2018年9月8日土曜日

今年もたっぷり「さん喬落語会」

 今年も「柳家さん喬・紋別落語会」を5日、文化会館で開催しました。

 140人ほどの市民が参加してくれ、名人の芸をたっぷり堪能してくれたと思います。

 

 私は、今年も実行委員長を務めました。といっても、初めの挨拶が主な任務です。

 今年はあいさつの中で、さん喬師匠の本のことを紹介しました。

 一つは「さん喬、大人の落語」。落語に出てくる男と女の物語を師匠風に解説したもので、落語の入門書としても役立ちます。

 実は今回、師匠がこの本を持参してきており、実筆のサイン入りで販売しました。

 すでにこの本は持っているのですが、サイン入りは魅力的です。残ったら、と思っていたのですが、すぐに完売となってしましました。残念!

 もう一冊は、落語家生活50年を記念して出版された『噺家の卵、煮ても焼いても』。洋食屋の息子として育ち、高校卒業後に5代目柳家小さん師匠に入門。その修業時代から弟子11人を育て上げるまでの落語家人生を、ユーモアたっぷりに綴ったのがこの本です。

 1月8日付けの「しんぶん赤旗」に、この本の出版を記念してさん喬師匠のインタービュー記事が掲載されました。

 その中にこんな一文があります。

 「いま芸は『守・破・離』だと考えています。小さん師匠の口癖でした」

 『噺家の卵、煮ても焼いても』にも、同様な言葉が出てきます。

 「芸は『守・破・離』」――あいさつの中で、この言葉を解説しながら紹介しました。

 真摯に芸に向き合うさん師匠の姿勢がにじみ出た言葉です。

 さて、今回の落語の演目は『替わり目』『船徳』『錦木検校』の3題でした。


 『替わり目』では、酔っぱらった男と女房との軽妙なやり取りが爆笑を誘い、それでいて夫婦の愛も感じられ、ほっとする一席。

 大ネタの『船徳』。道楽がすぎて家を出された若旦那の徳三郎。「船頭になる」と言ったものの腕はまだまだ。そこに二人の客が。船頭徳さんと船客の七転八倒の大騒動。さん喬師匠の体を張った噺に、これまた大きな笑いが

 最後にかかったのは『錦木検校』でした。私は、初めて聞く話です。弟子の柳家喬太郎の持ちネタとは知ってていましたが、ちょっと驚きました。

 でも、時を忘れ、じっくり聞かせていただきました。大名の父に疎んじられている三男の格三郎が下屋敷で盲目のあんま・錦木と出会う。そこで、身体のコリだけでなく心のコリもほぐされていく。錦木は「あなた様は、大名になる骨格をしている。私にはわかる」という。「そうか。もし私が大名になったら、錦木を検校にしよう」と約束する。時はたち、格三郎は親を継ぎ大名となる。そこへ病気におかされた錦木がやってくる。久しぶりに再会した二人は…

 その時、会場はシーンを水を打ったように聞き入っています。

 「俺を、恩知らずにするな」と格三郎。「私こそ、恩知らずになりとうございません」と錦木。

 お互いの思いが、ぐっと高まるラスト。でも、ほっとした気持ちで終わります。(このラスト、さん喬師匠独特の終わり方では…)

 爆笑してみたり、胸がギュッとなってみたり、これぞ第一人者の芸。たっぷり楽しませていただきました。

 お客さんにも喜んでもらえたようで、安心しました。


 さん喬師匠を囲んでの「ご苦労さん会」も楽しく、来年もまたこの落語会をやろうと誓い合いました。

 来年はいよいよ、10回目を迎えます。
 

2018年9月7日金曜日

医師確保に道の支援を

 少々古い話で恐縮ですが、8月20日、来年度の予算要請で北海道に要請に行ってきました。

 これは、共産党北海道委員会と党道議団が年に一度、道内各地の要望を一堂に集め、道庁担当に直接要請するもので、今回も、各地方議員が集結し、熱気あふれる交渉となりました。



 私は、広域紋別病院の医師確保と道立紋別高等看護学院の移転建て替えを要望しました。

 私は、「広域紋別病院は、道から移管されて7年。地域の命は地域で守る立場で頑張ってきた。しかし、医師の確保は地域だけでは限界だ。産婦人科医師はおらず、出産ができないまま。今年7月には総合診療科の医師が退職し、ますます厳しくなっている。道には、地方での医師確保に向けた積極的な取り組みを強く期待したい。そうでないと、地方で安心して暮らしていけなくなる。地方の厳しい実情を知ってほしい」と訴えました。

 道の保健福祉部・地域医療課医師確保推進グループの佐藤主幹は「全道的な医師不足は認識している。医育大学での医師派遣要請や地域枠医師の養成など、緊急かつ中長期的な対策を講じている」と答弁。

