2026年9月14日月曜日

百条ものがたり⑦~報告書のポイントⅱ

  百条委員会報告書より(前回から続く)

⑦公募型プロポーザル契約に係る一連の不正行為における  「官製談合防止法第8条」違反に関すること

 「アキラ」との間で避暑地化推進基本計画策定の契約締結を絶対化するため、次のような一連の不正行為が市役所ぐるみで行われた。

●実績のない「アキラ」では一般競争入札では難しいと判断した岩井観光連携室長(当時)は、入札の参加条件に「紋別市内に本店・支店、営業所を置く法人」という内容を加え、紋別市オホーツク交流センター内に「アキラ」の営業所を登記した。これにより事実上「アキラ」以外の入札参加は不可能になった。その後、契約方法は公募型プロポーザルに変更された。

●「アキラ」からの入札参加申請書類が市役所に届いたのは、締め切りを過ぎてのことだった。にもかかわらず、受付印を改ざんし申請書類を受け取ってていた事実が明らかになった。

●入札審査には「アキラ」側による提案書が必要とされていた。しかしその内容を、市側と事前に協議・打ち合わせし、市の意向に沿った内容に修正していた。

●プロポーザル審査会当日、審査会に先立ち、市と「アキラ」とでプレゼンなどのリハーサルを行っていた。

 これら一連の行為は、公務員による入札等の公正を害すべき行為の処罰に関する法律、いわゆる「官製談合防止法第8条」が定める行政手続きの透明性、公正な競争、不正行為の排除を完全に逸脱し、組織ぐるみでひたすらジェイハットと「アキラ」への利益供与に走ったもので、官製談合防止法第8条違反との判断を免れ得ない。


⑧「アキラ」との契約解除(令和4年3月)にも中島氏の関与が疑われ、また、その時点で「基本計画」は何も出来ていなかったこと

 プロポーザル審査会をパスした「アキラ」は10月16日、避暑地化推進基本計画の策定業務を1430万円で市と契約した。

 しかし12月、ジェイハットに国の事業であるGOTOトラベルの不正受給の疑いが浮上したため、業務を一時中断した。(のちに、不正はなかったことが確認されている)

 翌年の2月、宮川前市長と岩井観光連携室長、そして中島紋別観光振興公社副社長(当時)との会談で、突然「アキラ」との契約解除の方針が決まった。

 それは中島氏の意向だとする証言がある。

 さらに不可解なことに、「アキラ」による基本計画策定の業務が、この時点で何も手が付けられていなかったが明らかになったのである。

 あれだけ市職員を追い詰め、逮捕者まで出しながら、結局、市が手にしたのは「白紙の基本計画書」だった。


⑨中島氏への証人尋問に係る経過と対応について

 本事案のカギを握るのは中島氏であり、証人尋問への出頭を要請した。

 しかし、医師の診断書を添付した上で出頭できない旨の申し出があった。

 そこで百条委員会として質問書を作成し、2度にわたり中島宅へ郵送したが、受取人不在で返送されてきた。

 そこで本委員会としては、警察・検察での中島氏の供述調書の内容を適時採用することにした。


⑩理事者はどこまで関与し、その判断と決定はいかになされたのか

 宮川前市長がジェイハット及び「アキラ」をいつ、誰から知らされ、「アキラ」との契約をいつ決定したのか。本事案を考えるうえで、重要なポイントである。

 中島氏によれば、4月の段階で「アキラ」への変更を宮川前市長に伝え、了解を得ていたとしているが、宮川前市長は証人尋問で「記憶にない」と述べている。

 6月に入り正式に「アキラ」との契約を決定する際も、元副市長は宮川前市長の指示を受けたと証言しているが、宮川前市長は元副市長ではなく、岩井氏からその話を聞いたと証言しているものの、岩井氏もまた「それは記憶にない」と証言している。

 このように重大な方針の決定が、組織としての検討・協議もないまま、根拠も責任もあいまいなままなされていた、という事実が明らかになった。


 これら10項目の論点を踏まえ、なぜこのような事態が起こったのか、報告書は次のように結論付けている。

 市役所内のガバナンス(統治能力)の欠如と政策決定過程の不透明性、そしてコンプライアンス(法令順守)に対する著しい軽視だけでなく、中島氏の強大な権限と威圧的な態度、その背後に存在する宮川前市長への忖度ーそれらが物言えない風土、風通しの悪い環境を醸成し、「人による支配」が存在していた。そしてそれを結果的に許してきた理事者の責任は重いと言える。


※次回からは空港関連のポイントを紹介します。


2026年8月24日月曜日

百条委員会ものがたり⑥~報告書のポイント

  今回から、いよいよ百条委員会の報告書の内容をポイントを絞って紹介していきます。

 まずは、避暑地化推進基本計画策定業務委託の発注・契約に係る市役所の組織ぐるみの不適切・不正な取り組みの実態解明から始めます。

 報告書では、これまでの調査で鮮明になった主な事項と論点として、次の10項目を取り上げ報告しています。


①株式会社ドーコンから株式会社ジェイハットへの突然の転換に対する違和感と中島氏の関与

 宮川前市長の主要政策として平成27年度からスタートした『避暑地化推進事業(主に首都圏の富裕層を中心に誘客し、交流人口を増やす事業)』は、株式会社ドーコンによって構想策定が進められていた。

 ところが令和3年1月担当課は、宮川前市長からドーコンから別のコンサルタントに変更するよう突然指示され、中島和彦観光連携室長(当時)に相談するよう命じられた。

 その指示を受けた前副市長が中島氏に連絡を入れると、即座に株式会社ジェイハットを紹介された。

 その際、副市長はあまりの早い中島氏の対応に違和感を覚えたと言う。

 事実、中島氏の供述調書により、以前から宮川前市長と中島氏との間でコンサルタント会社に関する話が交わされていたことが明らかとなり、中島氏は市側から相談の連絡が来ることを知っていたと思われる。

 さらに宮川前市長は証人尋問で、中島氏から「副市長に言われたことについて、ジェイハットを紹介しました」というメールを受け取ったと証言している。 

 ジェイハットの社長は中島氏の知人である。

 これらのことから、本委員会としても前副市長と同様に『違和感』を持つものである。


②はじめからジェイハットありきの不適切な癒着が継続された

 その後、ジェイハット側と避暑地化事業に関するアドバイザー契約を結ぶ方針で、ジェイハット社長らの紋別視察、毎週のオンライン会議、ジェイハット職員の市役所内の常駐化などが続いた。

