2015年12月3日木曜日

発達障害の学習会に参加して

 28日、発達障がい児の親の会「つくしの会」が主催する講演会にお邪魔しましてきました。

 テーマは、「おとなになってはたらくために いまからできること」。

 講師の札幌市発達障がい支援センターの西尾副所長は、発達にはそれぞれのスピードがあること、自分でOKという「安心」と自分もやればできるという「達成感」が大切なこと、他者と比べず一つづつ上を目指すこと、発達には凸凹があるが凸を伸ばすこと、
「自立」とは手伝ってもらいながら自分らしい生活をおくること、などなど、豊富な体験と実践を交え話されました。

 私も、挨拶をと紹介され、これまで議会などで取り組んできた障害者の就労対策や今後の課題について話させていただきました。

 私にとっても発達障害については、まだまだ勉強不足です。そして、その課題も悩みも大きいと思っています。

 でも、少しだけでも手助けがあれば、普通に暮らせる、とも思っています。

 「議員の方が来てくれて、本当にうれしかったです」と主催者の方からうれしい言葉をいただきました。

 一人でも多くの理解者・支援者が求められているんだな、と感じました。

 発達がい害は、まだまだ理解が進んでいるとは言えません。とかく「困った子」と見られがちでも、実はその子こそ「困っている子」なんだと言われます。

 会の皆さんとこれからもつながっていければと思っています。

 

共産党懇談会で森つねと大いに語る

 先月の23日、紋別市立博物館の郷土学習室を会場に、日本共産党懇談会を開催しました。

 午前中の開催にもかかわらず、市内はもちろん、興部町や雄武町、西興部村からも参加があり、来年の参院道選挙区予定候補の森つねとさんの話に、真剣に耳を傾けました。


 この日のテーマは、なんといっても共産党が提唱した「国民連合政府」です。

 森さんはまず、安部政権が強行した安保関連法=戦争法の違憲性と危険な中身を告発するとともに、この動きに反対の声を上げた多くの国民の運動を紹介し、

「『民主主義を守れ』と立ち上がった『シールズ』。『誰の子どもも殺させない』と立ち上がった『ママの会』など、その声と運動は今も大きなうねりになっている。そしてその中から、自然に『戦争法を廃止する政府を。そのために野党の結集を』という世論が高まっている」と述べ、

「共産党が呼びかけた『国民連合政府』は、まさにその声に応えたもの。憲法違反の戦争法を廃止し、日本の政治に民主主義を取り戻す闘いは、まさに国民的な大義を持った闘いです。ともに力を合わせましょう」と熱く語りました。


 そして最後に、6月に生まれたわが子について触れ、「生きることは当たり前のことではない。誰の子どもも殺させないというスローガンは、人類普遍のものです。この思いは誰にも消せません」と締めくくりました。

 その後、選挙協力の展望、安保条約や領土問題など、会場からも意見や質問が出されるなど、活気ある集会となりました。



 

ケアマネ連絡協議会学習会

 紋別市ケアマネージャー連絡協議会の学習会に参加してきました。

 この協議会は道の支援も受け平成22年に発足し、ケアマネージャーの交流とともに、高齢者の入退院時の支援のため医療現場との連携にも力を入れてきました。

 今年からは紋別市の予算もつき、地域包括ケアシステムの重要な役割を担っています。

 私も、医療と介護の連携を強化するよう議会で取り上げ、ケアマネ協議会への支援も訴えてきました。

 前日、紋別市地域包括支援センターを訪問した時、この学習会の案内を受けたものです。

 この日の学習は、帯広、北見、網走の各ケアマネ協議会の活動を学ぶと言うもの。

 ひとりぼっちのケアマネをつくらない、と頑張っている帯広の例。

 質を向上させようと研修会を旺盛に取り組んでいる北見の例。

 市民向けの講習会などに力を入れている網走の例。

 どれも、生き生きと語れました。

 介護保険事業は年々大きく変化し、利用者にも介護現場にも厳しい状況が強まっています。

 それだけに、国言いなりでなく、高齢者に寄り添い、そのマチならではの介護事業が必要になっています。

 そのためにも、介護現場の声をまっすぐ発信することがますます重要です。そして、その声を活かす行政の姿勢も重要です。

 ケアマネ協議会の今後の活動に注目です。

2015年12月1日火曜日

地域医療を守る集会で発言しました

 11月16日、共産党の地方議員が集結し、北海道の来年度予算に対する要請・交渉が行われました。

 私も出席しました。何と言っても、遠紋地域の分娩再開が最重要課題です。この要請を、何としても直接道に伝えたい。その思いで参加しました。

 遠軽の岩沢町議とともに、地域医療課の中島主幹らと個別に面談することができ、改めて地域の実情を訴えました。

 なかなか出口は見えませんが、これからも意見交換ができればと思います。

 さて、その夜。「北海道の地域医療を守る緊急集会」が自治労会館で行われました。

 実は、その10日ほど前、この集会に遠紋地域の医療状況と住民の運動について発言してほしい、という依頼があったのです。

 荷は重かったのですが、お受けしました。遠紋地域の周産期医療を守る会のみなさんと行った、共産党道議団への要請活動がきっかけのようです。

 集会では、北海道民医連の太田事務局長から「地域医療構想」について基調講演がありました。

 次いで私の番です。私なりにまとめて話しました。遠紋2次医療圏で基本的に出産ができなくなった現状。それに対しての住民たちの運動。共産党議員団としての活動。最後に、地域医療構想による遠紋地域への影響について触れました。

