2015年8月20日木曜日

「戦争をする国を許さない」つどいを開催します

 市民の有志のみなさんと一緒に「戦争する国を許さない~いまこそ憲法と沖縄を考える DVD無料上映とフリートークのつどい」を開催します。

 ときは8月23日(日)午後1時30分からで、会場は紋別市立博物館の郷土学習室です。

 主催は、「憲法9条を世界遺産にする紋別の会」です。

 上映するDVDは、『あぶない憲法の話』と『速報・辺野古のたたかい・最新版 』の2本です。

 『あぶない憲法の話』は、「9条の会」の事務局長でもある小森陽一東大教授が「自民党憲法草案」の危険は内容と狙いをズバっと解説するもので、「戦争法案」の正体を含めて勉強になります。

             DVD『あぶない憲法のはなし(小森陽一)』 

 『速報・辺野古のたたかい・最新版』は、沖縄の今の最前線を伝え続けている「森の映画社」作成の「沖縄ニューズリール」の最新版です。辺野古のたたかいの今がわかるものです。

        

 午後1時30分から、DVDを繰り返し上映します。それぞれ30分程度のDVDです。

 そして4時ごろから、フリートークの時間を持とうと思っています。DVDを観ての感想や日頃の思いを自由に話し合う時間です。ぜひ、お越しください。

 実は同じ日、同じ博物館の市民ホールで、「新日本婦人の会紋別支部」主催の平和パネル展『平和のねがい』も催されています。こちらも、ぜひご覧ください。

 戦争の真実を描いたパネル展を観て、DVDも観て、ともに話し合う。そんな出会いがあればいいですね。

 「戦争法案」反対へ、何かできないか。多くの市民がそう思っています。私たちもそう感じてきました。

 すぐに集会やデモは無理でも、DVDを上映し、語り合うのはできるよね。そんな話しの中で、今回の企画が生まれました。

 これを出発点に、何ができるか、みんなで考えたいと思っています。

 




2015年8月19日水曜日

私、地元新聞(民友新聞)に大きく載りました

 8月8日付の北海民友新聞に、『ズームひと』というコーナーで私のことが大きく掲載されました。

 というのも、9月9日に行われる「柳家さん喬紋別落語会」の実行委員長として落語の魅力を語ってほしい、と取材を受けたものです。

 それがなかなかよくできた文章で、これをきっかけに良く声をかけてくれるようになりました。

 ということで、その記事を紹介します。

 『落語の魅力を伝えたい』  柳家さん喬独演会を企画
                  ~実行委員長の野村淳一委員長

 古典江戸落語の第一人者として知られる柳家さん喬さんの紋別公演が9月9日(水)午後6時30分から紋別市文化会館で開催される。主催は市民有志でつくる柳家さん喬紋別落語会実行委員会。実行委員長の野村淳一さん(59、紋別市議)に、さん喬さん、そして落語の魅力について聞いてみた。(桑原)

 
          柳家さん喬さん(昨年の紋別公演)
 
 近年、紋別市内で落語の公演が行われることは珍しくないが、なかでもさん喬さんは別格中の別格の存在。

 東京など大都市圏では独演会の前売りチケットはすぐ売り切れるという人気噺家だ。

 テレビに出ることは少ないので、一般の知名度はまだ低いが、通(つう)の間では絶大な支持を集めている。

 紋別公演は2008年の夏が最初。毎年、北海道の知人のもとに遊びに来るさん喬さんのことを知ったファンが頼み込んで紋別に来てもらった。

 会場は落石新興会館。仲間うちがこっそり開いた秘密の落語会のような趣があった。

 「さん喬」の名は知っていたが、まだ噺を聞いたことはなかったという野村さんは、目の当たりにする本物の芸に圧倒された。

 「凄かった。軽妙な掛け合いの滑稽噺から、心の機微をつくした人情噺まで一幅の絵、一編の芝居を見るよう。聞き終えたとき、突き抜けるような爽快感があった」と振り返る。

 以来さん喬さんの魅力にはまり、ほぼ毎年のように仲間とともに紋別独演会を企画している。

 さん喬さんの魅力を一言で言うと「粋(いき)」。

 「変なアクがなく、聞き手に対して押し付けがましくない」と野村さんは言う。オーバーなアクションも奇声もない。かといって淡々というわけでもない。メリハリがしっかりあり、噺が自然に展開していく。

