2025年1月20日月曜日

2024年備忘録⑦~養老牛温泉で・・・




 一度は行ってみたいと思っていた温泉地「養老牛温泉」を訪ねました。

 中標津町の広大な原野を進み、こんな山奥に、と不安になったところで夕闇に灯る宿の灯が見えてきます。

 今日の宿は、養老牛温泉で唯一の宿となった「湯宿だいいち」です。

 実はこの養老牛温泉は、私の大好きな映画「男はつらいよ」(シリーズ33作、夜霧にむせぶ寅次郎)のロケ地にもなった場所。

 それだけでなく、映画「釣りバカ日誌20ファイナル」の舞台ともなった場所なのです。

 どちらの作品も監督した山田洋二氏のお気に入りの地だったようです。

 確かに、標津川のせせらぎと山奥の冷涼とした雰囲気は秘湯そのもの。

 いまでも、ひっそりとロケ地だったことを示す碑が建っていました。

 旅立つ朝、「湯宿だいいち」の大女将と話す機会がありました。

 コロナ禍で環境が大きく変わったこと、冬には野鳥を観察しに海外からも客が来ること、女優の倍賞千恵子さんの別荘が中標津にあり時折旅館にも見えられることなど。

 中でも話に花が咲いたのは、外国人労働者と日本語学校のことでした。

 この旅館でも人手不足のため多くの外国人が働いていました。

 大女将いわく、「それぞれにお国柄があって、それに応じた指導が必要で、それが大変」なのだそうです。

 それでも、カタコトの日本語ながら一生懸命接してくれる若い外国人のスタッフたちはさわやかでした。

 そんな話から大女将の息子さん(現在の旅館の社長)が中標津町にある民間の日本語学校の理事を勤めていることがわかりました。

 「紋別でも公立の日本語学校をつくる動きもあるんです」と話すと関心を寄せてくれました。

 人口が減る中で、労働力を確保するためには外国人の力がどうしても必要になってきています。

 紋別市にも、すでに800人を超える外国人が働き暮らしています。まさに、異文化共生の新しいステージが始まっています。

 「またのお越しを」「ぜひ」と、最後まで見送ってくれた大女将を背に、車を走らせました。

(「オホーツク民報」11月17日付 『野村淳一のかけある記』より)


 

2024年備忘録④~北見市「庶務支援課」を訪問して

北見市庶務支援課


 5月の23日、北見市役所を訪問してきました。今年度新しくできた「庶務支援課」を視察するためです。

 4月17日付けの道新に、こんなタイトルの記事が掲載されました。

 『北見市の庶務支援課、パロポ内に開設。障害者雇用の定着図る』

 そこでは、市役所で雇用した障害者だけの課をつくり、障害者に適した仕事を職場内からピックアップし、その適正に応じて自分のペースで仕事をしてもらう、というものです。

 「どういうことなのだろう」と興味をもった私は、早速電話でアポを取り、お邪魔したというわけです。

 昨年オープンした真新しい北見市役所。そこで横井課長と待ち合わせです。案内されたのは、隣のパラポ。いまでもテナントが入る商業施設ですが、その7階にめざす庶務支援課がありました。

 部屋のは3つのテーブルの島があり、3人の職員・支援員で10人の障害者と働いています。

 その部屋の一角に、防音を施した個室的なスペースがあります。照明を落とし横にもなることもできストレスがたまってきたときの避難場所だそうです。さすが障害者の特性を配慮していると感心。その場所を借りての懇談となりました。

 紋別市もそうですが、北見市も国が定めた障害者の雇用率に届かず苦慮していたといいます。そこで考え出したのが、この庶務支援課の仕組みです。

 障害者を各部署の配属しても、どうしても孤立しやすく定着しずらい。ならば、みんなが一緒の中で自分のペースで働ける環境と仕事をつくろう。そのための仕事を一年かけて市役所内を調査したといいます。

 グッズの袋詰め、紙資料のデータ化、パンフレットの整理、保管期間切れ文書の廃棄作業などなど。どれも職員が残業しながらやっていた作業です。これをここでこなしているのです。

 職員からも喜ばれ、市役所全体の働き方改革にも寄与しているといいます。

 「でも、始まったばかり。これからですよ」と横井課長は笑顔で話します。

 紋別の高等養護学校の卒業生をはじめ、多くの障害者の就労場として、紋別市役所にも同様の取り組みが必要ではないか。今回の一般質問のテーマとなりました。

(「オホーツク民報」6月9日付 『野村淳一のかけある記』より)


 

2024年備忘録②~100条委員会の設置へ

 3月議会も終わり、ちょっとほっとしています。が、そうも言ってられないのが「100条委員会」です。

 2月に公表された「紋別市不正事案等に関する最終報告書」で明らかになった様々な事実と不適切な行為の数々。

 その内容に言葉を失いました。

 紋別市は、一昨年の12月に元市職員の逮捕によって明るみに出た「不正な契約」と「空港利用に係る不正な支出」について、2名の弁護士を加えた調査委員会を発足させ、検証作業を続けてきました。