 集まった80人が真剣に聞いてくれたと思います。

 ほっとした、集会後のビールのうまかったこと

 

2015年11月30日月曜日

「きょうされん」の研修会に参加して

 「きょうされん」という組織をご存知でしょうか。かつては「共同作業所全国連絡会」という名称でしたが、現在は、作業所だけでなく、通所型事業所やグループホームなど2000近い会員のもと、障がいのある人の豊かな地域生活を支える制度づくり、地域づくりをめざして活動しいている組織です。

 その「きょうされん」の道北ブロック研修会が11月14日、紋別市の「NPO法人ねこやなぎ」を会場に行われ、私も参加させていただきました。

 道北ブロックの研修会が紋別で開催されるのは3年前に続き、今度で2回目。その時も参加しました。

 妻の努めるB型の就労施設「NPO法人みのり」も「きょうされん」の会員ということもあり、私も、障害者福祉の現状をもっと知りたいと思っていました。

 会場には、紋別市内の障害者福祉の関係者をはじめ、旭川市や豊富町、斜里町などからも参加があり、和やかな雰囲気の中にも熱気ある会合となりました。

 まず、「きょうされん」の常任理事で、旭川の「あかしあ労働福祉センター」の総合施設長、北村典幸さんから情勢報告がありました。

 障害者の生活と権利を壊した「障害者自立支援法」に抗議して各地で起こされた当事者による裁判を通して、政府と和解が成立。それが「基本合意」となったものの、それから5年、政府はそれを反故にする方向を画策している、というのです。

 障害者差別解消法が来年度から施行される今こそ、生存権を保障した憲法25条を活かした国づくりが必要だと、力を込めます。

 講演では、自らも障害者の娘さんを持つ、「障害者の生活と権利を守る全国連絡協議会」(全障協)の新井たかね副会長が「娘とともに生きてきてー障害者運動・施設運営に学びながら」と題してマイクを握りました。

 新井さんは、娘さんを通して様々な大切な出会いがあったと言います。そして、この間、障害者施設を立ち上げ、障害者の権利を守るために様々な運動に携わってきた方でもあります。

 かつて国が、障害者自立支援法という名のもとに障害者の暮らしをおびやかした時、娘さんとともに違憲訴訟の原告の一員となりました。

 そして、「基本合意」という国との和解を勝ち取ったとき、「娘がこの世に生きている役割を担えた」と感じたと言います。

 そして、現場で働くみなさんに「その専門性と人権意識を高め、感性や想像力、洞察力を磨くことが大切です」とエールを送るとともに、「家族への調査で、ひとこと『人生につかれた』と書かれた80代の方もいました。障害者は平和でなければ生きられません。今の政治は、戦争への道をすすめ、ますます弱者を追いつめています。憲法と障害者権利条約を活かすことこそ重要です」と締めくくりました。

 もの静かな語り口ですが、実践と体験に裏打ちされた内容は説得力があり、力強さもありました。

 障害者をどう見るか、障害者福祉・障害者行政をどう見るか、大きな示唆を与えてくれたような気がします。

 ちなみに、新井たかねさんは、埼玉県川口市の共産党の市議を2期務めた方でもあります。

 懇親会も、大いに盛り上がりました。私も、乾杯の音頭を取らせていただきました。

 あちこちで障害者福祉を語り合う若い職員たちの姿がありました。心強く、そしてさわやかに、その日の夜は暮れました。

共産党道議団へも要請

 11月6日、「遠紋地域の周産期医療を守る会」のメンバーと一緒に、道に対し要請活動を行いました。

 実は、その前段で日本共産党道議団にも要請を行ったのです。



 控室を訪れた会のメンバーを、菊地よう子、佐野弘美道議が出迎え、高橋代表や稲葉遠軽町議の訴えに真剣に耳を傾けながら、「みなさんの奮闘に心から敬意を表します。みなさんの抱える不安は当然であり、共産党としても地域医療の充実と分娩再開に向けて力をつくします。ともに頑張りましょう」と応じました。

 女性同士、どこか心が通い合った感じがしました。

 会のメンバーも、心強く励まされたようでした。


遠紋の周産期医療を守る会と一緒に道に要請

 10月から遠軽厚生病院で出産ができなくなりました。これまで3人いた産婦人科医師がゼロになったためです。

 遠紋地域では広域紋別病院が唯一出産可能な病院ですが、それも経産婦に限られ、多くは北見市や名寄市に通わなければならなくなりました。

 紋別市でも分娩の7割が遠軽厚生病院だったため、その影響は大きく、不安の広がりとともに分娩再開を求める声が強まっています。

 こんな中8月25日、遠軽町の住民を中心に「遠紋地域の周産期医療を守る会」が発足し、署名活動に取り組んできました。

 このほど一定数署名が集まったため、11月6日、会の代表4人が北海道庁に出向き署名を提出し、要請活動を行いました。

 私も、この要請活動に参加させていただきました。

             嘆願書を渡す高橋代表

 

                   14.251筆の署名を渡しました

 会の代表の高橋真千子さんは「すでに若いお母さんたちから『二人目、三人目はあきらめざるを得ないかもしれない』という声も聞かれます。この地域に暮らす住民の実態を知っていただき、すべての女性とその家族のために分娩が再開できるよう尽力をお願いします」と訴えました。

