のために自分の顔を分けてあげちゃう正義の味方・アンパンマンのようだと、本当に思いました」(俳優・毬谷友子)

 「共産党自信、議席を減らしたことは残念だが、『共同』を支えた力強い誠実な活動は多くの市民が評価している」(広瀬清吾・東京大学名誉教授)

 「今回は立候補取り下げで野党共闘を成し遂げた共産党の『やせ我慢』に一票を投じました」(内田樹・神戸女学院大学名誉教授)

 「畠山和也さんの議席を失ったのは本当に残念でなりません。でも共産党への信頼度は今回のたたかいでぐんと増えました」(川原茂雄・札幌学院大学教授)

 そして、作家の笙野頼子さんはこう言いますーー「安倍政権が一番恐れているのは、共産党の献身です」と。

 さあ、あたらしいたたかいはここからです。