 しかしこれらは正規の契約もないまま、ひたすらジェイハットありきで進められたもので、ジェイハット職員は庁内の会議にも参加するなど、職務管理の上からも不正常な状況が続いていた。

 そこに疑問を持つ職員もいたが「ジェイハットを逃したら避暑地化事業は失敗する」「中島氏の紹介であり、市長も認めている結論だから」逆らえないとの認識が、市役所全体に根強ったと考えられる。


③市職員人事の公平性を阻害する恣意的介入が市の外部から行われた

 令和3年2月、避暑地化事業の中心的役割を担い、のちに贈収賄事件で逮捕された岩井智広土木課長(当時)の観光連携室長(部長職)への昇格人事が、当時の紋別観光振興公社社長の棚橋一直氏による宮川前市長への強い口利きによって実現した事実が、岩井氏、棚橋氏、宮川前市長ら3名の証人尋問によって明らかになった。

 公正公平であるべき市の幹部人事が、市の部外者の介入と思惑により左右されていた事実は、極めて重大な事態だと言える。


④「紋別市倫理条例」に抵触する可能性と背景

  令和3年6月と10月、岩井氏と担当職員はジェイハットとの打ち合わせのため東京に出張している。

 その時の模様を記録した職員の記録を入手した。

 そこには次のような記述があった。

 『6月の時は赤坂のフレンチで会食した。自分でお金は払っていない。会食後、会員制のバーに連れて行かれた。ジェイハットの社長に、職員さんは300万円、岩井さんには1000万円、やっぱり仕事には対価が必要だから、と言われ怖くなった』

 このメモの内容について岩井氏は「わかりません」と証言し、肯定も否定もしていない。

 しかし、ジェイハットによる供応接待を受けたと判断でき、紋別市倫理条例に違反していると考えられる。

 同時に、ここに記されているジェイハット社長の対価ついての話は、まさに金による支配の姿であり、避暑地化事業が次第に歪んでいく象徴的な出来事だと言える。(もちろん、このような金銭の流れは存在しない)


⑤中島元観光連携室長による「地方公務員法第38条の2」に違反する行為が繰り返され、市役所全体がそれに追従した

 「地方公務員法第38条の2」では、退職後2年間は退職者による役所内での働きかけを禁止しており、違反者には罰則も科せられる。

 しかし中島氏は、令和3年4月に市役所を退職後も岩井氏を通じてジェイハット社長の意をくむよう働きかけ続けただけでなく、「迷惑をかけた」などとして18万円の現金を手渡し、岩井氏もこれを受領している。(これが贈収賄事件として逮捕された)

 また中島氏の供述によると、ジェイハット社長から避暑地化推進基本計画の策定業務をジェイハットから、社長の個人会社である「アキラ」に変更したいとの意向を受け、宮川前市長や岩井氏に働きかけ、了解を得たとしている。

 さらに「アキラ」への変更に難色を示す市側に対し、高圧的な態度で押し切っている。

 これら一連の中島氏の動きは明確に「地方公務員法第38の2」違反である。

 そこには、中島氏が退職してもなお、市役所に絶大な影響力と圧力を持っていたことがわかる。

 同時に、ただ中島氏に追従しきった市側の姿勢もまた厳しく指弾される。


⑥「公共工事の入札・契約の適正化」についての閣議決定において、ペーパーカンパニーは排除すべき対象になっているもとで、その疑いが濃い「アキラ」との委託契約を締結した

 避暑地化推進基本計画を委託することになった「アキラ」に関し「ジェイハット社長の税金対策のための個人会社で、事業などやっていないのではないか」「実績もないアキラと契約すれば、実体のない会社と契約したと問題になる」「ペーパーカンパニーと言う認識はあった」などの証言が得られているだけでなく、宮川前市長自身「アキラ」に対し「これ金流す会社だべ、分かるべやしたっけ」と発言したとする複数人からの証言が得られた。

 宮川前市長は「記憶にない」としているが、他の証言内容から本委員会として、この発言は事実だと判断せざるを得ない。

 「アキラ」が単に金を流す会社、公共工事から排除すべきペーパーカンパニーの疑いが強いと、前市長自ら語ったにも等しいのである。


※今回はここまでとします。次回もまた、さらに核心を突く事実が明らかになります。

 

2026年7月31日金曜日

百条委員会ものがたり⑤

  紋別市不正事案等調査特別委員会(百条委員会)は最終的な調査の結果を、市議会議長に提出し、市議会に報告することで終了となります。

 したがって、議長に提出する最終報告書の作成が百条委員会にとって最大で最後の仕事となるのです。

 これまで2年にわたり調査をしてきた内容、明らかになった事実、そこにある背景と要因、責任の所在、そして百条委員会としての判断と結論、そのうえでの再発防止に向けた提言。これらをまとめる作業が待ち構えているのです。

 当初は、年度内に終結させる予定で、今年の3月議会での報告を検討していましたが、新たな事実が出てくるなどで、議員の任期が満了する前の6月議会で報告することをリミットに作成作業が進められました。

 百条委員会の調査項目は2つあります。

 一つは、避暑地化推進基本計画策定業務の入札・契約についての市役所ぐるみの不正行為について。

 もう一つは、紋別空港利用促進協議会と紋別観光振興公社の不透明な支出についてです。

 この二つのうち、避暑地化事業については副委員長である私が、空港関連については委員長の加藤裕貴議員が、それぞれ分担し、文章化することにしました。

 そこでまず私は、これまでの証人尋問の議事録、紋別市が行った検証調査の聞き取り資料、避暑地化事業に関する市の資料、そして中島氏らの供述調書と裁判記録などを、あらためて読み込むことから始めました。

 そこから見えてきたのは、公平であるべき入札が市役所ぐるみの数々の不正行為でゆがめられた事実であり、それが漫然と繰り返され常態化した姿でした。

 なぜそんな不正行為が繰り返されたのか、それがなぜ市役所ぐるみとの行為となったのか、その事実を市の理事者はどこまで知っていたのか、そしてなぜその不正行為を止められなかったのか、そこに市役所としての体制上・体質上の問題はなかったのかー解明すべき課題は数多くありました。

 本格的な作成作業は2月ごろから始まりました。膨大な資料の中からポイントをどこに絞るか、全体の構成と流れをどう構築するか、できるだけ証言と資料を重ね客観的事実をどう導き出せるか、そのうえでどう結論づけるかー一筋縄ではいかない作業が続きました。