~「落語は庶民の味方」

 野村さんが落語が好きになったのは中学のころ。円生、文楽、小さん、志ん朝らスター落語家がキラ星のように並んでいた時代。テレビやラジオで落語がよく放送されていた。

 カセットテープに録音して聞いているうちに、しゃべりたくなって、見よう見まねで演じてみた。

 紋北時代には仲間と落語研究会をつくって鑑賞会などを開いた。

 高校卒業後、東京で暮らし、21歳の時に日本共産党に入党した。25歳の時に紋別に戻り、印刷やタウン誌編集の仕事に携わった。

 34歳で紋別市議に初当選。現在6期目のベテランだ。議会での舌鋒の鋭さには定評がある。

 議会の一般質問では、時にドラマチックな口調で市政の矛盾を質す。もしかして落語の影響があるのか?

 「弁論というのは、もてる力をフル動員して、相手を説得し理解を求めることだと思っている。怒るところは怒り、引くところは引いてメリハリをつける。そういわれれば、私の一般質問は落語の影響があるのかなぁ」と苦笑する。

 話し方は別として、市井の人々の泣き笑いを扱った落語は、庶民の声の代弁でもある。

 「そう。落語はまさに庶民の文化。泣きも笑いも、優しさも、武家社会に対する反骨精神もある」

 だが野村さんは自戒するように言う。「落語はなまじ通(つう)ぶって頭でっかちに聞き込むと駄目。変な批評や解釈などせず、笑いたい時に笑い、泣きたい時に泣けばいい。さん喬さんの噺には、聴衆が自然に噺の流れに身を任せたくなる力がある」

 今年で6回目になるさん喬さんの独演会。紋別の聴衆も、気負わずスマートに落語を楽しんでいるように見える。

 「それが一番うれしい。市民は『言葉の力』を堪能している。今の時代、人の話をじっくり聞いて想像をめぐらす機会なんて、なかなかないし、そんなの面倒くさいという人だって少なくない。紋別の聴衆のみなさんは素晴らしいですよ」

 柳家一門は喬太郎など若手の人気スターも抱えている。「いつか、さん喬さんと若手との競演会を紋別で実現できれば」。野村さんの夢はまだまだ広がる。

 独演会の前売りチケットは2000円(75歳以上は1000円)で発売中。問い合わせは市民会館(電話24・2416)、北海民友新聞社(電話24・3278)、野村委員長(電話090・4228・7521)へ。




 というわけで、柳家さん喬師匠の落語会に、ぜひお越しください。お待ちいたしております。おあとがよろしいようで…

2015年8月17日月曜日

安心してお産ができる街に~遠軽町と懇談してきました

 8月4日、共産党遠紋地域地方議員団として、遠軽町役場に訪問し、広井澄夫副町長と松橋行雄民生部長と懇談してきました。

 内容は、まさに遠軽厚生病院の産婦人科問題です。これまでの経過と取り組み状況、町としての対応と今後の対策など、まずは情報を共有したいと思ったのです。

 もちろん、住民の声をしっかり届けることも忘れずに。

 参加したのは、私と遠軽町議の岩沢武征さん、佐呂間町議の但木早苗さんの3人。雄武町の福原峰雄町議はちょうど臨時議会で参加できませんでした。

 最初に、松橋部長からこれまでの経過が説明されました。

・4月16日  遠軽厚生病院長から「旭川医科大学より産婦人科医師2名の派遣が本年9月末をもって困難な状態となる」という内容の連絡があったとの報告を受ける。 

・5月8日  遠軽厚生病院事務長から、院長宛の文書の説明を受ける。要約すると「産婦人科医師の人員不足により、施設の集約化が避けられず、9月末で派遣は困難になるという結論になった」との内容。遠紋2次医療圏市町村長と協議を行い、要望活動の実施を決定。

