その日、私は、紋別市が主催した防災講演会に参加しました。
北見工業大学の高橋清教授が「災害に強い地域づくりに向けて」と題して講演しました。
講演では最初の東日本大震災のすさまじい津波の写真を示し、「人はとかく、危険が迫っていても『自分だけは大丈夫』だと思い込みやすい。同時に、『嫌なことは忘れたい』と思うもの。しかし、こと災害については過去の教訓を忘れず、目を背けず、防災の意識を持ち続けることが大切」と説きます。
3年前、福島県南相馬市で見た光景は忘れられません。放射能汚染で立ち入りが制限されていた小高地区。時が止まったままの街並みに、言葉を失いました。
福島ではいまだ原発事故により、8万人もの県民が避難を余儀なくされています。
しかし、避難解除を一方的に広げ、帰還しない人への家賃補助は打ち切るといいます。これも自己責任だというのです。
安倍政権は、意図的に忘れさせようとしてるようです。
私は、紋別市に避難してきた福島県の家族のことが心配でした。もし、住宅費への補助が打ち切られたら、と思い、市議会の予算委員会で質問しました。
いくつかの市町村では独自に補助を行っているからです。
でも答弁では、その家族はすでに紋別を離れているとのことでした。
今年の政府主催の追悼式で安倍首相は、ついに福島の原発事故について一言も触れませんでした。
だからこそ強く思います。
「3・11、福島を決して忘れない。原発をゼロにするまで、忘れてたまるか」と
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