 私も、「ここに集められた署名の一筆一筆に込められた切実な思いを、ぜひ受け止めてほしい」と話しました。

 対応した道保健福祉部の荒田地域医療推進局長は「確かに署名は受け取りました。道としても今後とも努力を続けます」と答えました。

 この要請には、地元道議の新沼透氏が仲介をしてくれ、一緒に要請にも参加してくれました。

 道として、遠軽厚生病院を周産期母子医療センターと位置付け、優先的に産婦人科医師の確保を図る病院とした以上、その仕事をしっかり果たす責任があります。

 確かに医師の不足は現実だとしても、北見、名寄まで2時間という道のりを、妊婦さんに背をわせることはできないことです。

 他人事でないことを祈りつつ、道庁を後にしました。

2015年10月23日金曜日

紋別市総合戦略にパブコメを提出しました

 今、多くの市町村で国の地方創生にからむ「人口ビジョン」と「総合戦略」づくりが進んでいます。

 「地方消滅」などと盛んに言われ、「地方創生」がもてはやされたものの、それもトーンダウンの雰囲気です。

 それどころか、今度は「1億総活躍社会」などと言い出しました。自治体も、国に付き合うのは大変です。

 とはいえ、「人口ビジョン」「総合戦略」はつくらなければ、先に進みません。つくる以上は、実のあるものにしなければなりません。

 紋別市も、検討委員会などで作業を進め、原案が公表されました。そして、パブリックコメントの募集がありました。

 議会でもいくつか指摘した以上、無視はできません。「総合戦略」を読み、私なりに感じた点をまとめ、提出しました。

 それが的を射たものかどうかはわかりませんが、一市民からの声として受け止めてもらえればと思います。

 以下、私が提出したパブコメの内容を紹介します。

 なお、「総合戦略」の本文は紋別市のホームページでご覧になれます。



1、「若者の子どもを生み育てたいという希望の実現」に関して
  
  ①重点施策とされている「妊娠・出産・子育てに係る支援」では、「妊娠から子育てまでのさまざまな負担について、支援の質・量の充実を図り、妊娠・出産・子育ての希望の実現に取り組む」としていますが、そのための具体的な施策、展開が示されていません。何をどう取り組むのか、その具体的施策を示してこそ、「KPI=出生数5%増加」への実現が見えてくるのではないでしょうか。また、「支援の質・量の充実」としていますが、それは何を意味し、何をさしているのかもわかりません。その内容を含め、切れ目のない支援を実施し、出生数5%増加へ向けた具体的施策の展開を明確にすべきだと考えます。
   
  ②第5次総合計画のアンケートでも、子育て支援計画のアンケートでも一番強い市民の要望は、子育てにかかわる経済的負担の軽減です。これを無視するわけにはいきませんし、その要望に応えてこそ希望の実現になると思います。しかし、これらを扱った項目も、事業の内容もまったく見られません。例えば、子どもの医療費への助成、保育料の軽減、学校給食費の軽減、出産経費への助成、不妊治療への補助、ひとり親世帯への経済的支援など、これらの拡充と創設は重要な課題と考えます。「負担軽減の推進」の項をおこし、施策を展開すべきと考えます。

  ③子育てにとって重要なのは、子育てしやすい環境、特に職場での理解と環境の整備だと思います。それがあってこそ、仕事と家庭と子育てが両立し、子どもを生み育てる希望が実現すると考えます。そのためにも育児休業取得の推進と目標を強く明記する必要があると考えます。

  ④もう一つ重要な課題に医療の問題があります。安心して妊娠・出産・育児ができるためには安定した医療環境の整備が不可欠です。その点で、安心した出産ができない現状は、重大な事態です。その解決に向けた取り組みこそ、「重点施策」ではないのでしょうか。「周産期医療と小児医療体制の整備」も項をおこして施策を展開すべきではないのでしょうか。

  ⑤「妊娠・出産・子育ての切れ目のない支援」P17のKPIは、出生数とともに「子育ての満足度」(第5次総合計画策定時3.7%)を、いかに引き上げるかも重要だと考えます。紋別市で子育てしたいと感じてもらうこと、それこそが「総合戦略」の要だと思います。その目標値として「子育ての満足度」のアップを明確に位置づけることが必要だと考えます。

2、「本市の魅力向上と発信強化による新たな人の流れの創出」に関して
   
    移住の促進として、Uターン者への支援などを重要施策としています。特に若い世代のUターンの促進は重要な施策だと考えます。それを動機付けし、さらに人材の確保にもつながる、医者や看護師・医療従事者、さらに介護従事者や障害福祉の専門職員を育成する市独自の奨学金制度の充実と創設は極めて有効な施策だと考えます。具体化を求めます。

3、「個性と魅力あふれる地域づくりと安心な暮らしの確保」にし て
   
   「安心な暮らしの確保」と言うのであれば、「防災対策」に関しても触れるべきだと考えます。

4、全体をとおして
  
  ①「施策の展開」の項目について、もっと具体的な施策が展開され、提案されるべきではないのでしょうか。どうも抽象的で具体性のない印象を受けます。「施策の展開」と言いながら、具体的施策が示されていないのは残念です。KPIの達成に向けて具体的に何をどうするのか、もっと具体的な展開と方向性を指し示すことが必要だと思います。


  ②この「総合戦略」の審議にあたって市民による検討会議がつくられ、高校生をはじめいくつかの団体からヒヤリングもされたといいます。しかし、それらの審議の内容もヒヤリングの結果も明らかになっていません。少なくとも、ホームページなどにそれらの内容や資料などを掲載すべきです。その審議の経過やヒヤリングの内容なども参考に、今回のパブリックコメントを考えられればと思っていたのですが。

 

