2015年10月18日日曜日

行政視察―大館市、一関市、名取市へ

 9月29日から10月3日までの日程で、紋別市議会福祉民生常任委員会の行政視察に参加してきました。

 最初は、秋田県大館市。紋別空港から羽田へ。そこで能代大館空港に乗り継ぎ、夕刻大館市に到着。秋田県の一番北。生活圏は青森県弘前市に近いとか。

 そこでの視察テーマは、「学力向上に関する取り組みについて」です。

 秋田県は、学力テストで全国一を続けています。その秘訣を学ぼうというのです。

 私は正直、それほど強い関心はありませんでした。言うまでもなく「全国学力テスト」は、その子の持っている能力のごく一部を推し量るものでしかなく、逆に序列化を強化するだけのものです。

 とはいえ、話を聞いて感心したのは、地域を担う人材を育てようと「大館盆地を教室に、市民一人一人を先生に」をコンセプトに、学校が地域と積極的にかかわっていることでした。

 また、学力の向上には秋田県のイニシアチブが大きかったようです。それは、平成13年からの県による少人数学習・ティームティーチングの実施に向けた教員の増員が決定的だったと言います。

 現在の学力は、それらの長年の積み重ねによるものだと言います。 

 大事なのは、一人ひとりの到達に応じたきめ細かい支援こそが学力向上の要なのだということを実感しました。

 さてその日の朝、散歩していたら「秋田犬(いぬ)会館」という建物を見つけました。

         Akita-Inu-Kaikan 110827.jpg
 
 なんでも大館市は、あの「忠犬ハチ公」のふるさとなのだそうです。マタギの猟犬として主人に仕え、この地方に育った秋田犬。
 早朝で、まだ開館しておらず中を見れなかったは残念でした。

 2か所目は、一路、東北道を南下して、岩手県一関市へ。そこでのテーマは「子育て世代への支援について」です。

 何よりここで興味を引いたのは、子育て支援を切れ目なく行うために、市の組織を大きく変更したことでした。

 紋別市もそうですが、母子保健(乳幼児健診や予防接種、妊婦健診)は従来、健康づくりや健康増進といった部署や保健センターなどが担当してきました。

 それを子育て支援課に加え、出産から青少年対策まで一貫した支援体制をとっているのです。

 この日、視察で訪問した「保健センター」は今年完成したばかりで、健康づくりと子育て支援の拠点となっています。


 子育て支援センターや乳幼児の検診室など、広々とした空間がうらやましく感じました。

 また、産後の育児を支援するサポーター派遣事業や第3子以降の保育料を無料にする事業などは、紋別でも生かしたいものだと感じました。

 保健センターを視察している最中、モップを持って清掃している人たちを見かけました。もしやと思い聞いてみると、やはり障害者の方々でした。市内の就労支援B型の事業所が請け負っているとのことでした。


  さて、一関市の隣町・平泉町に世界遺産の中尊寺があります。時間を見つけて訪れました。

 国宝の金色堂は目にも鮮やかに、往時の藤原家の栄華を物語っていました。杉木立にたたずみながら、しばし時間を忘れました。

 最後の視察地は、宮城県名取市です。ここでのテーマは、東日本大震災における「被災者の生活支援について」です。

 一関市から名取市に向かう途中、石巻市にも立ち寄りました。

 市内の高台にある日和山公園に上りました。そこから港がよく見えます。ガイドの方が、「今はただの空き地のようですが、ここに人家がたくさんあったのです。あの津波ですべて流されました」と言います。

 眼下に広がる土地に多くの建物があったとは、まったく想像できない光景に、言葉を飲み込むだけでした。

 「仙台で嵐のコンサートがあったとき、ここに松本潤がきたんですよ」。そんな話もしてくれました。

 やがて私たちを乗せた車は名取市へ。そして被災地の閖上(ゆりあげ)地区に入りました。

 ここもまた、津波により大きな被害が発生した場所です。ただただ、広い土地が続くばかりです。ここにも人々の営みがあったのです。

 慰霊碑がありました。

           慰霊碑全景

 急に雨風が強くなり、ゆっくり見学できなくなりました。写真は名取市のホームページから転載さてもらいました。

 碑の高さは8.4メートル。この地を襲った津波の高さだと言います。慰霊碑左右の芳名板には犠牲になった944名の名が刻まれています。

 復興のシンボルとしての「ゆりあげ港朝市」がありました。その日はもう誰もおらず、雨に打たれさみしげに見えました。

 それでも、かさ上げの工事がつづいているようで、少しつづ動いている感じを受けました。

 翌日、名取市役所で被災者の生活支援について説明を受けました。

 現在も、仮設住宅に993人が入居しており、その多くが高齢者だと言います。7か所ある仮設住宅を統廃合していく方向だとも言います。

 復興住宅の建設も進みつつあると言いますが、ただ閖上地区はようやく土地の利用計画が定まったところ。約32ヘクタールを約4メートルかさ上げし、居住地域にする計画です。その完成見込みは平成29年度末だと言います。

 ただ気になったのは、生業としての産業・漁業の復興です。現地でも感じたのですが、港の復興はあまり感じられなかったことです。いまだに、地盤沈下のままといった様子でした。

 生活と生業をどう復興させていくか。難しい課題ですが、必要な課題でもあります。

 同時に、感じたことがもう一つ。名取市は仙台市の隣町で、人口も増加しています。仙台空港のマチでもあり、交通の便も良いのです。ロードサイドの大型店がたくさんありました。

 それだけに、閖上地区の状況と街のにぎわいとに大きなギャップを感じてしまうのです。

 それだけに、忘れてはならないと思います。あの日まで、普通の暮らしがあったこと。あの日、多くの尊い命が犠牲になったこと。あの日から、苦しみを胸に生きている多くの人がいることを。

 2年前、仙台市を中心に南相馬市、南三陸町を訪れたことを思い出します。その惨状を見、当時の話を伺い、いくどとなく言葉を失いました。私に何ができるのか、戸惑いました。

 あれから2年。現地はどう変わったのだろうか。あの人たちは元気でいるだろうか。新幹線で東京に向かう仙台駅のホームで、近いうちに必ずまた来よう、と心に決めました。



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