2018年8月18日土曜日

戦没者追悼式で思うこと


 紋別市戦没者追悼式に出席してきました。

 第2次世界大戦で命を落とした紋別関係の戦没者は585人と言われています。

 戦後73年。遺族らも高齢となり、参列者は年々減っているような気がします。

 それでも、一人ひとり献花をささげ、犠牲者を追悼しました。

 平和の尊さを次世代へ引き継ぐことの大切さを痛感します。

 憲法が軽んじられ、命が粗末にされる時代には絶対させてはいけない。と、あらためて思います。

 この時期になると、いつも昭和17年におこった湧別での悲劇を思い起こします。

 湧別町のサロマ湖畔ポント浜に打ち上げられた機雷2個のうち1個がふいに大爆発を起こし、231人もの死傷者を出したのです。

 最初、機雷の漂着は町中で大騒ぎになりました。

 時あたかも戦時中。戦意高揚のため、これを町民参加のもとで爆破しようと計画。5月26日、多くの町民が弁当片手に爆破を見物しようとポント浜に集結したのです。

 それが、ふいに大爆発を起こしたのです。 

 その中に、紋別からも警防団員10人が参加していました。

 その時の模様を、紋別から参加した岸本増太郎さんが2枚の写真とともに、詳しく記録しています。

 私も、それを見させていただきました。

 一枚は、機雷を前に集まる人々。それが、そののち爆発するとは思いもよらぬ表情です。

 もう一枚が、爆発が起こったあとに広がった巨大な穴の写真です。

 岸本さんは九死に一生を得ましたが、同僚が一人負傷し、のちに死亡しています。

 こんなに被害を大きくしたのは、何といっても戦意高揚のためと町民らを集めたことでした。しかし、これを責めることはできないでしょう。

 ここに戦争の愚かさと悲劇が存在します。

 この事件は、ほとんど報道されませんでした。これも戦意高揚のためだったのでしょう。

 安倍政権のもと、戦争への準備が着々と広がっている怖さを感じます。

 湧別の悲劇を忘れずに、戦争の実態と愚かさを語り続けることの大切さを感じます。

 今年も、73年目の8月15日がやってきました。

 

 

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