 そこには、逮捕されたYの知人のコンサル会社と無理やり契約するために、市の担当部署全体で法令違反ともいえる便宜を図ってきたこと。

 東京便の確保という名目でYの言いなりになり、Yの関連企業に巨額な資金を支出していたこと。などが明らかになったのです。

 しかし、その要因と背景、使途不明金3億円余りの行方などが解明されたわけではありません。

 というより、ますます疑問点が増えたという印象なのです。

 しかし紋別市は、これ以上の調査はせず、いくつかの再発防止の実施と、宮川市長の減給処分で決着との考え。

 そこで、忖度も癒着もない、風通しの良い市役所をつくるためにも、今回の不正事件の原因と背景をしっかり解明することが必要だ。市がやらないのなら、市議会がやる。

 ということで「100条委員会」の設置に向けた準備が始まりました。

 「100条委員会」は、地方自治法100条にもとづいて設置される特別委員会で、関係者の出頭や証言を求めることができ、証言の拒否や虚偽の証言に対しては罰則が定められている権限の強い委員会です。

 市議会会派「市民の声」の山崎議員が100条委員会設置の動議を提出。

 私も賛成者に名を連ねました。

 採決では、賛成10、反対5の賛成多数で可決され、設置が決まりました。

 その後、設置に反対した5人の議員が委員を辞退。議長を含めた11人の議員で調査を始めることになりました。

 声の大きな者だけが幅を利かす。そんな委縮した市役所であってはならない。常に市民を真ん中にした「市役所再生」に向け「100条委員会」の活動が始まります。

(「オホーツク民報」3月31日付 『野村淳一のかけある記』より)


 

2024年備忘録③~旭浜のトーチカ群で

 



 
 5月の連休に妻と、十勝まで足を延ばしてきました。
 十勝には目的がありました。
 それは、太平洋沿岸の湖沼をめぐることと、大樹町の旭浜のトーチカ群に出会うことでした。

 十勝の太平洋沿岸は十勝海岸湖沼群と呼ばれ、数多くの湖沼と湿地が連続してあります。

 豊頃町の長節湖と湧洞湖。大樹町の生花苗湖とホロカヤントー。どこも湿地と泥炭地。農業には不向きの土地を、人は開拓していったのです。

 訪れたその日は、どこもひっそりと靄の中にたたずんでいました。きっと夏には、きれいな花々で彩られるのでしょう。

 目的のもう一つは旭浜のトーチカ群です。

 道端の小さな看板を目印に海岸線に出れば、砂浜にそれはありました。

 高さ3・4メートル、幅5・6メートルのコンクリートでできた箱形の無骨な物体。入り口と反対側に小窓。コンクリートの厚さが50センチほどあり、人が2・3人入るのが精いっぱいの狭さ。それが海岸線の砂浜にポツンポツンと点在しています。

 トーチカ。それはロシア語で点という意味です。
 太平洋戦争末期、大樹町周辺の浜がアメリカ軍の上陸有力地点とされ、1944年に約40基、地元住民も動員され造成されたといいます。まさに点のように配置された武装陣地です。その小窓から見えぬ敵に銃を構えていたのです。

 結局、このトーチカは直接使われることはありませんでしたが、1945年7月には、この地も空襲に見舞われ、十勝管内で60人、全道で死者2000人を超える被害者を出しています。

 今は何も語らず、波風にさらされ、時間の経過だけを残すトーチカ。その冷たいコンクリートに触れると、戦争のむなしさと愚かさが胸ににじんできます。

 そして、いつまでも残しておきたい戦争遺構です。

 このコース、連休とはいえ本当に人の少ない場所ばかり。それもまた、一興ということで・・・
          
(「オホーツク民報」5月26日付 『野村淳一のかけある記』より)

2024年備忘録①~たった一人の卒業式(3月)

川合校長から卒業証書を受け取る古屋智貴君


答辞を述べる智貴君



「野村さん、テレビに映ってましたね」「野村さん、落語やるんですか」などと声をかけられました。

 NHKとHBCのローカルニュースでちょこっと映ったんです。地元の民友新聞にも「落語愛好家の野村淳一さんから手ほどきを受けて2年連続して落語を上演」などと紹介されました。

 そうなんです。たった一人の小向小学校最後の卒業式。私も含め、多くのマスコミも駆けつけました。

 卒業を迎える古屋智貴君とは、彼が5年生の時からのつながりです。

 「学芸会で落語をやりたい」との話から始まって、2年連続して落語の師匠(?)として小向小学校に通いました。

 5年生の時は「寿限無」。6年生の時は「時そば」と、いずれも本番を見事にこなす芸達者ぶり。まさに私も脱帽でした。

 卒業式会場には教職員や両親、そして地域の人たち40人ほどが集まり、あったかな雰囲気に包まれました。

 智貴君に卒業証書を手渡した川合校長は式辞で「今日は一つの節目のゴールだが、新たなスタートの日でもある。中学校にいってらっしゃい」とエールを贈り、担任の小橋先生も「智貴に出会えて本当に良かった。思い出を、やさしさを本当にありがとう」と声を詰まらせながらあいさつしました。

