2014年7月23日水曜日

本庄陸男と大地の侍

 20日、市立博物館で開催中の特別展「本庄陸男と大地の侍」の関連行事として、小檜山博さんによる記念講演と映画「大地の侍」の上映会があり、参加しました。


 
 本庄陸男は1905年、当別町で北海道に移住した元佐賀藩士の子として生まれ、父の事業の失敗にともない小学3年生の時に一家で渚滑村字オアフンベ(現在の上渚滑和訓辺)へ移り、代用教員や役場臨時職員を経て、青山師範学校(現東京学芸大学)に進学。その後、東京の小学校の教員として勤務。1934年、特殊学級での経験を描いた「白い壁」で注目を集め、1939年、代表作となった「石狩川」を発表。これは、当別を舞台に、旧武士階級の農地開拓の苦闘を描いた作品で、当時のベストセラーになりましたが、その年の7月結核で死亡しました。34歳でした。

 本庄陸男は同時に、小林多喜二とともにプロレタリア作家同盟でも活躍し、昭和初期で初めて教員組合もつくった人です。

 治安維持法等で検挙・投獄されたこと2回。小林多喜二の葬儀に出席したことで、29日間警察の留置場で拘留されています。また、「石狩川」を書くために妻たま子と北海道を資料収集・調査したときも特高が尾行したといいます。

 さて、映画「大地の侍」ですが、見るのは2回目ですが、なかなか骨太の作品で、見ごたえがありました。

 主人公は、大友竜太郎演じる家老阿賀妻なのですが、それ以上に他の武士や妻たちにも光を当て、一つの群像劇といった内容です。

 特に、最後の場面。雪の中を岩手からやってくる仲間たちを出迎えるシーンは圧巻です。ワンフレームの中、1カットの中、多くの人々の表情をとらえ、その個性と思いを引きだし、喜びと希望を表していく。

 俯瞰とクローズアップを巧みに織り交ぜ、観客を引き込ませる技法はなかなかです。

 この上映会に100人以上集まっていました。なんだか、私もほっとしたりして…

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