2013年8月14日水曜日

視察にて③-「るんべる」と「砂川市立病院」

 今回の視察では、士別市と砂川市への公的な視察とともに、個人的な視察も行いました 

 一つは、士別市の障害者就労継続支援B型「るんべる」です。

 実は私は、障害者の施設を見て歩くのが大好きなのです。

 もちろん、障害者福祉に関心があることがきっかけですが、同時に、障害をもちながら頑張っている姿、それを支えている職員や指導員の奮闘ぶり、それらを間近で見ることが、私の元気の素になっているのです。

 これまで訪問した全道各地の障害者の施設は20を超えていると思います。

 今回も、時間をつくって「るんべる」にお邪魔しました。



 堀施設長の話は、とても暖かく、そして率直で楽しいものでした。

 せっけんやクッキーの製造をはじめ、珍しいものでは羊の皮で作る紙づくりなども始めていました。

 「士別らしい作品を作りたいと思っています」と堀さんの瞳は輝いていました。

 砂川市でも個人的に砂川市立病院にお邪魔しました。

 思いもかけず、小俣事務局長とお会いできました。

 2年前にも訪問し、小俣事務局長に病院内を案内いただいたことがあります。

 その時の私を覚えていてくれました。

 今回も、1時間にわたって懇談できました。

 小俣氏は、自治体病院協議会北海道支部の事務局長を務めるなど、道内でも病院経営については重鎮です。

 現在の医療状況や自治体病院の役割、医師の確保など大いに参考になるお話をたくさん聞くことができました。

 実に、キレのいい言葉と的確な指摘。その背景にある、豊富な経験と知識。時間を忘れるというのは、こういうことを言うのだろうと思うほど、これまた楽しい時間でした。

 特に、議会と自治体病院との関係、議員の役割について、示唆に富んだ助言をいただきました。

 病院を後にしてからも、しばらく興奮がおさまりませんでした。

 さて、紋別の「広域病院」にどう生かすか。宿題を課せられた思いです。


 

2013年8月9日金曜日

南相馬の子どもたちを紋別に。いよいよ近づく。

 福島県南相馬市の子どもたちを紋別市に招くプロジェクトがいよいよ本格化します。

 その名も「わくわく体験オホーツク2013」 

 昨日も実行委員会が開かれ、ボランティアも含め20人ほどの参加で、具体的な内容のツメが協議されました。

 南相馬市から参加する小中学生は14人。それに大学生の引率者が2名。みな、女性です。

 スケジュールもほぼ決定しました。

 1日目(8月23日)は、紋別空港到着後、北海道と言えばラーメンということで、昼食はラーメン。

 その後、流氷科学センターを見学し、氷海展望塔オホーツクタワーに移動します。

 この日の夕食と宿泊場所は、タワー会社のご厚意で、このタワーの3階。紋別の夜景と満天の星が望める場所です。

 翌2日目(8月24日)は、コムケ湖で自然体験です。カヌーや釣り、塩づくりや五右衛門風呂体験など、メニューは盛りだくさん。三室番屋復活プロジェクトが盛り上げます。

 その後は、ガリンコ号に乗って釣りクルーズに出航です。

 夕食は、ホワイトビーチでバーベキュー。紋別市内の子どもたちも集まって、にぎやかに交流会です。

 この日の宿泊は、「港の迎賓館」。

 最終日(8月25日)は、オホーツクとっかりセンターとオホーツク流氷公園を見学し、昼食はジンギスカン。

 そうこうしているうちに、出発の時間です。子どもたちを乗せた飛行機が、やがて見えなくなります。

 このスケジュール。子どもたちは、気に入ってくれるだろうか。楽しんでくれるだろうか。ちょっと不安もあるけど、いろんな方の協力でここまできました。

 大丈夫。きっと、楽しんでくれるだろうと思います。

 それにしても、いい大人たちが、コンロはどうする、やきそばはいつ焼く、などと熱くなって議論している風景は、どことなくほほえましく、楽しいものです。

 みんな、絶対成功させよう、絶対いい思い出にしてもらおう、と一生懸命です。

 私も、子どもたちの出迎えから見送りまで、フル回転です。

 でも、今はその日が来るのが楽しみです。多くの笑顔に会えるのが楽しみです。

 子どもたちには、苦しみや悲しみがあるのかもしれません。でも、この時ばかりは元気な子どもに戻ってほしい。

 小さな心に抱えたストレスを、思いっきり吐き出してほしい。

 私たちにできること。それは、みんなと一緒に楽しく遊ぶことなのかもしれません。

 とにかく、良い天気であってほしい。今は、それを願うばかりです。
 

 