・5月20日  旭川医科大学産婦人科学科教授に要望書提出(遠紋2次医療圏すべての市町村が参加)

・5月27日  北海道厚生連会長に要望書提出(遠紋2次医療圏すべてに市町村長が参加)

・5月29日  北海道知事に要望書提出(遠紋2次医療圏すべての市町村長が参加)

・6月24日  遠軽厚生病院長から、病院として患者及び職員に対して説明等を行わなければならないことから、正式決定のタイムリミットは7月21日であるとの報告を受ける

・6月8日  北海道防衛局及び北部方面総監部に遠紋2次医療圏市町村長連盟の要望書を提出。厚生労働省北海道厚生局長に要望(遠軽町長)

・6月12日  遠軽町議会が「遠軽厚生病院の堅持及び医師確保に関する意見書」を原案可決。内閣総理大臣等に提出

・6月13日  地元選出代議士及び道議に要望(遠軽町長)

・6月25日  防衛省(政務次官・衛生監)及び厚生労働省(厚生労働大臣・医政局長)に要望書提出(遠紋2次医療圏すべての市町村長及び議会議長が参加)

・6月29日  遠軽厚生病院長及び副院長(産婦人科主任部長)に産婦人科の維持と副院長の慰留を目的に、町・町議会・自治会連絡協議会・遠軽商工会議所・えんがる商工会連名で要望書提出(湧別町・湧別町議会及び佐呂間町・佐呂間町議会も同時に実施)

・7月6日  遠軽厚生病院長及び副院長に産婦人科の維持と副院長の慰留を目的に、遠軽地区3町の女性の代表が9493名分の署名を添えて要望

・7月16日 遠軽厚生病院長及び副院長に産婦人科の維持と副院長の慰留を目的に、自治会連絡協議会役員が10314名分の署名を添えて要望。湧別町自治会連合会が、7月15日5952名分の署名を添えて要望

・7月24日 東京都内の病院に対して医師派遣要請活動(遠軽町長・湧別町長)

 さらに、遠軽厚生病院での分娩の状況の資料もいただきました。

 それによると、遠軽厚生病院での分娩数は、平成24年366件(遠軽町118件、湧別町43件、佐呂間町14件、紋別市84件、興部町15件、滝上町10件、雄武町13件、その他69件)、平成25年366件(遠軽町128件、湧別町36件、佐呂間町7件、紋別市113件、興部町10件、滝上町6件、雄武町6件、その他60件)、平成26年351件(遠軽町110件、湧別町36件、佐呂間町3件、紋別市108件、興部町5件、滝上町5件、雄武町13件、その他52件)。
(なお、西興部村は3年間とも0件です)

 この間、遠紋地域での出生数はほぼ530件前後なので、6割から7割を遠軽厚生病院で手掛けていることになります。まさに、遠紋地域の大黒柱です。

 そこでお産ができなくなるとなれば、これこそ「出産難民」が出現しかねません。

 私は、遠紋地域の周産期の医療機関として、その機能と役割を維持するためにも、遠紋地域全体の取り組みにする必要性。

 さらに、病院側から何の言葉のない中で不安を高めている妊婦さんへの支援。

 また、分娩ができなくなった場合の支援策を、遠紋地域として検討する必要性。

 などを話し、また要望しました。

 副町長は、今、東京の病院にアプローチをしており、その返事を待っているところ。したがって、最終的な結論はまだ出ていない。
それに期待している。と話されました。

 とは言え、時間がないのも事実です。最後まで筋を通し、周産期医療を守るために運動を展開するとともに、もしもの場合に備えた取り組みも進めなければならないでしょう。

 なによりも、出産を控えている妊婦さんの安心と安全のために、急がなければなりません。

 

