2017年4月6日木曜日

学校給食センターがオープン

 紋別市学校給食センターがこのほど完成し、4月4日、オープニングセレモニーが開催され、私も参加してきました。

 この給食センターは、市内小中学校の給食をすべて賄うもので、1日1800食をカバーする能力があります。

 これまで6校にあった調理場では、最新の学校給食衛生管理基準で求められているドライシステムや汚染・非汚染作業区の分離などの要件をクリアできないとして1か所に集約し、建設されたものです。

 

           野菜下処理室

調理室

揚物焼物調理室

アレルギー食対応調理室

エアシャワー

洗浄室

配送口

 この日、オープンを記念して学校給食の試食が行われました。

 メニューは、こぎつねご飯とかきたま汁、ささみサラダにハンバーグ、そして牛乳。おいしくいただきました。


 センター化に合わせ、食器もすべて新調。どの食器にもガリンコ号とオホーツクタワーがプリントされています。

 実は私は、この学校給食のセンター化には反対してきたのです。

 給食の基本は、やはり自校方式が一番だと思ってきたからです。ですから、それぞれの調理場の改修を主張してきました。

 が、反対の理由はそれだけではありません。センターの建設にあたって、関係者による検討会議がもたれてきました。その中で、食育の一環としてセンターでの調理風景を子どもたちが見学できる施設にすること、災害時を踏まえ停電などでも炊き出しができるよう自家発電設備を完備すること、などが意見として出され、教育委員会も同意していたのです。

 ところが、設計が出来上がってみたら、それらがすっぽり削除されていたのです。予算の関係だというのです。

 私は、センター化にはそもそも反対だが、それでも新しく建設するのだから、せめてこの2点は組み入れるべきだ、と訴えたのです。

 そして、新しく建設された給食センター。「野村議員の指摘に極力答えるよう頑張りました」と…


 見学用の窓が設置されたのです。


 災害時用の小型自家発電装置と炊飯装置が完備されたのです。

 これで十分だとは言えませんが、確かに努力の跡はうかがえました。

 さらに反対した理由があります。それは、このセンター化を契機に、民間委託にしてしまったのです。行政改革の一環だというのです。

 私はこの問題で、議会で論陣を張り、大論争を展開しました。安全な給食を提供する公としての責任、食育としての給食の役割、偽装請負の危険性、などなど…

 ある議員から「もっと、議論が聞きたかった。勉強になった」と声をかけられました。

 請け負ったのは「株式会社共立メンテナンス」。東京の会社です。紋別保育所の指定管理者ともなっている会社です。

 ちょっと複雑な思いで、学校給食センターのオープンセレモニーに参加した1日でした。
 
 

「モンベツ・ベジタブル・ファクトリー」が待望の稼働へ

 植物工場「モンベツ・ベジタブル・ファクトリー」が、ついに4月3日、待望のオープンを迎えました。この日のオープニングセレモニーに参加してきました。

 


 元紋別の健康プールの隣に建設された、2048㎡(32m×64m)の4連棟の鉄骨ビニールハウス。ここで、ベビーリーフと呼ばれる若い葉物野菜が水耕栽培されます。

 これを担うのが、社会福祉法人紋別市百年記念福祉会。障害者の就労継続支援A型事業所として、障害者の就労と自立に向けスタートしました。

 障害者が安心して住み続けられるまちづくりをめざす宮川市政の目玉事業で、紋別高等養護学校の卒業生の雇用の場としても位置付けられ、事業費2億9000万円をかけ建設されたものです。

 ハウスの中を見学させてもらいました。


 ハウス内は、ベビーリーフを育てる栽培ベッドがあり、そこに苗を植え付けた育苗用のシートを敷き詰めて育てていきます。このシートの下に肥料を含んだ水が流れています。



 この日は、試験的に栽培しているサンチュがやっと芽を出したばかり。あと数週間もすれば、もっと青々と成長し、収穫できるようになるのだそうです。

 水耕栽培により、一年間を通して生産でき、約二七トンの収穫を計画しています。


 この時は、天井に遮光幕が張られていました。日差しが強すぎる場合などに張られるもので、センサーにより自動でコントロールされているといいます。


 育苗ベッドから栽培ベッドに移植していく作業です。

 ここで生産されるベビーリーフは、道内で11のグループ農場を持つ有限会社アドワンが、全量を買い取り、販売する仕組みです。アドワンの製品は、野菜サラダとして「nana」ブランドの名で、すでに市内のスーパーにも並んでいます。

 今は、障害者の従業者4~5人からのスタートとなりますが、15人程度の雇用をめざすとしています。

 この植物工場、ここまでくるには多くの課題がありました。もともと、木質バイオマス発電所から出る温排水を活用できないか、という検討から始まった計画です。それが、コスト的にも難しく、温排水の活用は無理となったものの、この事業は障害者の就労に向いているとなり、一転、地方創生事業として事業化されたのです。