2015年10月18日日曜日

行政視察―大館市、一関市、名取市へ

 9月29日から10月3日までの日程で、紋別市議会福祉民生常任委員会の行政視察に参加してきました。

 最初は、秋田県大館市。紋別空港から羽田へ。そこで能代大館空港に乗り継ぎ、夕刻大館市に到着。秋田県の一番北。生活圏は青森県弘前市に近いとか。

 そこでの視察テーマは、「学力向上に関する取り組みについて」です。

 秋田県は、学力テストで全国一を続けています。その秘訣を学ぼうというのです。

 私は正直、それほど強い関心はありませんでした。言うまでもなく「全国学力テスト」は、その子の持っている能力のごく一部を推し量るものでしかなく、逆に序列化を強化するだけのものです。

 とはいえ、話を聞いて感心したのは、地域を担う人材を育てようと「大館盆地を教室に、市民一人一人を先生に」をコンセプトに、学校が地域と積極的にかかわっていることでした。

 また、学力の向上には秋田県のイニシアチブが大きかったようです。それは、平成13年からの県による少人数学習・ティームティーチングの実施に向けた教員の増員が決定的だったと言います。

 現在の学力は、それらの長年の積み重ねによるものだと言います。 

 大事なのは、一人ひとりの到達に応じたきめ細かい支援こそが学力向上の要なのだということを実感しました。

 さてその日の朝、散歩していたら「秋田犬(いぬ)会館」という建物を見つけました。

         Akita-Inu-Kaikan 110827.jpg
 
 なんでも大館市は、あの「忠犬ハチ公」のふるさとなのだそうです。マタギの猟犬として主人に仕え、この地方に育った秋田犬。
 早朝で、まだ開館しておらず中を見れなかったは残念でした。

 2か所目は、一路、東北道を南下して、岩手県一関市へ。そこでのテーマは「子育て世代への支援について」です。

 何よりここで興味を引いたのは、子育て支援を切れ目なく行うために、市の組織を大きく変更したことでした。

 紋別市もそうですが、母子保健(乳幼児健診や予防接種、妊婦健診)は従来、健康づくりや健康増進といった部署や保健センターなどが担当してきました。

 それを子育て支援課に加え、出産から青少年対策まで一貫した支援体制をとっているのです。

 この日、視察で訪問した「保健センター」は今年完成したばかりで、健康づくりと子育て支援の拠点となっています。


 子育て支援センターや乳幼児の検診室など、広々とした空間がうらやましく感じました。

 また、産後の育児を支援するサポーター派遣事業や第3子以降の保育料を無料にする事業などは、紋別でも生かしたいものだと感じました。

 保健センターを視察している最中、モップを持って清掃している人たちを見かけました。もしやと思い聞いてみると、やはり障害者の方々でした。市内の就労支援B型の事業所が請け負っているとのことでした。


  さて、一関市の隣町・平泉町に世界遺産の中尊寺があります。時間を見つけて訪れました。

 国宝の金色堂は目にも鮮やかに、往時の藤原家の栄華を物語っていました。杉木立にたたずみながら、しばし時間を忘れました。

 最後の視察地は、宮城県名取市です。ここでのテーマは、東日本大震災における「被災者の生活支援について」です。

 一関市から名取市に向かう途中、石巻市にも立ち寄りました。

 市内の高台にある日和山公園に上りました。そこから港がよく見えます。ガイドの方が、「今はただの空き地のようですが、ここに人家がたくさんあったのです。あの津波ですべて流されました」と言います。

 眼下に広がる土地に多くの建物があったとは、まったく想像できない光景に、言葉を飲み込むだけでした。

 「仙台で嵐のコンサートがあったとき、ここに松本潤がきたんですよ」。そんな話もしてくれました。

 やがて私たちを乗せた車は名取市へ。そして被災地の閖上(ゆりあげ)地区に入りました。

 ここもまた、津波により大きな被害が発生した場所です。ただただ、広い土地が続くばかりです。ここにも人々の営みがあったのです。

 慰霊碑がありました。

           慰霊碑全景

 急に雨風が強くなり、ゆっくり見学できなくなりました。写真は名取市のホームページから転載さてもらいました。

 碑の高さは8.4メートル。この地を襲った津波の高さだと言います。慰霊碑左右の芳名板には犠牲になった944名の名が刻まれています。

 復興のシンボルとしての「ゆりあげ港朝市」がありました。その日はもう誰もおらず、雨に打たれさみしげに見えました。

 それでも、かさ上げの工事がつづいているようで、少しつづ動いている感じを受けました。

 翌日、名取市役所で被災者の生活支援について説明を受けました。

 現在も、仮設住宅に993人が入居しており、その多くが高齢者だと言います。7か所ある仮設住宅を統廃合していく方向だとも言います。

 復興住宅の建設も進みつつあると言いますが、ただ閖上地区はようやく土地の利用計画が定まったところ。約32ヘクタールを約4メートルかさ上げし、居住地域にする計画です。その完成見込みは平成29年度末だと言います。

 ただ気になったのは、生業としての産業・漁業の復興です。現地でも感じたのですが、港の復興はあまり感じられなかったことです。いまだに、地盤沈下のままといった様子でした。

 生活と生業をどう復興させていくか。難しい課題ですが、必要な課題でもあります。

 同時に、感じたことがもう一つ。名取市は仙台市の隣町で、人口も増加しています。仙台空港のマチでもあり、交通の便も良いのです。ロードサイドの大型店がたくさんありました。