  

2015年8月10日月曜日

安心してお産ができる街に~遠紋で共同の取り組みを

 8月3日、遠軽厚生病院の産婦人科医師の引き上げに伴う住民どうしの初会合が行われました。

 この会合は、2時間近くに及び、活発な意見交換が行われました。

 この会合の模様は、北海民友新聞に詳しく掲載されています。というのも、紋別から参加した「紋別の地域医療を育て守る会」のメンバーの中に、民友新聞の記者がいたからです。その記事を紹介します。

「病院・行政・住民の連携を」
    遠軽厚生産科問題~遠紋の住民が初会合で

  遠軽厚生病院(矢吹英彦院長)の産婦人科常勤医師3人のうち2人が9月末で旭川医大に引き上げ、10月以降の分娩・検診等の受け入れ態勢が大幅に縮小すると見られている問題に対し、住民レベルで対処方法を考えようとする有志による初会合が3日夜、遠軽町内で開かれた。話し合いでは、出産を控えた妊婦の不安解消を最優先とするほか、病院・行政への働きかけや住民・妊婦への啓蒙活動も必要との考えで一致した。また医師招へい活動も含め、情報を共有・一元化して遠紋総力で状況改善に取り組むため、病院、行政、住民が一体になった組織を立ち上げたいとの方向性も打ち出した。


「紋別の地域医療を育て守る会」が開催を呼びかけたもので、「守る会」から世話人の横内寿治市議、野村淳一市議ら3人が出席。遠軽側での呼びかけに応じた元助産師や妊婦、自治連合会長、町議ら11人と、計14人でざっくばらんに意見を交換した。
 10月以降の現実的な対応については、遠軽など東紋地区の妊婦は北見の病院へ、紋別など西紋地区の妊婦は名寄や旭川の病院への振り分けが想定されるが、一定数の正常分娩は遠軽厚生・広域紋別の両病院での受け入れも可能と見られる。
 

         「妊婦の不安は計り知れない」
 出席した元助産師は「分娩する病院の振り分けは必要になる。遠方で出産した場合、帰ってきてからの地域のフォローが大切。核家族化でお母さんは助けのメッセージを発せられずナーバスになりやすい。保健センターなどの社会資源を活用できることを、妊婦さんに知ってもらう取り組みも必要」など、周辺環境整備も進めるべきとの考えを示した。
 いっぽう11月に出産を予定している女性は「いま現在、産む所が決まっていないのが不安。自分で探すのか、病院から提示してもらえるのかも分からない」と心情を吐露した。その夫も「産むのは安全安心なところであれば良いと思うが、出産前後の検診で、妻が1歳半の上の子を連れて遠くの病院まで運転しなけれなならないのが怖い。行政なりが、手を差し伸べてくれないのかと思う。妻を含め、いまおなかに子どもがいるお母さんたちの不安は、計り知れない」と、状況が見通せないことへのいら立ちも交えて語った。
 
        交通費や宿泊費、費用面でも負担
 遠軽や湧別の女性町議らも「1つの自治体や厚生病院だけで対処できる問題ではない。北海道が指定する周産期病院なのだから、住民の声を道に届ける必要もある。住民、行政、病院などいろんな活動があっても良いが、最終的には1つのものにまとめ、さらに上の段階へ働きかけなければ」「遠方の病院での自然分娩であれば、前もってホテル等での待機が必要になるなど費用面でも負担が大きい。町に対しては、北見で出産できる3病院の情報が得られる窓口の開設もお願いしている」などと、対処へ向けた方向性や、既に実行している策について述べた。
 また横内市議と野村市議は、紋別の「守る会」での経験などから「医療は住民の思いを受けてくれる。啓蒙活動や講演会で頑張っている姿を見せることが必要。遠紋広域で守る会を結成して動かしていくことが重要だ。市町村がまたがると行政主導は動きにくいので、民間が主導するべき」「住民の声のバックアップがあると、自治体は道や国など上の組織に話をしやすい。遠紋の周産期拠点を守りたいという住民の声を集め、医局へ伝えることも将来の派遣再開に向けて有効では」などとアドバイスを送った。 