 智貴君の両親も「たった一人の学校でいいのかな、と思ってきた。でも、教職員や地域のみなさんが支えてくれ、智貴の大きく成長できた。今は、よかったと思っている」とあいさつ。

 そして、会場にいるマスコミ関係者も含めすべての人にマイクを回し、智貴君へのメッセージが語られました。

 最後に智貴君が、途中涙で言葉に地まりながらも「この先、僕にはたくさんの困難があると思いますが、小向小学校で経験したことや思い出、皆さんとのつながりを力に中学校にでも頑張ります」と述べ最後に「行ってきまーす」と元気にこぶしを突き上げると、出席者も「行ってらっしゃーい」と応じ、大きな拍手と紙吹雪で智貴君の門出を祝いました。

 普通なら、とっくに閉校していてもおかしくない学校です。でも、智貴君と両親の思いにこたえ、地域も行政もみんなで支えてきた数年間。

 そこに私もつながれたことは、私にとっても貴重な経験でした。

 帰り際、智貴君から手渡されたお礼の花は、まだ我が家の食卓で咲いています。

(「オホーツク民報」4月14日付 『野村淳一のかけある記』より


 

2025年1月19日日曜日

2024年備忘録⑥~「本庄陸男」でつながって・・・

本庄陸男とその墓

7月22日に行われた本庄陸男墓前祭

「本庄陸男生誕の地」の碑

小説「石狩川」の文学碑

 お盆には妻と石狩当別町に足を延ばしてきました。
 
 生チョコのロイズの本社工場があるところです。
 実はその敷地内に「本庄陸男生誕の地」の碑があるのです。そしてすぐそばの石狩川の河川敷に本庄陸男の小説「石狩川」の文学碑が建っています。

 7月22日、本庄陸男のお墓のある上渚滑町の西辰寺で本庄陸男没後85年忌を行いました。その余韻も冷めぬまま、当別にやってきたのです。

 どちらの碑も、ひっそりと静かに建っています。もちろん目的を持たなければ訪れる人も少ないでしょう。それでも、きれいに整備され花が生けられていました。

 本庄陸男は1905年当別で生まれ、陸男が小学3年生の時に一家で上渚滑町和訓辺に移住します。東京で教師になった陸男は、同時に文学にも傾倒し、やがてプロレタリア作家として作品を世に出します。

 その最高峰が、明治4年、仙台藩から原生林が続くトウベツに入植した武士たちの苦難の歴史を描いた大作「石狩川」です。
 しかし陸男は、「石狩川」未完のまま34歳で亡くなりました。

 当別神社の脇には、その開拓の苦難の歴史を今に残すため資料館が開設されています。

 お邪魔したその日は、ちょうど当別神社のお祭りで、出店やお神輿にと賑やかでした。

 本庄陸男でつながった今回の旅。少々地味ではありますが楽しい旅でもありました。
 もちろん、ロイズのチョコレートもお土産に・・・

(「オホーツク民報」9月1日付 『野村淳一のかけある記』より)


2024年備忘録⑤~100条委員会の今

 紋別市の避暑地化推進基本計画をめぐる不正と、オホーツク紋別空港利用促進協議会および紋別観光振興公社における不透明な支出の実態の解明を目的に、地方自治法100条に基づいて紋別市議会に設置された「不正事案等調査特別委員会」(いわゆる100条委員会)が、調査事項に関する資料の提出を紋別市に求めたのが4月26日です。

  その内容は、①紋別市が実施した不正事案等検証委員会の会議録、②その際に市職員などから聞き取った内容、③贈収賄事件に関連して釧路地方検察庁北見支部で謄写した供述調書、④平成27年度から令和4年度までの職員の配置ー。

 ところが5月15日、市から実際に提出されたのは④のみで、①は「不存在のため」、②は「個人が特定されぬよう配慮する旨を確認して聞き取りを実施していることから、市としても守秘義務が生じる」、③は「検証委員会で使用することで特別に許可されたもの」という理由で提出を拒否したのです。

 しかし100条委員会への資料の提出を拒む場合は、それ相応の法的な根拠が必要です。それなしに拒めば、罰則が課せられる場合もあるのです。それだけ100条委員会の権限は強いものです。

 もともと「検証委員会の会議録がない」などとは考えられませんし、本当にないのであれば、どんな会議だったのか疑われます。

しかも、職員への聞き取り内容も、個人のプライベートな問題ではなく、すべて勤務時間内で職務に関する聞き取りです。それはまさに公務であり、原則公開されるべきものです。そこに不正行為があったなら、それを明らかにしなければなりません。

 6月4日、100条委員会として、市に対し引き続きこれらの資料の提出を求めていくとともに、新たに贈収賄事件で警察に押収された書類一式などの提出を求めることにしました。

 そして6月28日、警察に押収されていた資料などが提出されました。

 現在、その資料を基に調査を始めています。ページをめくりながら「はて?」「えっ!」という内容も見えてきています。

(「オホーツク民報」7月14日付 『野村淳一のかけある記』より)