 とはいえ、どこが委託事業者となるか、財源はどうするか、経営収支はどうか、ベビーリーフの販路はどうするか、など課題がありました。

 わたしも、いくども福祉関係者と意見交換をし、議会でも繰り返し質疑してきました。

 また、独自に札幌市のアドワン本社を訪ね、アドワンの農場も視察してきました。

 課題はまだまだあります。でもこうやって、障害者の働く場が増えたことは嬉しいことです。ここからがスタートです。

 きっと、学校給食に使われ、市内のスーパーに「モンベツ・バジタブル・ファーム」産のベビーリーフが並ぶ日も、そう遠くはないかもしれません。

 

2017年4月5日水曜日

「monkomi3」


 今年も「monkomi3」(モンコミ3)に顔を出してきました。

 イラストサークル「カラーズカフェ」が主催する同人誌即売会「monkomi3」が3月26日、まちなか芸術館で開催されました。

 昨年に続いて、お邪魔しました。

 オリジナルのコミックやイラストの販売、コスプレにと若者たちが集い、交流し、楽しんでいました。




 「カラーズカフェ」と交流のあるロシアのサークル「ホワイトタイガー」を紹介するコーナーも設置されていました。

 同人誌やコスプレは、今や若者文化の代表的存在です。苫小牧市ではコスプレフェスタを開催し、全国から2000人の若者が集まるといいます。まさに若者文化による「まちおこし」です。

 紋別のモンコミ3も、100人ほどの参加があり、昨年に引き続き大阪からの参加者もいます。

 手作り感、満載のイベントですが、それがまたほほえましい。若者たちの情熱は伝わってきます。「monkomi」の名が、全道、全国に広がることを期待したいですね。
 



3・11、フクシマを忘れない

 今年で6年目を迎えた3・11。

 その日、私は、紋別市が主催した防災講演会に参加しました。

 北見工業大学の高橋清教授が「災害に強い地域づくりに向けて」と題して講演しました。

 講演では最初の東日本大震災のすさまじい津波の写真を示し、「人はとかく、危険が迫っていても『自分だけは大丈夫』だと思い込みやすい。同時に、『嫌なことは忘れたい』と思うもの。しかし、こと災害については過去の教訓を忘れず、目を背けず、防災の意識を持ち続けることが大切」と説きます。

 3年前、福島県南相馬市で見た光景は忘れられません。放射能汚染で立ち入りが制限されていた小高地区。時が止まったままの街並みに、言葉を失いました。

 福島ではいまだ原発事故により、8万人もの県民が避難を余儀なくされています。

 しかし、避難解除を一方的に広げ、帰還しない人への家賃補助は打ち切るといいます。これも自己責任だというのです。

 安倍政権は、意図的に忘れさせようとしてるようです。

 私は、紋別市に避難してきた福島県の家族のことが心配でした。もし、住宅費への補助が打ち切られたら、と思い、市議会の予算委員会で質問しました。

 いくつかの市町村では独自に補助を行っているからです。

 でも答弁では、その家族はすでに紋別を離れているとのことでした。

 今年の政府主催の追悼式で安倍首相は、ついに福島の原発事故について一言も触れませんでした。

 だからこそ強く思います。

 「3・11、福島を決して忘れない。原発をゼロにするまで、忘れてたまるか」と

3月議会が終わって

 毎年のことですが、3月の議会はとにかく忙しく、苦労の連続です。いつもの一般質問の準備だけでなく、予算案に対にする勉強もしなければならないのですから、なおさらです。

 20日間に及ぶ議会も終わり、今はちょっぴりほっとしています。

 宮川良一市長は平成29年度の市政執行方針で「本市は、引き続き、様々な課題を抱える中、依然として、将来への不安を拭いきれない切実な思いを市民の皆さんが抱いていると感じている」と語りました。

 私は、それを受けて、次のように述べて一般質問を始めました。

 『市民生活はまさに、将来への不安の中にあります。雇用も医療も介護も子育ても、ますます広がる格差と貧困の中で、地方政治の役割は、住民の暮らしを守る防波堤となって、この地に住む住民に寄り添い、住民の利益を第一に、少しでも将来に希望の持てるまちづくりを進めることにあります。何より、今この地に住む市民が、いつまでも住み続けたいと思い、いつまでも住み続けられる故郷をつくることです。外からの移住もいいでしょう。避暑地化宣言、交流人口を増やすこと。否定はしません。しかし、やるべきは、心ならずも紋別を離れなければならない市民をなくし、将来への不安を拭いきれない市民のいのちと暮らしを守ることを第一に、安心できるまちづくりを進めること。これこそ、最大の政治課題ではないでしょうか。私は、この思いから、特に弱者の目線に立ち、通行の順に従い以下質問させていただきます』と

 そして、地域医療問題、介護保険、障害者福祉、子育て支援について質問しました。できるだけ、市民の声を活かし、現場の思いに寄り添って質問したつもりです。

 今回も質問の準備にあたって様々な関係者と懇談し、様々な市民から要望を聞いてきました。どれもが勉強になり、刺激になります。

 私の質問時間は30分しかありません。いつも時間が足りず、歯がゆい思いをしています。でも、一人ひとりの願いにこたえたい、この思いで、これからも頑張りたいと思っています。