 それだけに、閖上地区の状況と街のにぎわいとに大きなギャップを感じてしまうのです。

 それだけに、忘れてはならないと思います。あの日まで、普通の暮らしがあったこと。あの日、多くの尊い命が犠牲になったこと。あの日から、苦しみを胸に生きている多くの人がいることを。

 2年前、仙台市を中心に南相馬市、南三陸町を訪れたことを思い出します。その惨状を見、当時の話を伺い、いくどとなく言葉を失いました。私に何ができるのか、戸惑いました。

 あれから2年。現地はどう変わったのだろうか。あの人たちは元気でいるだろうか。新幹線で東京に向かう仙台駅のホームで、近いうちに必ずまた来よう、と心に決めました。



2015年9月28日月曜日

北見市長選の応援に行ってきました

 27日、投開票でたたかわれた北見市長選と北見市議補選。市長選には、明るい北見市政をつくる会推薦の菅原まこと前共産党北見地区委員長代理が無所属で出馬。オール与党のあいのりのつじ直孝候補と一騎打ちとなりました。

 市議補選には桜井ゆみこ共産党北見地区女性副部長が立候補。1議席に4人の候補が争います。

 私も、選挙戦終盤の4日間、両候補の応援に北見に入りました。

    

 市長選の結果は、辻 直孝 29310  菅原まこと 11440
 市議選は、桜井ゆみこ 5812 で4位でした

 両候補とも、議席には届かなかったものの、菅原候補は得票率28.1%を取り、善戦したと思います。

 桜井候補も、まったく知名度もない中でのたたかいで14.8%の得票を得、次につなげる大健闘だったと思います。

 ところで私はというと、候補カーに乗って、アナウンスや手振り、遊説箇所や時間の調整などなどの仕事。時には、候補の相談相手。

 それにしても、菅原候補の若さと真摯な姿には頭が下がる思いでした。どんなに遠くでも、話を聞いてくれている人を見かけると駆け出してお礼を言い、握手をしてくる。私も、少し後を追いかけたりしましたが、1日で断念。私たちが、演説の内容を指摘しても、いやな顔せず受け入れて修正する。日に日に、その姿はたくましくなり、最終盤は北見市長に見えてきました。

 桜井候補もまた、女性らしい優しさと心配りが温かく心に響きました。その演説は、まさに一人ひとりに語りかけるようで、しっかり心をつかんだと思います。私も、はじめての感覚でした。マネしたいものだと思うのですが…。やめときますか。

 いよいよ最終日、候補カーのアナウンスも迫力を持って、いよいよ私の出番だと思っていたのですが、どうも朝から調子が出ない。なんだか体がだるいのです。ついに、午後からの乗車をあきらめて、そのまま紋別に戻り、病院に行って驚いた。なんと体温が38度を超えていたのです。風邪のようでした。

 応援に行って、こんな姿とは。なんだか申し訳ない思いでした。

 いまは、すっかり良くなりました。

 今朝、菅原さんから電話をもらいました。「全力で戦って、良い経験になりました。応援ありがとうございました」。明るく元気な声が私の心にもさわやかに流れていきました。 

 私は、明日から市議会の行政視察で秋田県大館市、岩手県一関市、宮城県名取市に行ってきます。          

2015年9月19日土曜日

雨の中、戦争法案阻止、緊急集会

 19日、午後2時から「戦争法案阻止、怒りの紋別緊急集会」を開催しました。

 あいにくの小雨模様でしたが、35人の参加で、それなりに元気一杯に抗議の声をあげました。


 国会では、参議院でこの日の未明、ついに戦争法案が可決されました。それだけに、集まったみんなのボルテージも高いものがありました。

 私も、一言発言しました。憲法の平和主義も、立憲主義も、民主主義もすべて壊し、戦争する国に変えてしまった安部政権。今日の日を絶対に忘れない。そして、新しい戦いの始まりの日にしよう。と呼びかけました。

 新婦人の曽我部さんは、国会前での若者たちの行動に励まされ、勇気をもらい、希望を感じたと語りました。

 憲法9条を世界遺産にする紋別の会の鷲頭さんは、この日のために「森のくまさん」の替え歌「アベ、なめんなよ」をつくってきてくれ、みんなで合唱しました。

 最後は、ラップ調のシュプレヒコール。大きく盛り上がりました。


 まさに、戦いはここから始まります。

 さて私は、明日から北見市長選挙、市議補選の応援で北見に入ります。市長候補の菅原まことさん、市議候補の桜井ゆみこさん。頑張っています。ぜひ、ご支援を。

さん喬落語会、盛況に終わりました

 議会のさなかの9日、「柳家さん喬紋別落語会」が開催しました。私も、実行委員長として、議会の委員会終了後、会場の文化会館に駆けつけました。

 舞台に高座をつくり、準備万端。後は、お客さんの入りを待つだけ。前売り券の売れ行きはまずまずとのこと。それでも、不安は募ります。

 そうこうしているうちに、いよいよ開幕。実行委員長として挨拶すべく舞台に出てびっくり。

 ほぼ満席に近い入りです。200人近いお客さんの期待と熱気をびしびし感じながら、一言挨拶。いよいよさん喬師匠の高座が始まりました。

 この日は、兄貴分の新築祝いに水がめを贈ろうとしたが高価なため、使い古した肥がめに水を張って届けた2人。さて、この2人につぎつぎ起こる珍騒動が爆笑をさそった「家見舞い」からスタート。