 最終的に次のような流れにしました。

 これまでの調査で鮮明になった主な事項と論点として10項目、なぜこのような事態が起こったのか、その背景と問題点として3項目、そして空港関連も含め再発防止と是正措置として大きく4項目の提言をまとめ上げました。

 そして私が作ったこの案を百条委員会のメンバーに諮り意見をもらい、修正を図る。という作業が繰り返し続きました。同時に、顧問としての伊藤弁護士からの法的アドバイスも、幾度となくメールでやり取りを行いました。

 これらの作業は当然、加藤委員長が担当した空港関連でも同じです。何十ページにも及ぶ文書のやり取りが、二人の間で繰り返されました。

 次第に方向性が見えてきた中で、最後まで議論のポイントになったのは次の点でした。

 避暑地化事業では、入札に係る市役所ぐるみの不正行為が「入札の公平を害する行為」を厳しく規制した『官製談合防止法第8条』に違反すると認定できるかどうかということであり、それらを事実上放置した理事者の責任をどう判断するか、ということでした。

 一方、空港利用促進事業における不透明な支出については、中島氏の個人会社に多額の資金が流入した事実について、当時の関係者・上司の責任をどう図るかということであり、資料を偽造することによって収入を得ようとしていた中島氏について刑事・民事を含めた法的措置をどう判断するかということでした。

 それらについて百条委員会での議論と検討を経て、最終的に70ページにも及ぶ報告者がまとまったのは、5月の半ばでした。

 次回以降、その報告書のポイントを紹介していきます。

2026年7月17日金曜日

百条委員会ものがたり④

 

6月議会で最終報告を提案する加藤百委員会委員長

 当時、紋別観光振興公社副社長であった中島和彦氏の個人会社・中島コンサルタントに、紋別空港利用促進協議会及び紋別観光振興公社を経由して流入した紋別市のエージェント対策費(販売奨励金)の額は、令和元年から4年までで少なくとも3億3285万円に上ります。

 これはすべて、東京紋別便の空路の存続のため、搭乗者を増やす経費として計上された市の予算であり、市民の税金です。

 それらが全て、国税の調査によって中島氏の「接待交際費」であったと認定されたのです。

 搭乗対策などに、まったく使われていなかったのです。

 ではなぜ、それが可能だったのか、4年間も続いたのか、私たち百条委員会の調査のポイントはそこにありました。

 百条委員会が提出を求めた数多くの資料の中に、ANAが発行した『東京紋別線搭乗実績(確定版)』(以下「実績表」)と題する2枚のペーパーがありました。

 市のエージェント対策費は搭乗者1席あたり2500円~1万円を単価に、搭乗実績に応じて支払われており、その根拠となるのが、このANAの「実績表」だったのです。

 しかし、この「実績表」に不審な点を見つけたのです。

 その一つが、1枚の「実績表」のANAの作成名義人が、中島氏の個人会社の役員名と同姓同名だったのです。

 二つには、「実績表」に押印されている印が、ANAの公印と異なるのではないかという疑問。

 そして三つには、もう1枚の「実績表」の印も、通常使用されない手書き航空券用のバリデーションスタンプだと考えられたことです。

 これらはいずれも、支出根拠としての信用性を左右するものです。そこで百条委員会として、その信用性を確認するため、ANAに対し質問状を送付したのです。

 当初私たちは、天下の大企業であるANAが、こんなことで取り合ってくれるのだろうかと半信半疑でした。

 しかし、これこそANAです。法規の専門部署がチームを作って調査に乗り出してくれたのです。

 ANAの最終的な調査結果が届いたのは3月31日。そこには、衝撃的な事実が記述されていたのです。

 まず、同姓同名の人物については、ANAの社員であるとともに中島氏の個人会社の役員でもあること。ANAの公印とされる印はANAの正式な印章ではなく、同姓同名の人物も押捺していないこと。「実績表」に書かれた実績数の総数に差異はないが、団体・個人などの内訳の数値に違いがあること。が明らかになったのです。

 さらに、「実績表」を作成した同姓同名の人物による陳述書も提出されました。それもまた、驚きの内容でした。

 「中島氏から昼夜を問わない連絡、即時対応の要求、応じなければ激しい叱責を受けることへの恐怖、さらには上司や組織に悪影響が及ぶことへの不安の中で、精神的に追い詰められ、正常な判断が困難な状態に置かれていた」とする内容で、中島氏の強い要請で役員に就いたこと、中島氏の指示で数字を書き換えたこと、押印していない「実績表」を中島氏に渡していたこと、なども明らかになりました。

 結局、中島氏は自分の個人会社に都合の良いように個人客を増やすなど数字を書き換えさせ、印のない「実績表」を受け取り、自分でANAの印を押してANAから来た「実績表」に見せかけていた。そうやって偽造の「実績表」で、収入を得ていた構図がついに見えたのです。

 最後に証人尋問に立った紋別タッチをけん引してきたパラダイス山元氏の証言も衝撃でした。

 紋別タッチを進めるため紋別市の情報をSNSで積極的に発信してきた山元氏の努力を、中島氏が勝手にSNS対策費という名目の経費を作り、あたかも自分が取り組んできたかのように、自らの会社に2000万円を要求し、それを手に入れていたのです。

 徐々に実態が見えてきました。しかし、それがなぜ4年間も許され、放置され、好き勝手にされてきたのか。

 それらを含め、いよいよ最終報告書の作成が始まります。


2026年7月7日火曜日

百条委員会ものがたり③

  令和6年12月19日、第1回目の証人尋問が行われました。

 とはいえ、誰をどの順番で出頭を求めるのか、尋問の内容はどうするのか、どこにポイントを絞るのか、など準備には相当の時間を要しました。

 また、証人との関係で非公開での尋問が必要になる場合も生じました。

 失敗が許されない証人尋問。緊張の時間が続きました。

 12月19日に2名の非公開での証人尋問。令和7年1月8日、3名の証人尋問。これも非公開で実施。2月20日、岩井智広氏(元紋別市観光連携室長)、棚橋一直氏(元紋別観光振興公社社長、元紋別市副市長)の2名を証人尋問。3月21日、宮川良一氏(元紋別市長)を証人尋問。11月28日、長谷川恒氏(紋別観光振興公社社長)、パラダイス山元氏(オホーツク紋別空港利用促進関連事業関係者)の2名を証人尋問。計10名への証人尋問を行いました。