       住民意識の改革、情報一本化が要
 このほか出席者らは「この難局には遠紋2次医療圏全体での連携が必要。行政や民間がみんな集まり、病院を支える団体になれたら」「一人残る可能性のある医師をバックアップする形も作りたい」「詳しい人から話を聞く勉強会もあったら良い」など、様々な思いや願いが語られた。
 これらを受けて、遠軽側の取りまとめ役となった阿部君枝町議は「受診・出産病院の割り振り等に対する住民の意識を変えること、医師招へいも含めて情報を一本化することが求められる。限られた時間でなにができるか、会を重ねて少しでも見えるようにしたい」などと総括し、初会合を終えた。
 9月末における常勤医師2人の引き上げは不可避とされ、残る1人が退任する可能性も指摘されている。出産ができるかどうかは地域の存亡にもつながることから、圏域全体で危機感を持って対処しなければならない重大な局面を迎えている。

                          (2015年8月5日付け)

南相馬の子どもたち~そしてお別れ

 いよいよ最後の朝。昨晩は、このコムケ湖にある「三室番屋」に泊まった子どもたち。どことなくしんみり。

 9時半、バスに乗り込んで紋別を後にしました。




 バスの中から一生懸命手を振る姿が目に焼き付きます。
 
 ほっとしたと同時に、「やっぱり疲れたね」という言葉が口をつきます。でも、今回も参加できて良かった。本当にそう思う瞬間でもあります。

 この日もコムケ湖は快晴。さわやかな風が火照った顔を撫でていきました。

                     


南相馬の子どもたち~コムケでの1日

 南相馬の子どもたち、4日目はコムケ湖です。

 これまで天気は今一つで、曇り空が続いていたのですが、この日は、まさに上天気。夏の日差しが照りつける最高の天気になりました。

 早速、カヌー体験です。湖面は穏やか、最高のカヌー日和です。


 最初はおっかなびっくりだった子どもたちも、すぐにオールを使いこなし、歓声が湖面に響いてきます。

 今度は、海に出て波と遊びます。水温は少々冷たいものの、元気一杯。久しぶりの海の感触です。


 やがて、日が落ち始め、BBQの開始です。


 焼肉はもちろん、焼きとうきびにホタテの貝焼き、マスにツブ、ホッカイシマエビにウインナー。どれも地元産の食材ばかり。スタッフは大忙しです。子どもたちの食欲もたいしたものです。

 やがて、満天の星空。そして、花火。コムケ湖の楽しい1日が過ぎてゆきます。からだ一杯、こころ一杯、おなか一杯になった1日でした。そして、紋別最後の夜が更けてゆきます。

 私は、一気に日に焼けて、もう大変です。



南相馬の子どもたち~興部町での1日

 南相馬の子どもたちの3日目は、紋別市のお隣、興部町での1日です。ありがたいことに昨年から、興部町の教育委員会が全面協力してくれているのです。

 まずは、硲興部町長に表敬訪問です。子どもたちも緊張気味。


 その後、子どもたちは別会場で興部の子どもたちと合流。まずは、仲良くなるためにゲームなど。

 
 その後、モーモー城でパン作りとアイスクリーム、ピザづくりを体験。

         モーモー城
       オホーツク農業科学研究センター(モーモー城)

 その間、私と西代表はノースプレインファームに出かけました。

 ここの社長の大黒さんと南相馬の酪農家が懇意にしており、興部に行くなら寄ってきてくれ、と頼まれていたそうです。  
           
           