 続いて、結婚式で謡曲の高砂を披露することになった主人公のドタバタを描いた「高砂や」

 短気とのんびり屋の珍妙なやりとりを描いた「長短」

 そして、最後はじっくり聞かせた人情話「柳田格之進」。潔癖な浪人・柳田格之進の武士としての生き様と友人である大店の主人との友情、そして悲劇が、しっとりと、時には荒々しく表現された秀作です。

 会場はいつしか静まり返り、多くの方が身を乗り出すように噺に集中している姿が印象的でした。

 私も、胸がジーンとなりました。もうしばらく余韻を楽しんでいたい思いでした。

 多くの方から「良い噺でした」「本当に、楽しかった」と言葉をかけてもらいました。

 いつもは噺は3つなのですが、今回は4つ。実は、実行委員の中に、娘さんがまもなく結婚する方がおり、それを聞いたさん喬師匠が、お祝いとして特別に「高砂や」をかけてくれたのです。

 師匠も、意気なことやるものです。私たちは、思いもかけず、ラッキーでしたが。

 さてさて、来年も楽しみです。

2015年9月18日金曜日

学びと決意の夏でした

 古い話しで恐縮ですが、8月の話を一つ。

 実は、8月は忙しかったのです。

 まずは、南相馬の子どもたちを招いてのツアーに始まり、急に浮上してきた遠軽厚生病院の産婦人科問題での取り組み、戦争法案反対の運動などなど。

 それに、出張・研修や視察も多い月でした。

 12日には稚内市、20日には北見市に視察に行ってきました。両市とも学校給食費の助成制度を実施しており、それを学ぼうと出かけました。

  
                   稚内市の学校給食センター

       
                   北見市の学校給食センター

 子どもの貧困が社会問題になっている今、学校給食への助成は重要な課題です。

 紋別市では、学校給食センターの建設とともに、民間委託の動きが強まっています。

 稚内市では、安全な給食を保障するために市が責任を持つとして、民間委託を拒否しています。今回の議会には間に合いませんでしたが、学校給食のあり方をじっくり取り上げてみたいと思っています。

 また、研修も多い月でもありました。

 18日には留萌市で「地方創生問題」にかかわる研修会が行われました。

 東大の教授の方の講演でしたが、これがなかなか面白い。

 いよいよ東京の高齢者問題が深刻になってきた。そこで、地方消滅などと地方を脅かし、高齢者の地方への移住を推進すること。これが「地方創生」の裏の目的だ。

 地方を再生しようなどというものではない。まさに「東京のエゴイズム」だ。と、バッサリです。

 しかし、この論理、当たらずとも遠からずです。

 さらに24日には定山渓で全道の共産党の地方議員の研修会が開かれました。

 こちらも、戦争法案とのたたかいや地方創生、子育て、医療、雇用など様々な課題が議論されました。

 どれもこれも重要なテーマばかりです。勉強することが山ほどあるなぁ、というのが率直な感想でした。

 そして、23日には「戦争する国を許さない、DVD上映とフリートークのつどい」です。

 戦争法案に反対する行動を何かできないかと考え、今回の企画になりました。




 会場には、小さな子どもをかかえた女性、戦争経験者の男性なども参加し、熱い思いが語られました。

 「戦争が近づくようで怖い。このような集まりを待っていました」「わが子の未来を考えると胸が苦しくなるときがある。やはり、自分が動くことしはないと思っています」

 弁護士からも「この法案は憲法違反であることは明らかです」と語られ、あらためて、戦争法案の危険な中身がはっきりしました。

 また、同じ施設の市民ギャラリーでは、新婦人紋別支部が主催する平和パネル展が行われました。





 その中に、平和のタペストリーと題した、市民の平和へのメッセージが張り出されていました。

 その中に「戦死なされた兄さんは、遺骨はからでした。こんなことがあってはなりません」という高齢の女性からの文章がありました。

 同じ悲しみを繰り返してはならない――決意の夏でもありました。

2015年9月17日木曜日

戦争法案阻止、緊急集会を行います

 参議院の特別委員会で「戦争法案」が強行採決されました。数の力で、違憲の法案をゴリ押しする。むちゃくちゃです。怒りで、震えています。

 そこで、緊急に抗議集会を開きます。

 「戦争法案」阻止!怒りの紋別緊急集会です。

 19日の土曜日、午後2時から「氷紋の駅」のバスターミナル側の歩道を中心に開催します。

 急ぎ、プラカードも作りました。リレートークにシュプレヒコールを企画しています。

 主催は、戦争させない、9条壊すな!紋別実行委員会です。私たち共産党紋別市委員会も加わっています。

 ぜひ、多くの参加で成功させ、怒りの声を国会まで届けましょう。いてもたってもいられない、黙ってはいられない、そんなあなた、ぜひ、顔を出してください。ともに、声を上げましょう。

2015年8月20日木曜日

「戦争をする国を許さない」つどいを開催します

 市民の有志のみなさんと一緒に「戦争する国を許さない~いまこそ憲法と沖縄を考える DVD無料上映とフリートークのつどい」を開催します。

 ときは8月23日(日)午後1時30分からで、会場は紋別市立博物館の郷土学習室です。

 主催は、「憲法9条を世界遺産にする紋別の会」です。

 上映するDVDは、『あぶない憲法の話』と『速報・辺野古のたたかい・最新版 』の2本です。

 『あぶない憲法の話』は、「9条の会」の事務局長でもある小森陽一東大教授が「自民党憲法草案」の危険は内容と狙いをズバっと解説するもので、「戦争法案」の正体を含めて勉強になります。