 中島和彦氏(元紋別観光振興公社副社長、元紋別市観光連携室長)にも出頭を求めましたが、医師の診断書を添えて健康上の理由で出頭できない旨の通知があり、やむなく尋問を中止しました。

 その後、中島氏には文書による質問書を2回にわたり送付しましたが、いずれも受取人不在で返送され、結局中島氏には直接話を聞けないまま終わったのです。

 ただ、贈収賄事件での中島氏の供述調書によって、その全容の断片が明らかになりました。

 私も証人尋問では、非公開を含め、岩井氏、宮川氏、長谷川氏の尋問を担当しました。

 その中でも特に宮川氏前市長への証人尋問は、事件の全局を握る人物として尋問内容も入念に準備し、裏付けも取りながら、その日に臨みました。

 ポイントは、逮捕された中島氏との関係性、入札の不正や空港利用促進経費の流れをどこまで知っていたのか、前市長による直接の指示や命令はなかったのかなど、時系列的に尋問を重ねました。

 その中で、中島氏の供述調書や他の証人の証言と食い違う点がいくつか見えてきたのです。

 当然、それらをただします。その時の前市長の証言の多くは、「それは覚えていない」「記憶にない」…、と言うものでした。

 この言葉は、翌日のマスコミ報道の見出しにもなったほど、ある意味衝撃的でした。

 私は尋問の最後に宮川前市長に「数々の不正で入札をゆがめた背景に、中島氏の言動や動きがある。法やモラルを遵守することよりも、中島氏による『人の支配』が市役所内にあったのではないか。あなたは、その中島氏を相当評価していた。それがいつしか市役所全体の体質にまでなってしまった。毅然とした態度をとらなかったあなたの責任は重い」と指摘しました。

 宮川前市長の証人尋問を終えて、避暑地化推進事業に係る入札の不正事案については一定のめどが見えてきたものの、空港利用促進事業の使途不明金については、まだ全容が解明できずにいました。

 中島氏の個人会社に3億円を超すエージェント対策費が流入していたことはつかめたものの、その使途については全く資料が無いという状況だったのです。

 ところが、令和7年8月、国税当局が紋別観光振興公社に税務調査に入り、中島氏に流れた資金は接待交際費であると認定したのです。

 ここから、私たち百条委員会の動きが一気に加速します。

2026年7月2日木曜日

百条委員会ものがたり②

紋別市議会

 
百条委員会


 避暑地化事業と空港利用促進事業にかかわる不正事案の解明に乗り出した市議会百条委員会ですが、船出はそう簡単ではありませんでした。

 まず、市議会議員全員でのスタートのはずが、5人の議員が辞退し、11人の議員での出発となったのです。

 次に取り組んだのが、調査資料の提出要請です。

 紋別市や紋別観光振興公社に関係資料の提出を求めるものです。

   その中でネックになったのが、中島氏、岩井氏の公判記録の提出でした。公判記録は閲覧しか出来ません。そのため検察庁に出向いて転記するしかありません。

 市の検証委員会は、職員による転記を行い膨大な公判記録を手に入れていました。その記録は市の公文書であり、百条委員会としてその提出を求めたのです。が、市が行う調査でのみ使用が許可されたもの、という理由で百条委員会への提出は拒否されたのです。

 しかし、その資料は絶対に必要です。そこで、百条委員会としても贈収賄事件の刑事確定記録を手に入れるため、北見市の裁判所に出向きすべてを閲覧、複写するという大作戦を決行しました。そこには、伊藤弁護士の尽力がありました。最終的に、その資料が中島氏の供述の内容を裏付ける決定的な資料となったのです。

 次の課題は、弁護士の選任です。

 今回の事件は、法的な要素が絡むためどうしても専門的な助言・アドバイスが必要です。そのため、百条委員会として顧問弁護士をつけることにしました。

 問題は、その選任です。誰でもいいというわけにはいきません。

 その選任に白羽の矢が立ったのが私でした。

 この百条委員会は不正を解明し正すためにある。そのためには不正と闘う弁護士でなければだめだ。そいう弁護士を知っているのは共産党の野村しかいない。という理由で、私が弁護士を見つけることになったのです。

 確かに「闘う弁護士」の知り合いはいるものの、自治体の百条委員会となると話は別です。まずは、札幌市の知己のある弁護士事務所に相談。すぐに若手の弁護士3人によるチームが結成され、紋別で勉強会まで開催したものの、紋別市の別の裁判との関係で、その事務所とは契約できないことが判明したのです。

 これには焦りました。急遽、つてからつてに電話をつないで、最後にたどり着いたのが、札幌協和法律事務所の伊藤誠一氏だったのです。

 私の電話での説明だけで「いいでしょう。引き受けます」と言ってくれたのです。

 後で知ったことですが、伊藤氏は札幌弁護士会会長、日弁連副会長などを歴任した方で、過労死やじん肺訴訟などに携わった、まさに闘う弁護士だったのです。

 何度となく紋別まで足を運んでいただき、弁護士料はほぼ実費のみ。最後まで、貴重なアドバイスをいただきました。伊藤弁護士なしには、あの報告書は完成していなかったでしょう。

 さて、今度は手元に届いた資料を読み込み、分析する番です。そして、論点をまとめ、いよいよ証人尋問が始まります。誰を呼ぶか、何を聞くか、その順番をどうするか、議論が続きました。

 そしてついに令和6年12月19日、1回目の証人尋問の日を迎えました。



 

2026年6月27日土曜日

百条委員会ものがたり①

百条委員会最終報告書

 6月2日から始まった2026年第2回定例市議会。その冒頭、2つの議会特別委員会の最終報告が行われました。

 一つは、議会改革特別委員会の報告。もう一つが、百条委員会の最終報告です。

 百条委員会の報告書は70ページにも及びます。それを加藤委員長が読み上げます。ほぼ2時間近くになりました。

 それを聞きながら、いろいろなことが思い出されてきます。

 これで長かった百条委員会も終わりかと思うと、やり切った感とともに、まだ少し悔いが残る気もします。

 でも、今日で決着です。

 