 私は「そんな一般論を聞いているのではない。現場はもっと深刻だ」と指摘しました。

 その後、別室で佐藤主幹と再度意見交換。とにかく、医師不足の地元の厳しい現状をあらためて訴えました。少しでも、届いてくれたらいいのですが。

 旧道立病院隣りに建つ道立紋別高等看護学院は、築40年以上も経過し、学生寮も狭く、個室になっておらず、良好な環境とは言い難いものです。

 しかも、主な実習先である広域紋別病院とは約2キロ離れており、看護実習にも支障をきたしています。

 これを移転し、建て替えることは急務です。そのため、広域紋別病院裏に移転できる土地も用意されています。

 道の保健福祉部・看護政策グループの後藤主幹は「確かに老朽化が著しく、昨年6月に『長寿命化診断』を実施し、必要な改修工事を行いながら学習環境の整備に努めたい」と答えました。

 そこで私は「ということは、改修どまりで、建て替えの計画はないということか」と再度質問しました。

 後藤主幹は「当面は改修を行うが、今後の在り方については地元の関係者の意見もうかがいながら建て替えも含め検討したい」と答弁。

 看護師不足は全道的な課題です。その養成も、全道的な要請です。そのために良好な学習環境を整備することは、道の責務でもあります。そのために紋別市も協力する用意もあります。

 この問題でも、もっと緊迫感を持った道の対応が必要です。

 

地震、そして停電

 6日、午前3時8分ごろ、厚真町・安平町を中心に非常に強い地震が発生しました。

 現段階でも、厚真町での土砂崩れで捜索活動が続いています。一刻も早い安否の確認が急がれます。

 その時、私はその揺れに目を覚ましました。紋別市での震度は2。妻も起き、「これ地震だよな」などと会話しているさなか、電気が切れたのです。

 「停電!?」ーーなんでこれくらいの揺れで…、思ったものの、すぐに復活すると信じて寝て、次の日も…、やっぱり「停電!?」

 全道、すべて停電ーー信じられない事態。しかも復旧がどうなるかわからない、らしい。テレビはつかない。頼りはスマホだけ。情報がつかめない。

 地震による被害はなさそうですが、停電により全く情報がわからない事態。特に高齢者などの状況が気になる。

 さっそく、市役所へ。そこではすでに「災害対策本部」が立ち上がり、情報収集が。



 高齢福祉課、障害福祉課などを回り、要援護者に、状況を聞きながら訪問を含め連絡を取り、必要な支援を行うよう口頭で要請しました。

 そこに突然、赤旗記者が東京から紋別に入ったとの連絡が入りました。

 何でも、とにかく地震の取材でいち早く北海道に向かおうと、飛び乗ったのが紋別行き。しかし、着いてみてびっくり。地震の現地とはあまりに遠い。すべて停電で、レンタカーを借りても給油ができない。そこで、紋別周辺での取材となったわけ。

 こっちもびっくりですよ。そこで、上渚滑の酪農家を紹介しました。

 夜は、避難所となった保健センターを赤旗記者と訪問。


 発電機で照明を付けたセンター内。数人の市民が訪れていました。やっぱり真っ暗な部屋で一人は不安と、やってくるお年寄りが多い。中には、小さな子供づれの家族も。

 我が家でも、キャンプの時のカンテラや懐中電灯を用意して、真っ暗な夜に備えました。

 久しぶりに、夜空を見上げました。まさに満天の星。暗闇にきらめいていました。

 と、その夜中の3時過ぎ。まぶしさに真が覚めた。電気が点いたのです。これで一安心。おもったより早い回復だと思ったのですが…

 停電が回復したのは、市内の一部だけだったのです。市役所で確認すると、病院や市役所の機能を早く復旧するため、その周辺を優先的に通電したのでは、とのこと。

 確かに、大山町、南が丘町方面の信号はまだ消えたまま。

 なんだか、複雑な思い。いつ、全面的に復旧するのか、との問いに、さて…、という答え。職員だってわかりはしない。でも、しっ切りなしに市民から問い合わせの電話が。

 市役所1階での玄関ロビーでは、携帯電話の充電サービスが行われていました。


 これまで60人以上の市民が来たということです。

 また、木質バイオマス発電所でも充電サービスを行っているようです。

 ふと思うのですが、紋別市内には国内最大級の木質バイオマス発電所がある。また、太陽光発電の事業も活発です。それなのに、停電が続いてしまう。なんだか不思議です。

 それにしても、苫東厚真火力発電所が故障したからと、北海道の全電力がストップするとは、どういうことのでしょう。こんなにも脆弱なシステムだったのでしょうか。

 このような事態を想定していなかったのでしょうか。こうなることを知らなかったのでしょうか。それでも、やむを得ないとでも思っていたのでしょうか。

 そこには、今のエネルギー政策が根深くあるように思えます。その一つが、原発の存在です。ベースロード電源としての原発。その再稼働は、ゆるぎない。この考えが、北電にも政府にも、いまだ存在している。

 それが前提のため、再生可能エネルギーの普及が抑制される。

 だからいって、今回のような事態は御免です。きちんとした検証が必要です。

 ところで、赤旗記者ですが、今日の飛行機で東京へ戻りました。今度は西日本豪雨災害の取材だそうです。

 今日の赤旗に、紋別での取材の記事が載っています。といっても、今日の赤旗日刊紙は停電のため休紙になっています。ただ、道民向けに電子版で掲載されています。私のことも、一言記事になっていました。