             DVD『あぶない憲法のはなし(小森陽一)』 

 『速報・辺野古のたたかい・最新版』は、沖縄の今の最前線を伝え続けている「森の映画社」作成の「沖縄ニューズリール」の最新版です。辺野古のたたかいの今がわかるものです。

        

 午後1時30分から、DVDを繰り返し上映します。それぞれ30分程度のDVDです。

 そして4時ごろから、フリートークの時間を持とうと思っています。DVDを観ての感想や日頃の思いを自由に話し合う時間です。ぜひ、お越しください。

 実は同じ日、同じ博物館の市民ホールで、「新日本婦人の会紋別支部」主催の平和パネル展『平和のねがい』も催されています。こちらも、ぜひご覧ください。

 戦争の真実を描いたパネル展を観て、DVDも観て、ともに話し合う。そんな出会いがあればいいですね。

 「戦争法案」反対へ、何かできないか。多くの市民がそう思っています。私たちもそう感じてきました。

 すぐに集会やデモは無理でも、DVDを上映し、語り合うのはできるよね。そんな話しの中で、今回の企画が生まれました。

 これを出発点に、何ができるか、みんなで考えたいと思っています。

 




2015年8月19日水曜日

私、地元新聞(民友新聞)に大きく載りました

 8月8日付の北海民友新聞に、『ズームひと』というコーナーで私のことが大きく掲載されました。

 というのも、9月9日に行われる「柳家さん喬紋別落語会」の実行委員長として落語の魅力を語ってほしい、と取材を受けたものです。

 それがなかなかよくできた文章で、これをきっかけに良く声をかけてくれるようになりました。

 ということで、その記事を紹介します。

 『落語の魅力を伝えたい』  柳家さん喬独演会を企画
                  ~実行委員長の野村淳一委員長

 古典江戸落語の第一人者として知られる柳家さん喬さんの紋別公演が9月9日(水)午後6時30分から紋別市文化会館で開催される。主催は市民有志でつくる柳家さん喬紋別落語会実行委員会。実行委員長の野村淳一さん(59、紋別市議)に、さん喬さん、そして落語の魅力について聞いてみた。(桑原)

 
          柳家さん喬さん(昨年の紋別公演)
 
 近年、紋別市内で落語の公演が行われることは珍しくないが、なかでもさん喬さんは別格中の別格の存在。

 東京など大都市圏では独演会の前売りチケットはすぐ売り切れるという人気噺家だ。

 テレビに出ることは少ないので、一般の知名度はまだ低いが、通(つう)の間では絶大な支持を集めている。

 紋別公演は2008年の夏が最初。毎年、北海道の知人のもとに遊びに来るさん喬さんのことを知ったファンが頼み込んで紋別に来てもらった。

 会場は落石新興会館。仲間うちがこっそり開いた秘密の落語会のような趣があった。

 「さん喬」の名は知っていたが、まだ噺を聞いたことはなかったという野村さんは、目の当たりにする本物の芸に圧倒された。

 「凄かった。軽妙な掛け合いの滑稽噺から、心の機微をつくした人情噺まで一幅の絵、一編の芝居を見るよう。聞き終えたとき、突き抜けるような爽快感があった」と振り返る。

 以来さん喬さんの魅力にはまり、ほぼ毎年のように仲間とともに紋別独演会を企画している。

 さん喬さんの魅力を一言で言うと「粋(いき)」。

 「変なアクがなく、聞き手に対して押し付けがましくない」と野村さんは言う。オーバーなアクションも奇声もない。かといって淡々というわけでもない。メリハリがしっかりあり、噺が自然に展開していく。

~「落語は庶民の味方」

 野村さんが落語が好きになったのは中学のころ。円生、文楽、小さん、志ん朝らスター落語家がキラ星のように並んでいた時代。テレビやラジオで落語がよく放送されていた。

 カセットテープに録音して聞いているうちに、しゃべりたくなって、見よう見まねで演じてみた。

 紋北時代には仲間と落語研究会をつくって鑑賞会などを開いた。

 高校卒業後、東京で暮らし、21歳の時に日本共産党に入党した。25歳の時に紋別に戻り、印刷やタウン誌編集の仕事に携わった。

 34歳で紋別市議に初当選。現在6期目のベテランだ。議会での舌鋒の鋭さには定評がある。

 議会の一般質問では、時にドラマチックな口調で市政の矛盾を質す。もしかして落語の影響があるのか?

 「弁論というのは、もてる力をフル動員して、相手を説得し理解を求めることだと思っている。怒るところは怒り、引くところは引いてメリハリをつける。そういわれれば、私の一般質問は落語の影響があるのかなぁ」と苦笑する。

 話し方は別として、市井の人々の泣き笑いを扱った落語は、庶民の声の代弁でもある。

 「そう。落語はまさに庶民の文化。泣きも笑いも、優しさも、武家社会に対する反骨精神もある」

 だが野村さんは自戒するように言う。「落語はなまじ通(つう)ぶって頭でっかちに聞き込むと駄目。変な批評や解釈などせず、笑いたい時に笑い、泣きたい時に泣けばいい。さん喬さんの噺には、聴衆が自然に噺の流れに身を任せたくなる力がある」

 今年で6回目になるさん喬さんの独演会。紋別の聴衆も、気負わずスマートに落語を楽しんでいるように見える。

 「それが一番うれしい。市民は『言葉の力』を堪能している。今の時代、人の話をじっくり聞いて想像をめぐらす機会なんて、なかなかないし、そんなの面倒くさいという人だって少なくない。紋別の聴衆のみなさんは素晴らしいですよ」