 それは2022年(令和4年)12月8日にさかのぼります。

 市議会が終了したその日、当時の副市長から一本の電話がありました。

 「うちの観光連携室長が収賄容疑で逮捕されました。申し訳ありません」と言うものでした。

 実は、それ以前から警察が動いているという情報が流れており、私のところにもマスコミから何件も問い合わせがきていました。

 そして、贈賄側として逮捕されたのが、紋別市観光振興公社の中島和彦副社長(当時)。前年まで、市の観光連携室長に任にあった人物です。

 捜査の中で、しだいに状況が明らかになってきます。

 避暑地化推進事業の入札に絡んで、特定企業に受注すべく不正が行われていた。その見返りに現金の授受があった。と言うものでした。

 当然それは、議会でも問題になりました。ただ、話はそれだけにとどまりませんでした。

 今度は中島氏に絡む空港利用促進事業でも、不透明な金の流れが浮かび上がってきたのです。

 そこで市議会は、これらの問題の事実を解明するよう市に要請します。

 市もこれを受け、弁護士を入れた不正事案等検証委員会を発足させます。

 そして、その検証報告書が議会に提出されたのが2024年(令和6年)2月でした。

 それは衝撃的な内容でした。

 避暑地化推進基本計画の契約に市役所ぐるみで不正を働いていたこと、空港関連経費が中島氏の関連会社に3億円以上流入していたことが、示されたのです。

 その背景に、中島氏の圧力や物言えぬ役所内の空気が指摘されました。

 しかし、市の調査はここで終了しています。

 このままでいいのか、なぜこんな事態になったのか。議会は、どうする。今度は議会が試される番です。

 そして、2024年(令和6年)3月19日、紋別市議会に、地方自治法100条に基づく「紋別不正事案等調査特別委員会」が発足したのです。


 

2026年5月23日土曜日

子育て世代と議員の懇談会



   5月17日、NPO法人はぐくみ主催による子育て世代と市議会議員との懇談会が開催されました。

 子育て中のママさん10人と議員6人が参加し、子育て中だからこそ感じる困りごとや「こんな風になったらいいな」など、ざっくばらんにたくさんの意見交換が行われました。

 児童館が休館の時の子どもの居場所がない。病後児保育の受け入れがない。学校に行かないことを選択した子や保護者へのサポートを。などなど、数多くの要望や意見が出せれました。

 私も、知らなかったこともあり、参加した他の議員さんも勉強になったと思います。

 細かく小さなことかもしませんが、一つ一つは切実です。

 しっかり受け止めたいと思いました。

 このような機会を作ってくれた「はぐくみ」さんに感謝です。

 これからも継続したいですね、と声を掛け合い閉会しました。

2026年5月21日木曜日

不登校の親の会「ケセランパセラン」

主催者の吉岡さん、久保田さんと一緒に


 5月11日、不登校・行き渋りの子の親の会「ケセランパセラン」の集まりに参加してきました。

 当事者でもない私が参加してもよいものか迷いましたが、事前に了解をいただいて顔を出させてもらいました。

 不登校の児童生徒は全国で35万人を超え、過去最高になっています。

 紋別市でも、小学校で10人前後、中学校では30人前後の児童生徒が不登校になっています。

 でも、これは1年間で30日以上登校しなかった子どもの数字で、30日未満でも行き渋りの子も含めたら、その数はもっともっと増えると思います。

 学校に行けない、学校に行かない。そのことで苦しんでいいる子どもはもちろん、その保護者も悩み苦しんでいます。

 そんな時、同じ思いを持つ親同士が安心して話をできる場が必要だと思ってきました。紋別にも、そんな親の会があったらと思ってきました。

 ケセランパセランは、子どもの不登校をきっかけに出会った親同士が立ち上げた「親の会」です。遠軽・湧別を中心に活動しており、紋別でも2か月に一回程度開催していると言います。

 この日は、主催者の吉岡さんと久保田さんのほか、当事者の保護者が2名、それに遠軽町のスクールソーシャルワーカー(道教委)の芦田さんご夫婦も参加され、私にとって大変刺激的な話し合いとなりました。

 学校に行けない原因は親もわからないし、子ども本人もわからない。親としてどう向き合い、どうしたらよいのかわからないし、無力感を持ってしまう。子どもが学校に行かない場合は親が子の生活をすべて支えることになる。親もまた周囲の親と疎遠になり疎外感を持つ。だからこそ、親同士が語り合う場が欲しい・・・

 など、まだまだ多くの話がなされました。

 一つ一つが切実で、すべてが胸に刺さります。

 芦田さんの話も納得です。子どもたちは言語化できないモヤモヤした状態があるから辛いんだと。いわば、漫画でいう頭からの吹き出しで、文字にならないぐちゃぐちゃとした状態なんだと。

 なんだか、わかる気がします。

 紋別でも、ケセランパセランさんの協力も受けながら、恒常的な親の会ができないだろうか。そんな、ちょっと希望ある話も出ました。

 ということで、私もそれに向けて、頭をぐちゃぐちゃとめぐらしているのですが・・・

 

2026年5月18日月曜日

議会だよりを発行しました



  今年の3月議会の内容と、この4年間の取り組みについてまとめ、議会だよりとして発行しました。

 市民の暮らしアンケートも載せました。

 ぜひ、ご協力ください。QRコードからでも回答できます。
 



2026年5月15日金曜日

高齢者への補聴器購入に助成が実現!

  高齢者への補聴器購入への助成制度の実施は、これまでも何度なく議会で取り上げ、その実施を求めてきました。

 それが、この4月から実施され、事業がスタートしました。

 身体障害者の対象とならない高齢者の軽度・中等度難聴者にとって耳の聞こえは、フレイル(加齢による心身の活力低下)や認知症の予防の観点からも、聞こえの改善は重要であり、有効です。

 とはいえ、補聴器も高価であり、そう簡単に手が出ないのが実際です。

 その意味からも、道内ではすでに30を超える市町村で中等度難聴者への補聴器購入の助成制度を実施しています。

 高齢になっても健康で暮らせるための街づくりは、市営運営の基本です。

 昨年の12月議会で、ぜひ紋別市でも実施すべきだ、と取り上げ、実施を求めたこの助成制度が、この4月からスタートしたのです。

 事業の内容は下記の通りです。一人でも、多くの方が利用し、安心して元気で暮らせる街になればと期待しています。




国保税、ついに引き下げへ~長年の訴えが実現へ

  昨年の12月議会での私の一般質問で、国保税の引き下げを求めたのに対し、山崎市長は国保税を引き下げる方針を明らかにし、令和8年度予算で正式に国保税の引き下げが決定しました。

 紋別市の国保加入者は約2600世帯、3800人で、その多くが個人事業主と年金生活者で占められています。

 そんな中、紋別市は令和6・7年度と連続して国保税を引き上げました。

 その結果、所得割(課税所得にかかる賦課率)と均等割(個人にかかる税額)で道内35市でトップの高さとなり、平等割(世帯にかかる税額)でも3位の高さで、道内35市で最も高い国保税となっていたのです。

