2025年6月27日、一日だけの「第2回定例市議会」が開催されました。
6月29日で任期満了を迎える宮川市長に対して一般質問を行うことができないため、一日だけの議会となったのです。
しかし、感慨深い議会となりました。
その議会冒頭で、市議会議員30年の表彰を受けました。紋別市議会では、私と飯田弘明議員の二人が対象です。
36歳で初当選してから8期30年(2期目で1回落選)。
これまでよく続けてこれたな、と言うのが率直な思いです。
「革新ホープ」と言われた時代から、私も今年で70歳を迎えようとしています。ここまでこれたのも、私を支えてくれた家族、党員、後援会員、そして多くの市民の皆さんのおかげだとつくづく思います。
とはいえ、議員活動は続きます。
まだ調査を継続している百条委員会で、今度私が副委員長に就任することになりました。
新しい山崎市政の下でも、発言し行動する議員として頑張らなければ、と気を引き締めています。
すべての議事が終結した後、最後に宮川市長による退任のあいさつがありました。
それを聞きながら、市長がまだ議員だった時代から一緒に活動してきたことが思い出されました。
20年前の赤井市長時代、次の市長選挙をどうするか、このまま無投票でいいのか、など熱く語ったことを。
そのとき、宮川氏は連合の推薦を受けて立候補。見事、当選しました。
その翌日、我が家に顔を出し「受かったじゃあ」とはにかんだことを。
道立病院から広域病院へ、急病センターの開設と、医療の問題ではよく議論したことを。
子どもの医療費の無料化や学校給食の無償化など、私がしつこく取り上げてきた内容を実現してくれたことを。
そして最後に、百条委員会の市長への証人喚問で、私が尋問を担当したことを。
宮川市長が最後に「長きにわたり本当にありがとうございました」と締めくくると、拍手とともに傍聴席から「市長、おつかれさま」という声がかかりました。
意見の違いはありつつも、一時代をともにしてきた同志として、私も「おつかれさまでした」と心の中でつぶやきました。
(「オホーツク民報 2025年7月6日付 『野村淳一のかけある記』より)
0 件のコメント:
コメントを投稿