 議会の内容も、順次紹介していきます。

2017年4月1日土曜日

「アザラシシーパラダイス」が人気です

 

 紋別市の海洋公園にある「アザラシシーパラダイス」が、今ネット上で大人気です。

 それもみな、ツイッターに載ったこの写真のおかげです。

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 この写真が「可愛い」とフォロワーが急増したのです。

 私も、お邪魔をして、これらの写真の掲載を承諾していただきました。

 この施設には、オスの「あぐ」君と、メスの「日和」さんがおり、あぐ君のアザラシのぬいぐるみを抱くしぐさが、まさにわが子を大切に抱きかかえる姿を彷彿とさせると、人気がでたのです。

 いまや、テレビ局の取材も殺到し、海外にも発信されています。
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 これらの写真や日々の情報は、紋別市の観光ポータルサイト「紋別オホーツクランド」で、見ることができます。

 紋別市は、アザラシの飼育と保護に力を入れています。

 そのために、昭和62年4頭のアザラシの飼育からスタートし、今では「オホーツクとっかりセンター」で20頭を超えるアザラシを飼育しています。

 ここでは、アザラシの観察、体験とともに、けがや網にからまって保護されたアザラシを治療し、自然の海に帰す取り組みも行う、国内では唯一のアザラシの保護センターでもあるのです。


 だからこそ、この施設の機能の充実をもっと図るべきだと、議会でも取り上げてきました。

 今回も、予算員会で、「飼育員さんたちの努力で、シーパラダイスの人気が急増している。しかし、全体として飼育員さんの体制は十分とは言えないのではないか」とただしました。

 地元の「民友新聞」に、シーパラダイスの大場飼育員の話が載っています。

 「写真を通してシーパラダイスが知られるようになってきたのは嬉しい。実際に足を運んで見たいと思ってもらえるよう、情報発信やイベントの企画に努めたい」

 ぜひ、足を運んでみてください。可愛いアザラシたちが待っていますよ。

 




映画「母」「この世界の片隅に」を見てきました

 先日、2本の映画を観てきました。

 一つは、「母ー小林多喜二の母の物語」。もう一つは、「この世界の片隅に」

 どちらも、あの戦争の時代を生きた人々の生の暮らしを描いた作品です。

 それだけに、見終わったあと、切なく胸がつまる思いとともに、どこか現代につながる感じを覚えました。

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 「母ー小林多喜二の母の物語」は、三浦綾子の小説をもとに、山田火砂子監督がメガホンをにぎり、寺島しのぶさんが小林多喜二の母・セキを演じています。

 日本が戦争へと突き進んでいく中、反戦と搾取のない社会を訴えた日本共産党員作家・小林多喜二。

 1933年2月20日、特高刑事に逮捕され、築地警察署で拷問を受けて絶命しました。享年29歳でした。

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 人権抑圧と思想弾圧で猛威をふるった「治安維持法」の犠牲になったのです。

 多喜二がなぜ社会運動に目覚め、弾圧にも屈せずペンを握り続けたのか。母・セキの目を通して丹念に描かれています。

 そこにあるのは、あくまで子どもを信じぬく力です。

 そして、セキは死ぬまで、本当のことを書いただけなのに、なぜあんなむごい殺され方をしなければならないのか、と問い続けます。

 セキの手紙が残っています。『ああ、またこの2月の月が来た。本当に、この2月という月が嫌な月。声をいっぱいに泣きたい。どこへ行っても泣かれない。ああ、ラジオで少し助かる。ああ、涙が出る。眼鏡がくもる』

 今、安倍政権は『共謀罪』の成立を急いでいます。これはまさに、現代版の「治安維持法」です。

 2度と物言えぬ国にさせてはいけないーこの映画は、その意味を私たちに教えています。

 「この世界の片隅に」-呉市に嫁いだ「すず」さんを主人公に、激化する戦況の中、ただひたすらに毎日を生き続けた人々の営みを丁寧に、そして優しく描いたアニメーション作品です。原作はこうの史代さん、監督は片淵須直さん。


       
 のんびりおっとりしたすずさん。そのキャラクターが見ていてとても心地いいのです。
 
 戦争が激化するなかでも、そんなすずさんの心に救われます。

 ところが大規模な空襲が呉市を襲います。そして、悲劇が起こります。画面が突然、真っ暗になって…。

 そして、実家の広島に原爆が投下されます。やがて、敗戦を告げる玉音放送が…。すずさんの叫びと号泣が胸に刺さります。

 最後に、ひとりの孤児がすずさんの前に現れて…。

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 「すず」さんの声は、能年玲奈あらため「のん」が演じてます。それが、またいいのです。

 ここに描かれているのは、名もない庶民の営みです。この
世界の片隅で、精一杯、幸せになろうと生きている庶民の暮らしです。

 戦争は、それをいとも簡単に奪い去っていきます。

 戦争の本質を、教えてくれる作品でもあります。