 この問題で12月議会で私は、道が毎年示す「市町村標準保険料率」を取り上げ、次のように追求しました。

 (「標準保険料率」とは、北海道が全道統一の算定基準に基づいて各市町村の標準的な保険料率を示したものです。ただ実際は、各市町村は自主的に税額を決定しています。)

 「令和6年度までは標準保険料率を下回る税額だったものが、令和7年度の引き上げで、この標準保険料率を大きく上回る結果になった。このような事態になっているのは35市の中で紋別市だけだ。基本的に標準保険料率は、道に収める納付金の額を賄うために算定されたものであり、標準保険料率を超える国保税を加入者に強いる理由はないし、その必要性もないはずだ。現在の国保税を標準保険料率に戻すだけで、国保税を引き下げることができるはずだ。激しい物価高が続く中で、加入者の負担は限界だ。国保税の引き下げは待ったなしだ」と。

 これに対し山崎市長は「加入者や収納率の減少で標準保険料率を超える税率改正を余儀なくされたところだ。令和8年度については、税率を標準保険料率まで戻すことを目標に、加入者の負担が軽減されるよう対策を講じていく」と答弁し、国保税の引き下げる方針を明らかにしたのです。

 これを受けて私は思わず、こう発言しました。

 「私の議員生活30年を通して、国保税の軽減を繰り返し訴えてきた。そのつど、一般会計からの繰り入れはしないとされ、一人、国保税の引き上げに反対し続けてきた。しかし、今の山崎市長の答弁を聞いて、国保税に対する市の考え方が大きく変わったととらえている。市民負担の軽減を第一にした山崎市長の答弁に感動している」と。

 令和8年度の国保税の加入者軽減額は、4400万円に上ります。

2026年5月7日木曜日

2025年備忘録⑦~「まおい学びのさと小学校」

 

まおい学びのさと小学校

 2025年10月20日、長沼町にある私立小学校「まおい学びのさと小学校」を視察してきました。

 2023年に開校したばかりの小学校ですが、必ず行ってみたいと思っていた学校なのです。

 なにせ、その教育方針が公立の小学校とでは180度違うのです。

 それを肌で感じたくて、ワクワクしながら校門をくぐりました。

 校舎に入ってすぐに感じるのは、とにかくにぎやかなことです。廊下からも、教室からも子どもたちの声と歓声が聞こえてきます。しかも、玄関には靴が脱ぎ散らかせたまま。これが日常なのか?

 まずは、学校側からの説明がありました。

 『まずは子どもを幸福にしよう。すべてはその後に続く』。イギリスの教育実践家ニイルの言葉です。これこそ、この学校の理念だと言います。

 ここでは、子どもの「やりたい」「知りたい」を引き出し、体験を通して身につける体験型学習を実践しています。

 「ものづくり」「料理」「演劇」「農業・畜産」の4つのプロジェクトに、1年生から6年生までが一つのクラスで活動します。

 体験で学ぶとは、言われてやるのではなく、話し合い協力し合い実践してこそ分かるもの。

 結論を押し付けず、いつも問いかけを重視することが大切だと言います。

 もちろん、基礎学習の時間もしっかり保証されています。

「農業・畜産」の授業風景

 「農業・畜産」の授業を見学しました。地元の養鶏業者の方を囲んで、子どもたちが盛んに質問しています。

 「鶏のエサ代はいくらですか?」「一日、300円ぐらいかな」「何羽飼ってるんですか?」「2000羽かな」。

 そこで先生が「じゃあ、一日のエサ代はいくらになるのかな」と、子どもたちに問いかけます。こんどは算数の授業です。

 そうやって、体験の中から基礎学力をつけていく。みんな目を輝かせて考えます。

 ここには、通知表も宿題もありません。子どもの発達は、まさにそれぞれです。

 いまは学習についていけなくても、必ず飛躍するときがくる。待つ、任せることが大事。

 玄関の靴も、片づけを強制するのではなく、これでいいのかと気づくとき、考えるときが必ず来ます。それを待つのです。と、明るく言います。

 そんな、にぎやかな子どもたちの声が、とてもいとおしく感じた訪問となりました。


(「オホーツク民報」2025年12月7日付 『野村淳一のかけある記』より)

 

2025年備忘録⑦~一泊二日の一人旅

  2025年9月28・29日と一人旅に出かけました。

 旅の最大の目的は音威子府の駅そばを食べることです。独特のそばで、一度は閉店したものの再度復活したと聞いたからです。一度は食べてみたかったのです。

 

旧仁宇布駅 今はトロッコ王国に

 まずは雄武町から美深町へ。途中、仁宇布に立ち寄りました。かつて国鉄美幸線の駅があった場所で、現在はトロッコ王国で有名です。

 ここで珍しいものを手に入れました。廃止された国鉄の当時の時刻表が網羅されたクリアファイルです。

 ありました。名寄本線6時32分発札幌行の急行紋別。なつかしさがこみ上げます。

レストランBSB

クラフトビールを製造

 美深町では「BSB」というレンガ造りのレストランでランチ。クラフトビールも作っています。

 ここの店員さん、「このビールが好きすぎて、移住してここで働いているんです」と。

 買わないわけにはいきませんよね。

アートビレッジ恩根内

松浦武四郎の資料室

 次に訪れたのは「アートビレッジ恩根内」。

 2度目の訪問です。

 廃校を活用し、ご夫婦でカファを営んでいます。

 ただすごいのは、教室を利用したアイヌ関連の資料室、松浦武四郎の資料室、そして機織り機の数々。趣味は高じて、いまやプロ顔負けの博物館です。

 コーヒーを飲みながら、ご主人と歴史やまちづくりを語らうのは、時間を忘れ楽しいものです。

 いよいよ音威子府村です。駅についてガーン。駅そばがやってない。21日でいったん閉店し、10月からふたたび再開するのだそうです。これは仕方がありません。また、いつかの機会に・・・