 残念ながら大黒社長は留守でしたが、それでも吉川部長と懇談。興味が尽きぬようで、次から次へと話が進みました。そして、おいしいソフトクリームをいただき、感激していたようです。

 戻ってみると、子どもたちは昼食中。焼き上がったパンやピザに舌鼓。

 私も、焼きたてのピザをいただきました。


 私はその後、途中で抜けることになっていた西代表を空港まで送っていきました。実は昨晩、西代表を囲んでスタッフ4人と飲み会を催しました。紋別の生きの良い刺身にホッケ、カニにシマエビと、紋別の味を堪能したのです。「いやー、楽しかった。今度は家族を連れてきてみたい」と、別れ際に笑顔で話してくれました。

 午後は、子どもたちは、沙留の浜で水遊びに興じたようです。


南相馬の子どもたち~西代表、南相馬の今を語る

 南相馬の子どもたちの二日目は、紋別市内めぐりが中心です。

 とっかりセンターでアザラシに触れ、流氷科学センターで流氷を体験し、昼食はラーメンを味わい、昼からは流氷公園で思いっきり遊びまわりました。

 とは言え、私は仕事で参加できませんでした。後から聞いた話では、流氷公園が一番気に入ったらしく、広い敷地を思いっきり走りまわっていたそうです。

 夜が私の出番なのです。

 実は今回のツアーには、子どもたちの引率として「NPO法人南相馬こどものつばさ」の代表、西道典さんが同行してくれていました。

 代表じきじき紋別に来てくれることは初めて。そこで、せっかくの機会なので、西さんに現在の南相馬市の現状を話していただこうということになったのです。

 そしてこの夜、西さんの話を聞く会を紋別セントラルホテルで開催することになりました。その会の司会を私が努めることになったのです。

 20人ほどの市民が集まってくれました。

 最初に、紋別の「南相馬の子どもたちを招く会」の代表、桒原務緒さんがあいさつ。これまでの取り組みと経過を報告しました。放射能の汚染におびえる子どもたちを少しでも解放したい。そんな気持ちで始めたこの企画も今年で3年目。喜ぶ子どもたちの笑顔がうれしい、と話しました。


 次いで西代表。実は西さんは、南相馬市の男山八幡神社の宮司さんなのです。もちろんあの日、神社も大きく地震の被害をうけました。



 その時、西さんはPTAの会長をしていました。放射能の被害は明らかになるにつれ、子どもたちはいつも長袖の服で、外に出られない状況になりました。

 その時、支援に来ていた鎌田豊医師の助言で、子どもたちを一か月でも、一週間でも、二日間でも、この地から遠ざけることの重要性を知ったと言います。

 そこで立ち上げたのが「南相馬こどものつばさ」です。全国に、子どもたちの受け入れを呼びかけ、その集約と運営、手配を一手に引き受けてきました。

 震災の翌年には、ひと夏で1000人の子どもたちが全国に出かけました。

 西さんは言います。今でも、子どもたちの心のストレスは大きいと。あの日までは、普通に行っていた海にはもう近づけない。普通に駆けまわっていた裏山には登れない。普通に釣りをしていた川には入れない。

 いつ帰れるのかわからない仮設住宅での生活、親子がバラバラになってしまった生活、住む場所も、親の仕事も変わり不安の中での生活。それらが、子どもたちの心を痛めている。

 だからこそ、このような取り組みがまだまだ必要であり、受け入れてくれたみなさんに感謝したい。

 子どもたちには、そんな大人たちの背中を見てほしいと思っている。そして、いろんな暮らしがあることを、いろんな仕事があることを知ってほしいと思っている。この経験を、これからの糧にしてほしいと思っている。と語りました。