 柳家一門は喬太郎など若手の人気スターも抱えている。「いつか、さん喬さんと若手との競演会を紋別で実現できれば」。野村さんの夢はまだまだ広がる。

 独演会の前売りチケットは2000円(75歳以上は1000円)で発売中。問い合わせは市民会館(電話24・2416)、北海民友新聞社(電話24・3278)、野村委員長(電話090・4228・7521)へ。




 というわけで、柳家さん喬師匠の落語会に、ぜひお越しください。お待ちいたしております。おあとがよろしいようで…

2015年8月17日月曜日

安心してお産ができる街に~遠軽町と懇談してきました

 8月4日、共産党遠紋地域地方議員団として、遠軽町役場に訪問し、広井澄夫副町長と松橋行雄民生部長と懇談してきました。

 内容は、まさに遠軽厚生病院の産婦人科問題です。これまでの経過と取り組み状況、町としての対応と今後の対策など、まずは情報を共有したいと思ったのです。

 もちろん、住民の声をしっかり届けることも忘れずに。

 参加したのは、私と遠軽町議の岩沢武征さん、佐呂間町議の但木早苗さんの3人。雄武町の福原峰雄町議はちょうど臨時議会で参加できませんでした。

 最初に、松橋部長からこれまでの経過が説明されました。

・4月16日  遠軽厚生病院長から「旭川医科大学より産婦人科医師2名の派遣が本年9月末をもって困難な状態となる」という内容の連絡があったとの報告を受ける。 

・5月8日  遠軽厚生病院事務長から、院長宛の文書の説明を受ける。要約すると「産婦人科医師の人員不足により、施設の集約化が避けられず、9月末で派遣は困難になるという結論になった」との内容。遠紋2次医療圏市町村長と協議を行い、要望活動の実施を決定。

・5月20日  旭川医科大学産婦人科学科教授に要望書提出(遠紋2次医療圏すべての市町村が参加)

・5月27日  北海道厚生連会長に要望書提出(遠紋2次医療圏すべてに市町村長が参加)

・5月29日  北海道知事に要望書提出(遠紋2次医療圏すべての市町村長が参加)

・6月24日  遠軽厚生病院長から、病院として患者及び職員に対して説明等を行わなければならないことから、正式決定のタイムリミットは7月21日であるとの報告を受ける

・6月8日  北海道防衛局及び北部方面総監部に遠紋2次医療圏市町村長連盟の要望書を提出。厚生労働省北海道厚生局長に要望(遠軽町長)

・6月12日  遠軽町議会が「遠軽厚生病院の堅持及び医師確保に関する意見書」を原案可決。内閣総理大臣等に提出

・6月13日  地元選出代議士及び道議に要望(遠軽町長)

・6月25日  防衛省(政務次官・衛生監)及び厚生労働省(厚生労働大臣・医政局長)に要望書提出(遠紋2次医療圏すべての市町村長及び議会議長が参加)

・6月29日  遠軽厚生病院長及び副院長(産婦人科主任部長)に産婦人科の維持と副院長の慰留を目的に、町・町議会・自治会連絡協議会・遠軽商工会議所・えんがる商工会連名で要望書提出(湧別町・湧別町議会及び佐呂間町・佐呂間町議会も同時に実施)

・7月6日  遠軽厚生病院長及び副院長に産婦人科の維持と副院長の慰留を目的に、遠軽地区3町の女性の代表が9493名分の署名を添えて要望

・7月16日 遠軽厚生病院長及び副院長に産婦人科の維持と副院長の慰留を目的に、自治会連絡協議会役員が10314名分の署名を添えて要望。湧別町自治会連合会が、7月15日5952名分の署名を添えて要望

・7月24日 東京都内の病院に対して医師派遣要請活動(遠軽町長・湧別町長)

 さらに、遠軽厚生病院での分娩の状況の資料もいただきました。

 それによると、遠軽厚生病院での分娩数は、平成24年366件(遠軽町118件、湧別町43件、佐呂間町14件、紋別市84件、興部町15件、滝上町10件、雄武町13件、その他69件)、平成25年366件(遠軽町128件、湧別町36件、佐呂間町7件、紋別市113件、興部町10件、滝上町6件、雄武町6件、その他60件)、平成26年351件(遠軽町110件、湧別町36件、佐呂間町3件、紋別市108件、興部町5件、滝上町5件、雄武町13件、その他52件)。
(なお、西興部村は3年間とも0件です)

 この間、遠紋地域での出生数はほぼ530件前後なので、6割から7割を遠軽厚生病院で手掛けていることになります。まさに、遠紋地域の大黒柱です。

 そこでお産ができなくなるとなれば、これこそ「出産難民」が出現しかねません。

 私は、遠紋地域の周産期の医療機関として、その機能と役割を維持するためにも、遠紋地域全体の取り組みにする必要性。

 さらに、病院側から何の言葉のない中で不安を高めている妊婦さんへの支援。

 また、分娩ができなくなった場合の支援策を、遠紋地域として検討する必要性。

 などを話し、また要望しました。

 副町長は、今、東京の病院にアプローチをしており、その返事を待っているところ。したがって、最終的な結論はまだ出ていない。
それに期待している。と話されました。

 とは言え、時間がないのも事実です。最後まで筋を通し、周産期医療を守るために運動を展開するとともに、もしもの場合に備えた取り組みも進めなければならないでしょう。

 なによりも、出産を控えている妊婦さんの安心と安全のために、急がなければなりません。