 その足で中頓別町へ。ここに、この町に似つかわしくない(失礼)しゃれたカファのヤマフクコーヒーさんがあります。

 自家焙煎のコーヒーで一休み。ヤマフク自家製の焼き菓子をお土産に。

 そしてこの日は、猿払村まで足を延ばし、ホテルサルフツで宿泊。ホタテづくしの食事に舌鼓。

 翌日は、草原の中をまっすぐに伸びるエサヌカ線を走り、浜頓別町のクッチャラ湖へ。

ホテルサルフツ


エサヌカ線
 

 ここでは、湖周辺の森林を管理し自然保護に従事している「NPO法人エコワーカーズ」を訪問しました。

 ここでも、環境問題でしばし話に花が咲きました。

 最後は枝幸町の食堂うみ蔵でランチと珍しい逸品の日本酒を購入。

 さてさて、一泊二日の一人旅でした。


(「オホーツク民報」2025年10月12日付 『野村淳一のかけある記』より)


2025年備忘録⑥~「笹の墓標強制労働博物館」を訪ねて

笹の墓標強制労働博物館

博物館の展示

博物館の展示

 2025年のお盆は、墓参りを済ませ、士別市の岩尾内湖にある白樺キャンプ場で17年ぶりのキャンプをしてきました。

 子どもたちが家を出た後、なかなかキャンプに出かける機会がありませんでした。でも、久しぶりのキャンプはやはり気分も解放され、楽しいものです。

 翌日、幌加内町の朱鞠内湖まで足を延ばしました。ここに、行ってみたい場所があったからです。

 昨年9月に再建された「笹の墓標強制労働博物館」がそれです。

 朱鞠内湖は全国でも一番面積の広い人造湖です。1935年、苫小牧の製紙工場の電力を供給するためにダム建設が始まります。

 原生林に覆われ、寒さ厳しい土地で工事は困難を極めます。

 同時に、建設物資を運搬するために国鉄深名線の建設工事も並行して行われました。

 その中に、強制的に連行された朝鮮人やタコと呼ばれた日本人が多数存在し、200人を超える犠牲者があったと言われています。

 死者は共同墓地のはずれに埋められ、生い茂る笹だけが墓標となっていたのです。

 76年に深川氏の僧侶が、朱鞠内湖ふもとにある光顕寺で80基余りの位牌を発見したのを機に、遺骨発掘調査が始まります。

 やがてこの活動は、日本人だけでなく在日コリアンなどの若者たちも加わり「NPO法人東アジア市民ネットワーク」として、国境を越えた運動になっていきます。

 その当時、紋別にあった道都大学でもゼミの一つがこの活動に参加し、多くの学生が遺骨調査に参加していたのを記憶しています。

 2015年、朝鮮人の遺骨115体が故国に奉還されました。

 その光顕寺が2020年に積雪のため倒壊。それが昨年、多くの募金を得て「笹の墓標強制労働博物館」として再建されたのです。

 施設内にはこれまでの経過とともに、北海道開拓における朝鮮人などの強制労働の実態や歴史も展示され、あらためて過去を学ぶことの重要性を認識させられます。

 こういう犠牲のもとに今の北海道があること、その歴史と事実にしっかり向き合うこと、それ抜きに新しい時代は築けません。

 いまだに存在する朝鮮人や中国人への差別意識、それを増長するかのような昨今の排外主義の台頭。

 まさにこの博物館は、それらへの警鐘でもあるのです。


(「オホーツク民報」2025年8月24日付 『野村淳一のかけある記』より)


 

2025年備忘録⑤~一日だけの定例市議会

  2025年6月27日、一日だけの「第2回定例市議会」が開催されました。

 6月29日で任期満了を迎える宮川市長に対して一般質問を行うことができないため、一日だけの議会となったのです。

 しかし、感慨深い議会となりました。

 その議会冒頭で、市議会議員30年の表彰を受けました。紋別市議会では、私と飯田弘明議員の二人が対象です。

 36歳で初当選してから8期30年(2期目で1回落選)。

これまでよく続けてこれたな、と言うのが率直な思いです。

 「革新ホープ」と言われた時代から、私も今年で70歳を迎えようとしています。ここまでこれたのも、私を支えてくれた家族、党員、後援会員、そして多くの市民の皆さんのおかげだとつくづく思います。

 とはいえ、議員活動は続きます。

 まだ調査を継続している百条委員会で、今度私が副委員長に就任することになりました。

 新しい山崎市政の下でも、発言し行動する議員として頑張らなければ、と気を引き締めています。

 すべての議事が終結した後、最後に宮川市長による退任のあいさつがありました。

 それを聞きながら、市長がまだ議員だった時代から一緒に活動してきたことが思い出されました。

 20年前の赤井市長時代、次の市長選挙をどうするか、このまま無投票でいいのか、など熱く語ったことを。

 そのとき、宮川氏は連合の推薦を受けて立候補。見事、当選しました。

 その翌日、我が家に顔を出し「受かったじゃあ」とはにかんだことを。

 道立病院から広域病院へ、急病センターの開設と、医療の問題ではよく議論したことを。

 子どもの医療費の無料化や学校給食の無償化など、私がしつこく取り上げてきた内容を実現してくれたことを。

 そして最後に、百条委員会の市長への証人喚問で、私が尋問を担当したことを。

 宮川市長が最後に「長きにわたり本当にありがとうございました」と締めくくると、拍手とともに傍聴席から「市長、おつかれさま」という声がかかりました。

 意見の違いはありつつも、一時代をともにしてきた同志として、私も「おつかれさまでした」と心の中でつぶやきました。


(「オホーツク民報 2025年7月6日付 『野村淳一のかけある記』より)


2026年5月6日水曜日

2025年備忘録④~花咲港小学校「インクルーシブ教育」を視察して

花咲港小学校

高田校長による説明

授業風景

  根室市の花咲港小学校を視察してきました。

 全校生徒10名の小規模校です。しかしここでは、全国でもまれ、全道でも唯一の教育実践を行っています。

 それが「インクルーシブ教育です。

 「インクルーシブ教育」とは、一般的に障害のある子どもとない子どもが共に学ぶ教育とされ、さらに根室市では、学習の進め方やペースの違いを一人ひとりの個性と価値観として認め、自分らしくあるための選択や決定を尊重する教育としています。

 私自身、インクルーシブ教育の重要性や必要性を感じていましたが、それがどのように教育の現場で実践されているのか、なかなかイメージが持てないでいました。

 そんな中、新聞記事で根室市立花咲港小学校の存在を知ったのです。

 これは行くしかない。と決め、やっと視察が実現したのです。そして、驚くことばかりでした。

 まず戸惑ったのが、根室市の教育長自らが説明に立ったことです。

 波岸教育長曰く、私がこの仕組みをつくった当事者だからというわけで、インクルーシブ教育導入のいきさつや、その理解を広げる努力、教師や保護者との連携など熱い話が続きました。