 私も2年前、南相馬市に行ってきました。いまだ、放射能の汚染で帰れない小高地区にも行ってきました。津波で壊れた家が、手つかずでそのままでした。ショックでした。



 仮設のプレハブ校舎の小学校にも、胸が痛みました。


 その現実は、基本的に変わっていません。

 あれから4年。だんだん被災地の現状は忘れられ、後回しにされているような気がします。

 何が、新国立競技場に2500億円なのか、何が「戦争法案」なのか、何が川内原発再稼働なのか、何が辺野古新基地なのか。今、急ぐべきことは、はっきりしている。


 

2015年8月6日木曜日

安心してお産ができる街に~遠紋地区の周産期医療を

 遠軽厚生病院の産婦人科医師の減少は、地域に大きな波紋と不安を広げています。

 3人の産婦人科医師のうち2人が9月いっぱいで退職し、旭川医大に戻ることになっています。残る一人の医師の去就も、まだ定めっていません。

 この地域の周産期母子医療センターとして、多くのお産を手掛けてきた遠軽厚生病院で出産できなくなることは、文字通り、遠紋地域全体の死活的問題でもあります。

 私も、一般質問で取り上げましたが、それだけで終わりにするわけにはいきません。そこへちょうど、道議会で共産党の真下紀子道議が代表質問で小樽の産婦人科問題を取り上げたことを知り、早速道議会の共産党道議団に連絡を取り、16日、直接訪ねました。

 小樽でも産婦人科医師の減少に苦しんでいること、そこでは「後志地方の周産期医療を守る会」をつくり住民運動を展開していること、やはり住民の運動とパワーが必要であることなどを学び、資料をいただきました。

 早速28日、遠紋地区の共産党の地方議員に声をかけ、会議を行いました。

 そこで議論したのは、周産期医療とは何か、なぜそれが大事なのか、その体制をどう維持すべきか、そのための道・国の責任とは、などでした。

 確かに、医師の招聘は簡単ではありません。しかし、身近なところで安心して出産できる体制づくりとハイリスク分娩に対応する周産期医療の確立は行政の責務であり、特に道の責任が大きいこと。そのためにも、遠紋地域全体の周産期医療を守る取り組みが必要なこと。そのための住民との取り組みをすすめよう。ということになりました。

 その場から、まずは経過と現状を知るために遠軽町との懇談を行うべく連絡。8月4日、副町長との懇談が決まりました。
 

 

南相馬の子どもたちがやってきました

 5日6時30分、南相馬の子どもたちが無事紋別に到着しました。これから9日まで、紋別で過ごします。

 今回は、全員が女子で、小学生11人。早速、大山山頂のコテージ2棟に分かれ、小休止の後、ウエルカムパーティーの始まりです。

 会場は、大山山頂にある「山カフェ」。実行委員長の桒原さんが経営するカフェです。

 食事は、「キッチンしま」の島竹シェフによる特製カレー。それに「やきとりばんちゃん」の鶏の半身揚げ。

 疲れも見せず元気に食事。よかった。

 いよいよ今日からは、わくわく体験オホーツクがスタートです。今日は、紋別市内を中心に回ります。アザラシと触れ合う「とっかりセンター」、「流氷科学センター」で流氷体験、「オホーツクタワー」で海中を体験し、流氷公園で思いっきり遊ぶ。ざっとこんなスケジュール。

 私の出番は、夕方から。今夜、講演会が企画されているのです。私は、その司会です。

 実は今回、子どもたちの引率に、「南相馬こどものつばさ」の代表である西道典さんが参加しています。

 子どもたちを被爆から遠ざけるためにと、「こどものつばさ」を立ち上げてきた方です。

 せっかく、紋別に来てくれるなら、今の福島、南相馬を語ってもらおうと言うことになり、講演会が決まったのです。

 今日、7時から、セントラルホテルで行います。ぜひ、参加してみてください。

 明日は、みんなでお隣の興部町にお邪魔します。私も朝から出番です。