2018年9月7日金曜日

地震、そして停電

 6日、午前3時8分ごろ、厚真町・安平町を中心に非常に強い地震が発生しました。

 現段階でも、厚真町での土砂崩れで捜索活動が続いています。一刻も早い安否の確認が急がれます。

 その時、私はその揺れに目を覚ましました。紋別市での震度は2。妻も起き、「これ地震だよな」などと会話しているさなか、電気が切れたのです。

 「停電!?」ーーなんでこれくらいの揺れで…、思ったものの、すぐに復活すると信じて寝て、次の日も…、やっぱり「停電!?」

 全道、すべて停電ーー信じられない事態。しかも復旧がどうなるかわからない、らしい。テレビはつかない。頼りはスマホだけ。情報がつかめない。

 地震による被害はなさそうですが、停電により全く情報がわからない事態。特に高齢者などの状況が気になる。

 さっそく、市役所へ。そこではすでに「災害対策本部」が立ち上がり、情報収集が。



 高齢福祉課、障害福祉課などを回り、要援護者に、状況を聞きながら訪問を含め連絡を取り、必要な支援を行うよう口頭で要請しました。

 そこに突然、赤旗記者が東京から紋別に入ったとの連絡が入りました。

 何でも、とにかく地震の取材でいち早く北海道に向かおうと、飛び乗ったのが紋別行き。しかし、着いてみてびっくり。地震の現地とはあまりに遠い。すべて停電で、レンタカーを借りても給油ができない。そこで、紋別周辺での取材となったわけ。

 こっちもびっくりですよ。そこで、上渚滑の酪農家を紹介しました。

 夜は、避難所となった保健センターを赤旗記者と訪問。


 発電機で照明を付けたセンター内。数人の市民が訪れていました。やっぱり真っ暗な部屋で一人は不安と、やってくるお年寄りが多い。中には、小さな子供づれの家族も。

 我が家でも、キャンプの時のカンテラや懐中電灯を用意して、真っ暗な夜に備えました。

 久しぶりに、夜空を見上げました。まさに満天の星。暗闇にきらめいていました。

 と、その夜中の3時過ぎ。まぶしさに真が覚めた。電気が点いたのです。これで一安心。おもったより早い回復だと思ったのですが…

 停電が回復したのは、市内の一部だけだったのです。市役所で確認すると、病院や市役所の機能を早く復旧するため、その周辺を優先的に通電したのでは、とのこと。

 確かに、大山町、南が丘町方面の信号はまだ消えたまま。

 なんだか、複雑な思い。いつ、全面的に復旧するのか、との問いに、さて…、という答え。職員だってわかりはしない。でも、しっ切りなしに市民から問い合わせの電話が。

 市役所1階での玄関ロビーでは、携帯電話の充電サービスが行われていました。


 これまで60人以上の市民が来たということです。

 また、木質バイオマス発電所でも充電サービスを行っているようです。

 ふと思うのですが、紋別市内には国内最大級の木質バイオマス発電所がある。また、太陽光発電の事業も活発です。それなのに、停電が続いてしまう。なんだか不思議です。

 それにしても、苫東厚真火力発電所が故障したからと、北海道の全電力がストップするとは、どういうことのでしょう。こんなにも脆弱なシステムだったのでしょうか。

 このような事態を想定していなかったのでしょうか。こうなることを知らなかったのでしょうか。それでも、やむを得ないとでも思っていたのでしょうか。

 そこには、今のエネルギー政策が根深くあるように思えます。その一つが、原発の存在です。ベースロード電源としての原発。その再稼働は、ゆるぎない。この考えが、北電にも政府にも、いまだ存在している。

 それが前提のため、再生可能エネルギーの普及が抑制される。

 だからいって、今回のような事態は御免です。きちんとした検証が必要です。

 ところで、赤旗記者ですが、今日の飛行機で東京へ戻りました。今度は西日本豪雨災害の取材だそうです。

 今日の赤旗に、紋別での取材の記事が載っています。といっても、今日の赤旗日刊紙は停電のため休紙になっています。ただ、道民向けに電子版で掲載されています。私のことも、一言記事になっていました。


 


 

 

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