 次に、高田校長による実際の教育現場での実践が語られました。ここでも思いのこもった話に圧倒されました。

 とにかく、これまでの学校教育との違いにびっくりの連続です。

 まず、教室という概念がないのです。そのうえ、時間割もないのです。

 あるのは、1・2年生の低学年ユニット、3年生上の高学年ユニットだけで、特に高学年は自分自身で時間割を考え、自分に合った順番と場所で学習を進め、教師はそれぞれの状況に応じて支援するという仕組みです。

 ですから、学ぶ教科、順序、ペース、学ぶ場所を自ら選択して、学びを深めていく。

 特別支援学級の児童も、当然専門的な指導を受けながらも、基本は同じ仕組みで、いつも同じみんなの中にいるのです。

 次々出てくるびっくりする事例に、私も質問しっぱなし。

 しまいには時間が足りなくなって、その夜も教育長のお誘いで場所を変えて意見交換へ。

 地元の地酒「北の勝」を酌み交わしながら・・・


(「オホーツク民報」6月8日付 『野村淳一のかけある記』より)

2025年備忘録③~「市政報告会」にて・・・



  2025年4月27日、私の市政報告会を開催しました。25人ほどのみなさんに集まっていただきました。

 最初は私から、この1年間に取り上げてきた主な一般質問のやり取りなどについて報告しました。

 経営的に厳しさを増す広域紋別病院と地域医療の現状、訪問介護など介護保険事業の現状、高齢者など交通弱者をなくす公共交通の課題、子どもの成長に応じた切れ目のない相談・支援体制の構築、みどり保育所の閉所問題と子どもの権利について、就学援助の拡大など教育費負担の軽減対策、不登校児童生徒の現状ときめ細かい支援対策、学校統廃合問題の現状と課題、高等養護学校との連携と障害者の雇用の拡大、国保税の引き上げによる影響と打開策、市職員による贈収賄事件にみる市役所の現状と百条委員会の取り組み、ふるさと納税の現状とその使われ方、などなど

 資料を見返し準備する中で、1年間とは言え、いろいろと取り上げてきたんだな、とあらためて実感します。

 会場のみなさんからも様々な意見や要望を出していただきました。

 市議会が何をやっているかわからない、もっと見える議会にしてほしい。広域紋別病院の医師が少なく不安だ。みどり保育所の廃止や学校の統廃合問題で、市民への説明や理解を得る取り組みがないのではないか。などなど。

 どれも、切実で的を射た意見です。

 こんな質問もありました。「このような報告会をやっている議員さんて、他にいるんですか」と。

 他の議員の様子はわかりませんが、こうやって議会での取り組みをみなさんに知ってもらうことは、大きな意味があると感じています。

 また、機会を見つけて「市政報告会」を開催したいと思います。その時は、ぜひ、ご参加ください。


(「オホーツク民報 5月25日付 『野村淳一のかけある記』より)

※その後、10月13日にも「市政報告会」を開催しました。

2025年備忘録②~義母が亡くなって・・・

  


2025年4月2日、札幌にいる義母が亡くなりました。享年94歳。

 見事なまでに全うした天寿でした。

 ささやかでも、どこかほっこりする身内だけの葬儀でした。

 最後まで道内各地で保健師として働き続けた人でした。

 まさに豪放磊落(ごうほうらいらく)をじでいく人でした。

 私も圧倒される時がしばしばでした。

 利尻町で働いていた時には、共産党の町議候補として立候補し、なんと2票差で落選、ということもありました。

 私の選挙の時にも駆けつけてくれ、私の母と一緒に楽しそうに電話で支持を広げてくれていた光景が今でも思い浮かびます。

 晩年は施設に入所し、次第に認知症も進行していきました。

 そして、静かに静かに息を引き取りました。

 たくさんの思い出が頭をよぎります。

 そして何よりも思い出すのは、そのあたたかな笑顔です。

 感謝を込めて、合掌


(「オホーツク民報 4月20日付 『野村淳一のかけある記』より)

2025年備忘録①~遠軽に大型風力発電所計画が・・・

  2025年2月8日、「遠軽風力発電を考える会」が主催する「風力発電を考える学習会」に参加してきました。

 現在、遠軽町では大規模な風力発電計画が持ち上がっています。

 青森市の「青天ウインドファーム合同会社」が、遠軽町の社名淵・千代田地区の山林に、1基あたり出力4200キロワット、高さ約180メートル、ブレード(羽)の回転直径約136メートルの大型の風車を12基設置する計画で、2029年度にも着工し、32年度の営業開始を目指しています。

 町民がこの事業を知ったのが昨年の5月。会社側が提出した環境影響評価(環境アセスメント)の「方法書」に対し、地元住民などが青森市内の事業所あてに「意見書」を郵送したところ、「あて所に尋ねあたりません」の印が押されて返送されるという事態が発生し、住民の不信と不安が一気に高まりました。それを受け8月には「遠軽風力発電を考える会」が発足しました。

 私も、この問題の情報収集の段階からかかわり、考える会の運営にも協力してきました。

 何より大型の風力発電事業には不向きの地域だと思っていたオホーツク地域にも、常呂の大型風力発電事業の開始、そして遠軽町だけでなく枝幸町でも計画されています。

 もちろん、再生可能エネルギーの普及は急務です。しかし、環境や地域の産業、生活に影響が出てはなんにもなりません。住民がきちんとチェック・監視する必要があります。

 3回目となったこの日の学習会には、紋別で鳥類の観察や保護に長年携わってきた大舘和広氏による事業予定地域周辺の環境への影響や、事業の隣接地にダイオキシンを含む化学物質が埋設されていること、金鉱山跡が周辺に点在し、現在も有毒な排出水を浄化していることなどが明らかにされました。

 そもそも再生可能エネルギーを生み出す風や太陽の光、森林、河川などの資源は、過去からその地域に住む人々により守られてきた貴重な財産です。

 その財産をどう守り、どう活用するのかは、その地域にこそ権利があるのです。道外の大手資本の儲けのためだけの手段であってはならないはずです。

 発言が続き、熱いパワーを感じた学習会でした。


(「オホーツク民報」2025年2月2日付 『野村淳一のかけある記』より)

※その後、青天ウインドファームの代表取締役が別会社の破産法違反容疑で逮捕され、事業は事実上白紙となっています。