兵庫県丹波市の丹波新聞記者・足立智和さんの講演会に行ってきました。
足立記者は、言わずと知れた「兵庫県立柏原病院の小児科を守る会」の活動を支え、紙面で紹介することで地域医療と住民の意識を変える大きな役割をはたしてきた人です。
今回の講演会は、オホーツク圏医療体制整備推進協議会が主催するもので、100人ほどが参加していました。
なかでも紋別高等看護学院の生徒たちが多数参加し、華やいだ雰囲気も漂う会場です。
講演で足立記者は、次のように語ります。
県立柏原病院の小児科の医師が一人になり、その医師も辞めざるを得なくなったとき、ある女性が「夜間救急と翌日の外来で同じ医師に子どもを診てもらった。医師は寝ないで働いている」。
その言葉をきっかけに、「柏原病院の小児科を守る会」が発足した。
その基本方針は「子どもを守るお医者さんを守ろう」というもの。そして、小児科医に「ありがとう」のメッセージを届ける取り組みと、コンビニ受診を控える働きかけを行った。
それが、日頃批判の対象とされてきた日本中の医師の心をうった。やがて、働きやすい環境が整い、今では、8人の小児科の医師が勤務する病院になった、と。
そして、足立記者は地域医療存続のカギは、「医師に選ばれる地域になること」と述べ、医師不足に苦しむ広域紋別病院について「北海道から移管を受け、自らの手で運営できるようになった今が、良い病院をつくるチャンスだ」と述べました。
私にとって、足立記者の存在は特別の意味を持っています。
まだ道立病院の時代、医師はどんどん減り、患者を減らさざるを得ない状況だったとき、これからの医療はどうなるのか、紋別の医療とはどこへ向かうのか、私自身先が見えない時がありました。
そんな時、たまたまインターネットで丹波新聞の記事、足立記者の記事を目にしたのです。
それが「柏原病院の小児科を守る会」の取り組み。若いお母さんたちの取り組みだったのです。
医療の現場、医師の現状を知ること。批判だけでなく、住民も行政も、医療の現場と向き合うこと。そして、地域の医療を守ろうという住民主体の組織をつくること。
これで私もやるべきことが見えた気がしました。そして、志を同じくする市議と「紋別の地域医療を育て守る会」を発足させました。
やがて多くの仲間も加わり、シンポジウムや学習会、宣伝活動、広報誌の発行など、地域医療の啓発に少しは役立つ取り組みができたと思っています。
あれから5年。今、「会」の活動は少々停滞していますが、足立記者の言葉通り「今が、良い病院をつくるチャンス」なのかもしれません。
足立記者の講演を聞きながら、そんな自分の歴史を振り返り、感慨深くもなりました。
実は話はこれで終わりではありません。講演会の後、足立記者と遅くまで飲み、語り合ったのです。そして、翌日も飛行機の出発時間までお付き合いしました。
フットワークが軽く、好奇心いっぱいの足立記者。たまたま初雪が降ったその日。「雪だ、雪だ」と大はしゃぎ。そこは新聞記者。早速大山山頂まで足を延ばし、カメラに雪景色を納めました。
またの再会を約束しました。ぜひ、丹波市にお邪魔て、「小児科を守る会」のメンバーに会ってみたい、そんな思いを強くしています。
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