視察にて②-砂川市の高齢者いきいき条例に学ぶ

 7月31日、前日の士別市の視察を終え、高齢者福祉の実践を学ぶために砂川市を訪問しました。

 砂川市では今年4月、「高齢者いきいき支え合い条例」という新しい条例を制定しました。

 たまたまある新聞報道で「砂川市 町内会等に高齢者情報提供 条例制定で可能に」という見出しを目にしたのです。

 現在、地域における高齢者への見守り体制の構築が各自治体の共通の課題になっています。

 しかし、個人情報保護法の壁で高齢者の個人情報をどこまで知らせ、どう管理し、どう運用するのかという問題が大きな課題になっています。

 しかし、それらの情報を共有してこそ、地域全体で高齢者をフォローできる枠組みができるはずです。

 そこで砂川市では、この壁を取り払うために、この条例を制定したのです。

 市民が生涯を通じて安心して心豊かにいきいき暮らすことができる地域社会を実現するために、高齢者の係る情報の提供、提供された情報を取り扱う者の遵守すべき義務などを定めたものです。

 もちろん、情報の管理は徹底しており、町内会には情報管理者を配置し、その立会いでのみ閲覧ができる仕組みになっています。

 この条例を制定した背景には、超高齢社会と高齢者の単身化の増大、そして支える側の力の減退があると言います。

 だからこそ、効果的で効率的な見守りが必要だと言います。

 そのお年寄りが、どんな介護サービスを受けているのか、どこの病院にかかっているのか、この情報を共有するだけで見守りの内容も変わるし、より適切な対応が取れるようになる。

 それが地域でいきいき暮らせる支えになる。

 「まだ、始まったばかりですが…」と照れながらも、市の担当者は明るく語ってくれました。

 紋別市も高齢者の状況はまったく同じです。

 孤立する高齢者をなくし、住み慣れた地域で暮らしていく。

 それを支える仕組みづくりが急がれます。

 条例制定に踏み出した砂川市の積極性に学びたいと思います。

 


 

2013年8月8日木曜日

視察にて①-士別市の保育園を訪ねて

 7月30・31日と士別市、砂川市を視察してきました。

 今回はそのうち、士別市の視察の内容を報告します。

 士別市を訪ねた目的は、新しく建設された保育所と児童館を視察するためです。

 実は、今年の2月にも士別市を視察しました。その時のテーマは「子育て日本一の街づくり」。

 そうなんです。士別市は「子育て日本一」を宣言している街なのです。

 その時も、大いに刺激的な施策を学んだのですが、その際、保育園と児童館を新しく建てたこと、しかもなかなか興味深い方法で建てたことを知りました。

 紋別市も平成27年の建設予定で、旧北高グラウンドに紋別保育所と紋別児童館を移転改築する計画がすすんでいます。

 その意味でも、士別市の例は参考になるものです。
 
 2月の時は、残念ながら時間がなくて視察できませんでしたが、やっと今回の視察となりました。

 訪問した保育園の名は「あいの実保育園」。



 昨年4月にオープンしたばかりで、2階には「子育て支援センター」と「一時保育所」を併設しています。

 内装は、とにかく木材がふんだんに使われており、柔らかな空間を演出しています。

 特に注目したのは、施設の面積と保育士の体制です。

 国は認可保育所の施設基準を、1歳児は一人当たり3・30㎡以上、2歳児以上は一人当たり1・98㎡以上と定めています。

 多くの保育所はこの基準を目安にしており、さらに国は都市部の待機児童解消を名目に、その基準すら削減する方向を強めています。

 ところがここ士別市では、この面積基準では子どもらをのびのびと遊ばせるには狭いと、全国保育協議会が提唱している一回り広い面積基準を用いて建設したのです。

 保育士についても、国の基準では0歳児は一人の保育士で3人の赤ちゃんを、3歳児では一人の保育士で20人の児童を見なければなりません。

 ところがここ士別市では、0歳児は一人の保育士で2人を、3歳児20人を2人の保育士で対応しているのです。

 士別市独自で保育士の配置基準を設け、安全で安心の保育を実施しています。

 もちろん、新たな建設費も人件費もかかるでしょう。

 でもそこには、子育て支援に本気で力を入れている市の姿勢を感じます。

 所長さんは「市は、私たち現場の声をよく聞いてくれています」と明るく語ってくれました。

 現場と行政との信頼関係。その必要性を強く感じました。

 この日も暑い日で、広い庭ではプールで水遊びスルにぎやかな子どもたちの歓声があふれていました。







  次に、今年オープンしたばかりの児童館「ありぼのこどもセンター」にお邪魔しました。



 建設にあたって、子どもたち自身の意見を反映させようと、「子ども委員会」を立ち上げ準備してきたと言います。

 時間と手間はかかっても、子どもたちを主役にしようという市の気概を感じました。

 士別市-子育ての街づくりへ、着実に動いていました。