6月23日、「大学から帰ってきた紋別のアイヌ遺骨」と題する市民学習会に参加してきました。
会場の市立博物館には全道各地からの参加者を含め、30人以上が集まり、熱気を感じました。
さて、「大学から帰ってきた紋別のアイヌ遺骨」とは何か、です。
時は1973年(昭和48年)、紋別市教育委員会による「柳沢遺跡」(紋別市渚滑町1丁目)の発掘調査中、比較的新しい一体の人骨が発見されたのです。
副葬品とみられる「キセル」も同時に発見されたことから、アイヌ墓の可能性が高いと判断されました。
そこで、紋別市教育委員会は、この人骨の調査・分析を進めるべく、札幌医科大学解剖第2研究室の三橋公平教授に、この人骨を寄託したのです。
その結果、壮年のアイヌ女性であることが判明しました。
それから46年たった今年春、まさに突然、札医大からこの人骨が返還されてきたのです。
問題はそれだけではありませんでした。「研究のため」としてDNAの調査のために、遺骨の一部が損壊されていたのです。
このもの言わぬアイヌの遺骨が、なぜにかくも長い間、故郷から引き離されたままだったのか。
研究とは言え、断りもなく遺骨の破壊が許されていいものなのか。
この間の、大学によるアイム遺骨の盗掘と返還問題や、今年成立した「アイヌ新法」も絡んで、学習会は熱気を帯びていきました。
当時、発掘調査に学生として参加した元紋別市立博物館館長の佐藤和利さんから、発掘にまつわる状況が語られました。
次に登壇した「平取アイヌ遺骨を考える会」の木村二三夫共同代表は、自らがアイヌとして、国の政策によって土地を強制的に強奪され、不毛の地に強制移住させられた経緯を語り、あらためて先住民族としての自決権の確立を訴えました。
北大開示文書研究会の殿平善彦共同代表は、遺骨の所有者である紋別市教育委員会になんの断りもなく、遺骨の破壊分析を行ったことは極めて重大な問題だと指摘。そこには、アイヌに対する差別意識が根深く存在すると厳しく指摘しました。
この会を主催した紋別アイヌ協会の畠山敏会長は、「アイヌだからと、亡くなってからも研究材料にされる。強い憤りを覚える。これからもアイヌの尊厳と先住民族としての権利の回復を訴えていきたい」と締めくくりました。
これらの話を聞いてアイヌの問題は、あらためて人権と尊厳を守る闘い、先住民族としての自決権、生存権を回復する闘いであることに気づかされました。
今回返還された遺骨は今、紋別教育委員会と紋別アイヌ協会で慰霊の準備を進めているといいます。
よりよい形で慰霊できれば、と期待しています。
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